第10節

 白衣の男がトリカワポンズに語りかける少し前。男は千堂からの報告を受け取っていた。

「今回のアルケウスのベースとなっている人間が特定できました」

「ほう。早かったね」

「はい。今回は顔が残ってましたからね」

「なるほど。それで?」

「現場近くに広告代理店がありますよね。そこの営業マンです」

「営業マンか。いいね。しかし、なんでまた付け込まれたんだろう?」

「入社三年目で、日常的にかなり過酷なパワハラを受けていたようです。アルケウス化する十四分前に、600ページあるフルカラーの美術書で上司の頭を割って殺害しています」

「なるほど。そこで破壊欲に目覚めたところを、付け込まれたか」

 男は顎に手を当てて、二秒だけ考えた。

「なおさら、トリカワポンズの相手にうってつけじゃないか」


『そう。あなたは元人事部長です。あなたの職業倫理を思い出してください』

 両腕を回し続けたまま、トリカワポンズは男の言葉を理解しようとした。

「職業倫理?」

『そのアルケウスは若手の営業マンです。あなたは人事部長。相手がなにをされたら喜ぶのか、その逆に、なにをされたら嫌がるのか、誰よりも理解しているはず。あなたの必殺技は、かならず有効に作用します』

 トリカワポンズはアルケウスの顔を見上げた。眼窩から漏れる黒い霧は怨念のようにも見える。

「必殺技なんて、どうやったらいいんだ」

 そのときトリカワポンズは、世界が銀色に染まっているのに気づいた。

『サングラスがあなたを導きます。彼我の状況を捉えて、チャンスが訪れたとき、そのサングラスは銀色に輝くんです。まさに今』

「どうすれば?」

『委ねてください。あなたの心にいる人事部長に、すべて委ねてください』

「わたしの心にいる、人事部長に……」

 サングラスの発光が強くなり、その銀色の輝きがトリカワポンズの全身を包んでゆく。

「わたしの心にいる、人事部長……」

 トリカワポンズの身体が浮かび上がる。彼は両腕の回転を止めた。

 攻撃から解放されたアルケウスは、全身を鳴動させたあと、すばやく反撃体制に入った。異形の右腕を高く掲げ、鉤爪を光らせる。

 銀色の輝きに包まれたトリカワポンズは空中に静止した。両腕を水平に広げたその姿は、十字架のように見える。

 トリカワポンズの心から雑念が消え、意識もなかば消失している。そして彼は、無自覚なまま、必殺技を繰り出していた。


年功序列インモビリティ・ピラミッド!!」


 その激しい発光は赤坂全体に及んだ。

 現場近くにいた者はその視覚を瞬時に奪われた。アゲダシドウフとナンコツの視野のみが、サングラスによって守られる。

 光の中でアルケウスは動きを止めた。振り上げていた異形の右腕が、ゆっくりと下がっていく。腕だけではない。肩の位置も落ちたようだ。

『いい必殺技だ! 頑張っても評価されない年功序列で、ヤツの意欲を奪った!』

 サングラスはまだ銀色の光を放っている。

『トリカワポンズ! 続けてもう一発!』

 空中で静止したままのトリカワポンズは、さらに必殺技を繰り出した。


上下関係ザ・ヒエラルキー!!」


 アルケウスの全身が振動し、黒い霧がざわつく。数秒の静止のあと、アルケウスはその体躯を小さく丸めてゆく。やがて足を折り曲げ、アスファルトに上半身を投げ出した。

「こ、これは……」

 ナンコツが呟く。

「まるで……土下座」

 アゲダシドウフが汗を拭う。

『これも効いています! 目上に逆らったことで、急速に不安に駆られたのでしょう!』

 男は興奮を隠さない。

『さぁ、トドメを刺しましょう。サングラスはまだ銀色のままです』

 導かれるように地上に降り立つトリカワポンズ。自らの足で歩みを進めて、アルケウスの前まで来ると、その肩にあたる部分にそっと手を添える。

 そして最後の必殺技を放った。


解雇レイオフ」 


 赤坂は三度目の強い光に包まれた。光の中で、アルケウスは上体を起こし、天に向かって咆哮するような仕草を見せる。それが最後の動作だった。

 アルケウスだった黒い霧は、風に乗って散り、あとにはなにも残らなかった。

 静かになったからだろうか、ここに向かっているであろう数種類のサイレンが、やたらと耳についた。



「お……終わった?」

 ホムンクルスの相手をしていたアゲダシドウフとナンコツは呆気にとられた。あれだけ無数にいた相手が雲散霧消してしまったのだ。

 しばらく肩で息をしていたトリカワポンズは、意を決したように振り返る。視線の先にはエレオノーラ美咲の姿がある。

 彼女は無事だった。

 彼女のもとに歩みを進めるトリカワポンズ。

 ふくよかな両腕で彼女を守り続けたアゲダシドウフは、むしろ一歩下がった。この瞬間は、トリカワポンズのためにあるべきだ。そう考えたのだろう。

 立ち上がることができないままのエレオノーラ美咲に、トリカワポンズが右手を差し伸べる。少し躊躇ったのち、彼女はその気持ちに応えようとした。

 ふたりの指先が触れ合おうとするその瞬間、三人は地下室に転送された。

「おかえりなさい! いやぁ! 初陣にして初勝利とは!」

 白衣の男が拍手で迎える。

「必殺技の三連コンボ! 素晴らしかったなぁ!」

「うそでしょ」

 呟いたのはアゲダシドウフだった。

「うそじゃないですよ」

「いや、そうじゃなくて。このタイミングで転送します?」

「なにか問題でも?」

「もうちょっとこう、余韻というか」

「余韻になんて浸ってたら、逮捕されちゃうじゃないですか。どう考えても皆さんがやらかした惨状にしか見えないでしょ」

「そうかもしれないですけど」

 アゲダシドウフは口をつぐんだ。

「あの、だ……大丈夫ですか?」

 ナンコツはトリカワポンズに声をかけたが、返事はない。ただ、右手を差し出す姿勢のまま、硬直している。その口は開いたままだ。

「今日のMVPは間違いなくあなたです。トリカワポンズ」

 その右手を握ったのは、白衣の男だった。彼はトリカワポンズの右腕を高らかに掲げた。

「ユーアーチャンピオン! いえぇい!」

 トリカワポンズの目に、怒りという名の生気が戻り、数秒後、白衣の男のメガネにヒビが入った。


   *


「大佐。攻撃と対立のアルケウス、やられましたね」

「うん。やられちゃったねェ」

「意外でした。今回のはなかなか良い出来でしたから」

「まぁ、やつらにとって初陣だから。ご祝儀だ。あのコの破壊欲求を満足させられなかったのは残念だけどねェ」

「あのタイプは強いのですが、全てにおいて直線的なのが玉に瑕です」

「そういえば、もう一体の仕込みのほうはどうだい?」

「順調といっていいでしょうね。飽和にむかってます」

「そうか。そりゃ楽しみだねェ」

 大佐と呼ばれた男は、伊勢名物の赤福を頬張った。

「ええ。もうしばしお待ちを」

 エプロン姿の男は、大佐のかたわらに熱い緑茶を置いた。



第一話 攻撃と対立 完


第二話 承認と顕示へつづく

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