第二話 青色「承認と顕示」

第1節

「おはようございまーす」

 アゲダシドウフが、ふくよかな腹をさすりながらやってきた。

「あ、松永さん。おはようございます」

「あれ、千堂さんは私のことを本名で呼んでくれるんですか?」

 千堂はポニーテールを揺らして、微笑んだ。ややウェーブのかかった長い髪だ。低い位置で結ぶのが仕事用のスタイルなのだろう。

「まぁ、博士がいないときは、いいかなと思いません? コードネームって完全に博士の趣味ですから」

「ああ、ですよね」

 頷きながら、アゲダシドウフが上着をクローゼットに掛けていると、電子ロックを解除する音が聞こえた。残りのふたりが出勤してきたようだ。

「おはようございます」

「おはようさんです」

「横島さんと城之内さんはご一緒に出勤ですか」

「ええ。さっきエレベーターホールで一緒になりましてね。っていうか、千堂さんは本名で呼んでくれるんですね」

 三人は銘々に好きな私服でやって来る。ジェントルマンとして出動しているときとは異なり、統一感はまるでない。アゲダシドウフはパーカーを、ナンコツはVネックセーターを、トリカワポンズはネルシャツだ。共通点といえば、ほのかにダサいことだろう。

「阿佐ヶ谷博士は、寄り道してから来るそうですので」

 千堂の言葉に、三人は顔を見合わせた。

「どうかしましたか?」

「いや、博士の名前って初めて聞いたんで」

「知らなかったですか?」

「ええまあ。前回はレクチャーの途中で出動だったものですから」

「ああ、そうでしたね。でも阿佐ヶ谷博士っていうのも、コードネームみたいなもので、本名ではないはずです」

「そうなんですか」

「ちなみにここは阿佐ヶ谷研究所というのが正式名称ですよ」

「なるほど」

「さあ、とりあえず緑茶でも淹れましょうか」

 アゲダシドウフはケトルをセットすると、茶筒の中を覗き込んだ。

「結構な上級茶じゃないですか」

「博士が買うものは、なんでも上級なんですよ」

「高級志向なんですか?」

「味は分かってないですけどね」

 千堂は微笑んだ。

「そういえば、教えていただきたいことがあるんですが」

 ナンコツはメガネのブリッジ部分を中指で押し上げる。

「なんでしょう?」

「あの巨大な水槽は、なんの役割があるのでしょうか。私たちが出動したときは、真っ赤になっていました。今は透明のようですが」

 一同の顔を見回した千堂は、ゆっくりと水槽に向かって歩き出した。袖を通しただけの白衣のフロント部分から、デニムのワイドパンツが軽やかに前後する。靴はコンバースのスニーカーだから足音は微かだ。

「では」

 彼女は、身長の倍はある水槽の前に立ち、振り返った。

「巨大水槽アクアリウムの役割について、レクチャーしますね」

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