さよならこの世に呪いあれ

牧野ちえみ

長寿の王国

 勇者一行が悪い魔法使いを倒したという触れは、国中を雷光のように駆け巡りました。恐怖に慄き、家に閉じこもっていた人々は大喜びで家を飛び出して騒ぎました。

 悪い魔法使いは、元々は腕の立つ治癒師でした。けれどある日を境に、人々を不死の化け物に変える悍ましい呪術を編み出し、国を混乱に陥れたのでした。死にたいけれど死ねない、そう苦しみながら街を徘徊する悍ましい化け物に、人々は悪い魔法使いを殺せ!と口々に叫んでは、けれどなにもできないまま夜に怯えて暮らしていたのでした。昼の明るい光に、不死の化け物は耐えられません。夜を好んで徘徊する彼らはけれど、元々は誰かの大切な家族です。祓うことも殺すこともできず、昼間は安らかにベッドで眠る不死者に救いをもたらしてくれと、人々はあらゆる治癒師に縋りつきました。けれど、悪い魔法使いの編み出した呪いは強力で、魔法使いを倒さなければその呪いは解かれることはなかったのです。


 国は平和になりました。

 勇者の持つ聖剣が、魔法使いの胸を深々と突き刺しました。

 もう二度と、不死の化け物は生まれなくて済むのです。


 勇者が悪い魔法使いを倒すように依頼した王様の元へ戻ると、王様は大仰に喜んで見せました。豊かな口髭をさすりながら、深く深く頷いて。

「おお勇者よ、よくぞ悪い魔法使いを倒してくれた。褒美はなにがいいかね」

「ありがとうございます、王様。ですが俺には欲しいものなどありません。せっかくの申し出ですがお断りします」

「そうかそうか。君は欲がないな。だが、せめて、君に貸し与えた聖剣は貰ってくれ。国宝だが、あの男を退治してくれた君にこそふさわしい」

 わかりました、と勇者・フィーロは頷きながら、悪い魔法使いの最後の言葉を、頭の中で反芻していました。聞き間違いでなければ、姉さん、と言っていた気がします。何だかもやもやする気持ちを抱えつつも、王城を後にして、馴染みの酒場に戻ると、ギルド長の娘が近づいてきました。彼女は悪い魔法使いを倒したときに一緒にパーティーを組んでいた、頼れる仲間です。フィーロは飲んでいたエールから口を離して「やあ」と声をかけました。

 アメリアーーギルド長の娘の名前ですがーーは、眉間に皺を寄せたまま、酒の肴をフィーロに提供します。

「ねえ、フィーロ。この手紙、読んだ?」

「手紙?」

 そう、とアメリアは悲しげにまつ毛を伏せます。いつも笑顔が可愛らしい彼女が、こんなふうに曇った表情を見せることは珍しいことでした。大きな蜘蛛型のモンスターが出た時も、ぬかるみに足を取られて泥だらけになった時も、悲しむことだけはしなかった少女です。フィーロは何事かと、彼女が手にしていた手紙を手に取りました。


 “親愛なるローズへ”


「これ、何の手紙だよ」

 ローズという女に心当たりはありませんでした。裏を見て、と囁くアメリアの声に導かれるまま裏面の宛名をみて、フィーロは息を止めました。


 “君の小さな弟。君の自慢の治癒師、エルファン・イーストウッズ”


 それは、悪い魔法使いの名前でした。

 悪い魔法使いが、姉に向けて差し出した手紙なのでしょう。

「アメリア、これ……どこで?」

「……彼を倒した時に、拾ったの。ほら、私のクラスって、盗賊でしょう……」

 黒いローブに仕舞い込まれてたのを、つい。バツが悪そうに目を伏せて、アメリアはフィーロから手紙を取り、開封します。羊皮紙に書かれた、なんてことのない普通の手紙でした。

「もう、読んだのか」

「うん。……フィーロも、読んだ方がいいと思う。彼を、倒した責任を感じるなら」

 アメリアはおかしなことを言います。フィーロは飲み掛けのぬるいエールに口をつけて、手紙を開いて、読み始めました。


『拝啓、親愛なるローズ姉さんへ。

 とはいえ、君はもう死んでいるから、ここに書かれるのはただの僕の独り言だ。

 

 姉さんを失っても、この世界の人間は相変わらず何にも考えずに、見たくないものから目を逸らして生きているよ。

 みんな、姉さんを失った理由を忘れて、ただ“この世界から治癒師が一人いなくなってしまった”としか思っていないみたいだ。滑稽だよね。

 僕も姉さんみたいに立派な治癒師を目指していた。

 国立治療研究院に通うために奨学金を貰って治療師見習いになって。何年も勉強して、誰かのために役に立てるって信じて、ずっと頑張ってきた。姉さんみたいに、病や怪我で苦しんでいる人のために頑張ってる、立派ないい治癒師になるんだって。

 けど。

 人間たちは。

 僕たちがどんなに頑張っても、罵声を浴びせてくるし。

 努力したってどうしようもない患者が死んだら、僕たちが殺したと詰ってくる。

 たまにもらえる感謝の気持ちで、一時的に感情の損耗が抑えられても。

 百個の感謝をもらえたとしても。

 一つの大きな悪意で、僕らは簡単に挫けてしまう。

 そんなことを考えていた矢先に、姉さんが殺されて、僕は頭が真っ白になったよ。

 「お前が父さんを殺したんだ」って叫んだ、狂った依頼人に刺し殺されたなんて、さ。あんまりだと思わない? 姉さんはそいつらのために寝食を惜しんで手を尽くしていたのに。もう、その患者はとっくにボロボロで、どうやって幸せな最期を迎えるかを考える段階だったのに。

 

 まだ生きていてほしい、まだできることがあるはずだ。

 なぜやらないんだ。

 治療師だろう。


 そんな傲慢な考えが暴走して、姉さんを殺したっていうんだ。

 許せるわけ、ないだろ。


 その時気づいたんだ。

 こんな奴らのために、心を砕いてやる必要なんてないって。

 人間はいつか死ぬ。でも、そのことから目を逸らし続ける奴らのために、僕らの技術を尽くしてあげるなんて、馬鹿馬鹿しいって。

 

 だから。

 決めたんだ。


 僕は人間を救わない。

 僕は人間を許さない。

 そんなに長生きしたいなら、僕がお前たちを死ななくしてやる。

 傷は癒さない。病は治さない。老いることはやめさせたりしない。腐り落ちていく内臓を抱えた不死者を、永遠に家族として養い続けていけばいい。

 そうして愛する不死者に囲まれて、徐々に衰退して滅んだ国は、きっと何よりも美しいと思うよ。


 ごめん、姉さん。

 さようなら、姉さん。


 僕は今日、いい魔法使いをやめます。

 あなたの愛した優しい治癒師は、あなたを殺した人間たちを呪って、呪って、呪いつくして。

 やがては国を滅ぼすでしょう


 もう二度と会えない、僕の姉さんへ


 地獄より愛を込めて エルファン』


 手紙を読み終えたフィーロは、アメリアと顔を合わせたまま、言葉を失ってしまいました。





 昔々、長寿大国として栄えた王国がありました。

 王国は優秀な治癒師によって支えられていましたが、一人の男がそれをやめ、悪い魔法使いになり、人が死ねなくなる呪いを振り撒きました。

 勇者が、悪い魔法使いを倒しました。

 けれど、国は滅びました。

 その頃にはもう、誰も治癒師になんてなろうとしなかったのです。

 病を癒すものがいなくなった王国は、流行病で一瞬にして滅んだと言います。



 めでたし、めでたし。

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さよならこの世に呪いあれ 牧野ちえみ @nikuasupara

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