3.疑われたがりの空挺騎士
流線形の車体にまたがる。ステップに足を乗せ脇を閉めれば、適度に固いシートが僕の身体をしっかりと受け止めてくれた。
空気抵抗を下げ、かつ乗り手の操作を受け取るために磨かれた形。
手のひらから
エンジンを開けると、なまめかしい動作音が響いた。
数時間前まで乗り回し無理をさせた分くらいは、愛機リグレットを休ませてやりたかったが。
見知った整備係の親爺が、エンジン音を確認してから親指で背後を指した。
「悪くねぇみたいだな。お前さんの好み通り、今回も上が伸びるように調整してある。代わりに下は薄くなってるからよ、気をつけろ」
「はい、ありがとうございます」
「まったくよぉ、極端なセッティングさせやがって。一度止めたら再加速がキッツイぞ、つってんのになぁ」
「大丈夫です、僕はエンジンを止めませんので」
親爺が大きなため息をついた。
「……お前さんの腕を知ってるからやってやってんだぞ。他の野郎だったら殴ってでも止めるところをよ」
「助かります」
最初は僕の注文に目を剥いて怒っていたが、腕前を知った今ではだいぶ協力的だ。毎回こうして文句は言われるが――そのセッティングはいつだって僕の希望通りになっている。
「帰って来たら奢ります」
「……約束だぞ」
こんな小さな約束が、もしかしたら極限の瞬間に命を守ってくれるかもしれない。
親爺の親切を唇だけの笑顔で受け止めて、僕は頷いてヘルメットをかぶった。
騎馬の固定具を外す。ガタン、と小さな揺れの後、理力の回ったエンジンが動き始める。
心配げな親爺の姿が、後方へ流れていく。ピットを飛び出したリグレットは、「薄い」と言われた低回転の時間を最小限に抑え、すぐに調子よく回り出した。
リグレットの動作確認もかね、空中で身をひねる。
ぐるりと横に回転しながら、超高高度を急上昇する。
調子は上々だ。
流れていく空気とピットを背に、現場へ急行した。
先ほど逃した狙撃手を見つけた――エクリュ隊長からの連絡だ。
『クラウス、近くに来てるか?』
「……ええ」
抑えたシィランの声が耳元で響く。
ぎりぎりで舌打ちを堪えて答えると、それだけで空気を察したのか、低い苦笑が聞こえた。
『おれはヤツの背後に回り込んでる。喜べ、お前は今度こそ正式に追い込み係だよ』
「そういうの、別に配慮しなくていいって言いましたけど」
言いながら、唇をぺろりと舐めた。
アクセルを回す。理力と共に血が滾る。
口ではなんとだって答えられる。
でも、僕の心は嘘をつかない。
飛びたい。飛びたい。飛びたい。
どこまでも速く、もっと速く。
『エクリュは振り切られたらしい。近くにいるのはおれたちだけだ、タイミング合わせるぞ』
「……へぇ、仕方ないですね。いいでしょう」
返答までの一瞬の躊躇は、先ほど聞いたヤコウの話によるものだ。
シィランのことを本当に信じていいものか。
迷っていると状況もおかしく思える。エクリュ隊長が見つけたと言って僕たちを呼んだのに、当の本人が姿を見せないなんて――しかも、あの隊長が並みの相手に振り切られるなんて、本当にあり得るか?
――疑わしいなら、自分だけでやればいい。
直後、周辺をサーチしていたレーダが未知の飛行体を補足する。
「来ました」
『よし、おれの位置も送る。お前はこっちに向かって追い込んでくれれば――』
「では、準備しててください」
言い放ってから、僕はレーダに従って直行する。
視界の先に一騎、騎馬の姿が見えた。
「――行くぞ、リグレット」
僕が補足しているなら、相手のレーダにも映っているはず。
だが、方向転換のため大きく旋回しようとする騎馬には必ず隙が生まれる。
低速を捨て高回転に振ったリグレットが、その最高速で相手を追う――!
こちらの加速で向こうも理解したらしい。リグレットに速度で勝つのは不可能だと。
重力に任せた自然落下で超高高度から一気に降下し、ビルの隙間へとはいり込もうとする。
「逃がさない――ッ」
僕は、一息に理力を流し込んだ。
通常のセッティングでは受け止めきれない理力を、リグレットは乾いた砂のように貪欲に吸い込む。
自然落下なら同速度――先に落ちた方が前を行く。
逃げ切れると思っただろう。地面に向かって激突しようとするバカはいないだろうって。
だが――お前の想像を、僕は超えていく。
「リグレット!」
ブレーキを軽く引き、車体を倒す。
寝かせた車体で回転が落ちきる直前、アクセルを戻して即座にUターン。
落下方向に向かって、最大までアクセルを開いた。
「あああああぁぁあッ――!」
先を行く騎馬が目前に迫る。
サイドミラー越しに目が合った騎手は、瞳に絶望の色を浮かべた。
僕は口元だけで笑って、捕縛錠のスイッチを押す。
通り過ぎざま、捕縛ネットがきらきらと輝きながら相手の騎馬を包み込む。
そのまま、身動き取れなくなった騎馬を引きずって、僕とリグレットは真っ逆さまに地上へと落ちて――いや、向かっていった。
超高高度からの超高速落下――目前に地面が迫る。
瞬間。
『こンの――大バカ野郎ッ!』
真横から飛び出て来た騎馬が、僕とリグレットに捕縛ネットをかけた。
「――わッぷ……」
さすがに正面から止められたらたまらない。
リグレットのシートから吹っ飛ばされ、身一つでネットに絡まった。手足を拘束する粘着性の糸のおかげで、衝撃はほとんどなかったけど。
しばらく引きずって上昇した後、適当なビルの上にネットごと放り出される。
くっついたままの糸が邪魔で受け身も身動きも取れないから、僕はごろりと転がったまま呻いた。
「くっ……シィラン、さすがに乱暴すぎるんじゃ?」
『どっちがだ、このスピード狂! 追い込めとは言ったけどさ、そんなスピードで地面に突撃しろとは――言ってねぇんだよなぁ」
後半は、イヤホン越しじゃない生の声だ。
そちらを見れば、ヘルメットを外したシィランがひどく顔をしかめて、騎馬を降りたところだった。
「いやどうすんだよ、おれが間に合ってなかったら!? ぐっちゃぐちゃになった仲間の死体なんか、もう見たくないんだよおれは!」
「それ本気で言ってます? 間に合わないわけないでしょ。
「……さらっと褒めるのやめろよ」
「褒めてないです、ムカついてるだけですから」
なんとも言えない表情で、シィランは僕の横に立った。
見下ろされる姿勢に苛立つが、捕縛錠の糸は特殊な薬剤で落とすまで外れないようになっている。今は、この屋上と僕とをぐちゃぐちゃにくっつけているので、こうなっては立ち上がることもできない。文字通り手も足も出ない。
まなざしに悔しさを込めて睨みつけてやったが、シィランの方は気の抜けた様子でぽりぽりと頭を掻いた。
「あのさぁ、さっきのアレ、気にしたりしないの? マジでおれが助けに行かなかったらどうなるかとか、ちらっとも思わなかったわけ?」
「さっきのアレ?」
「いや、ヤコウが言ってたでしょ。おれがエクリュの後釜狙ってるってヤツ」
「ああ……」
しばし沈黙。
「――いや、答えろよ!? おれが裏切ったとか思わなかったのかよ」
「じゃあ言いますけど」
手元のリモコンで、ヘルメットのバイザーだけを上げた。
流れ込んでくる空気を大きく吸って、シィランと目を合わせる。
「裏切るとか裏切られるとか、そういうのって信頼関係があってこそでしょう? 僕はあなたのことそもそも信頼してないので」
「じゃああの地上全力突撃はなんだよ、死んでもいいってことか?」
「いえ、今までのところ仕事はきっちりするヤツだな、くらいには思ってます」
「……ふぅん?」
シィランが眉を上げた。
なにやら言いたげなその表情からは、目をそらしておく。
「そもそも、エクリュ隊長の後釜を狙うなら、こんなところで部下を死なせちゃだめでしょうし。いつもそれなりにフォローもいただいてますし……ぶっちゃけいらないんですけど」
「だってフォローなしだと死ぬじゃん、お前」
「まあ、だから、なにが目的とかは置いといて、僕が死なないようにはしてくれるだろうな、くらいは考えました。信頼はしてないけど、信用はしてます。信頼はしてないけど」
「ふぅん……」
「……もういいです、僕より速いヤツは死んでください」
目をそらしていたのだけど、声色で間違いなくわかってしまった。
シィランのヤツ、にやにやしてやがる!
苛立ちで蹴り飛ばしたくなったが、残念ながら足は上がらない。
代わりにバイザーを戻して、絶対に目が合わないようにしてから、僕は大きく息を吐いた。
シィランがからかいを口にする前に、ヘルメットの内側でちょうどタイミングよく通信開始の電子音が鳴る。
『エクリュだ。すまん、二人とも大丈夫か?』
突き出るビルに囲まれた小さな空を見上げれば、隊長の騎馬がきらりと銀の光を引いて近づいてくるところだった。
さて、ヤコウの話をどう報告するか、と一瞬だけ悩んだが――そんな悩みはたぶん不要だ。エクリュ隊長のことだから、シィランに直接「お前、隊長になりたいのか?」なんて尋ねて終わるに違いない。
これだからアプローズナイツは……と吐き出しかけて、途中で口を閉じた。
もし唇が緩んでるように見えたなら、きっと言いかけた言葉を無理やり飲み込んだからだろう。そういうことにしておいた。
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