ミステリヰ



 浅草、朝一番の騒がしい喫茶店に二人の影があった。

 窓ごしに行く人々の往来を後目に、珈琲を啜る佐島 柾の姿があった。向かいには、未だ手つかずの珈琲から出る湯気の奥にある、机の真ん中に置かれた新聞を見つめているナナメが座っていた。なお、怪訝けげんな表情を浮かべている。

 「さあてね。私は君といればそれでいい。だけれどねェ、この文がどうも気に入らない」

 「いいじゃあないですか。その記事を書いたのは例の彼女らしいですし」

 「なんでたって君があいつの擁護をするんだい? それも気に食わない」

 頬杖をついて窓を眺めるナナメの頬は膨れている。

 「餅を焼かないでください。別に、悪いことが書いているわけではないですし……そもそも何が気に入らないんですか?」

 「何がって君ねェ、私の本名が書いてあるじゃあないかァ。私はあの人にそういった覚えはないよ。偽名でもいいものを」

 「よくないですよ。そのおかげでようやっと筆名が決まったんですから」

 鞄に入った原稿用紙入りの茶封筒をパンパンと叩いて誇った表情をする。

 歯切れの悪そうなナナメは往来する人々を見ながらため息を吐いた。

 「できれば……できればだが、私から直接言いたかった」

 「それは言わないナナメさんの悪いことですから」

 「でもだねェ!」

 大きくなった声を自分で抑える。他人の視線は変わらず忙しない店内に散らばっていた。

 「でもだね、柾君は乙女心というものを知らないのかい? そういうものなんだよ」

 「そうですか? まあわからなくもないですが相変わらず変なところに引っかかる人ですね」

 「失敬な、私の針どこが変なんだい? 我ながら優秀な針だろう? そのおかげでいろいろな疑問に気づけたわけだからね。で、どこなんだい?」

 「楽観主義というんでしょうか、大抵の出来事は核心的な事は何も言わずにニヤリと笑って、黙って付いてこいといわんばかりに振る舞うじゃないですか。そのくせ首、さも無暗むやみのように事件や他人の懐に突っ込む。そんなところですか」

 「ふむ、倫理的楽観主義者と呼んで欲しいねェ」

 「なんです、それ」

 「私はなにも滅多矢鱈めったやたらに首を突っ込んでいるわけではないさァ。倫理的に従て、例えば不貞を働く輩や、猟奇的な輩とかねェ。首を突っ込んだからと言って別に核心に迫りたいわけでもなかったことにしたいわけでもない。無論、金を巻き上げたりもね。ただ自分の快楽のために、好奇心に従って。ほら、袖振り合うも他生の縁というだろう?」

 「やはり変ですね」

 「柾君にそう言われると、何か来るものがあるねェ」

 「さて、もうそろそろ行きましょうか」

 「腑に落ちないねェ」

 「夕方までには付いていないと。先方が」

 「わかっているさ。ただ、あれを見てからでもいいかな? まだ鎮火はできていないだろう」

 「そうですね、見納めに。ここにはもうこないでしょう」

 そうしてナナメはぬるくなった珈琲をぐっと飲み干すと席を立った。次いで柾も立つ。

 柾は鞄から財布を取り出し少し余分に代金を置いていく。それを店員に言って店を後にした。



 半鐘と怒声が鳴り響く忙しない冬。寒気の中で咲く唯一のである。

 そんな華を一目見ようと、に来た野次馬らはそれを囲んでいた。

 「これは見事に燃えているねェ」

 少し遠めにあるナナメと柾の視線の果てには、元の高さを燃える炎が家を包んでいた。

 その家は何を隠そうハロルド邸であった。

 「やはり少し申し訳ないですね」

 「何をいまさら。見事な火葬じゃあないか。仇は討った。それにこの家は十分すぎる負を背負ってしまった。焼く他にないさ」

 「それもそうですね」

 目を閉じ手を合わせる柾。ナナメは野次馬の声に耳を傾けていたようだった。

 「ふむふむ、いい按配あんばいに噂を広めてくれたようだね」

 「ああ、言っていた警察官の……そういえば私のところに来る前に寄っていたとか」

 「おや? 今度は柾君が焼き餅かな?」

 「ち、違いますよ」

 「まあいいさァ。ともかく彼女はここで会った人物にして一番の功労者だからねェ」

 「火消は繁盛して良いねェ」

 「それ本気で言ってます?」

 「ああ」

 「どこが倫理的な楽観主義者なんですか?」

 「なあに、海外建築だ。日本の建物より壊しやすいし危険はないさァ」

 「だと良いですが」

 蛾と蝶はひらりと舞う足取りで、盛る火とは反対にある駅に歩き始めていた。

 「私たちはちゃんとだったようだよ」

 「なんです。藪から棒に」

 いつもですが、と出かかったところで、ナナメは肘を抱えて語り始めた。

 「いや、いつぞやに言っていたことだがねェ。私が蛾なら、君は蝶というやつさ。なかなかに今考えると、恥ずかしい所があるものの、ふいに思い出すのさァ。あれらは火に飛び入る習性があるが、今それに反しているな……と思ってね」

 「ああだから人だと」

 「そうさ、まあ私は君以外に燃やされるつもりはないんだが」

 「珈琲の熱さにもやられてしまうのに?」

 「君ねェ、本当に乙女心ってやつを……」

 小さく笑い合う二人は寄り合い、往来の激しい浅草の中央道を行く。

 「あ、そうだ、気になっていたんだがあの記事、誤字があったんだ」

 「誤字ですか?」

 「事件簿という字なんだけれどね」

 背後で巻き起こった微風は温かく、柾とナナメの間を通り抜ける。

 そんな道端に、誰が落としたか新聞があった。誰かがそれを拾い、記事を読む。


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 事件慕に該当在りの火災

 薄明の時分にて家宅炎上。火処は不明。現在も鎮火に務める。

 警察官の調べにより、家宅に住まう住民三人が死亡したとの報告在り。過去の事件と類似点多数。連続放火事件として別途捜査をする見込み。

 なお近隣の知人にて名前発覚、死亡者の名前は以下に記す。

 死     ハロルド・テエナア

 死     佐島 雅姫

 死     尾崎 菜ゝ芽

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 気車に乗り、冬の浅草を後にする。春を待つ京都へと向かうのであった。

 柾は巷で有名な物書きとして、ナナメは巷で噂のとして新たな物語を紡ぐ。

 浅草の物語はこれにて終了。二人は死んで、生きていく。

 「ア」から始まり「イ」で終わる、長く短い通して一つの恋物語。恋が一番ミステリヰ。

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汐崎ナナメのヰビツな事件慕 椹木 游 @sawaragi_yu

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