四章 第九話
1
そこには地球の複製があった。二一世紀のとある刹那を、ほぼ完璧に切り取った複製。人間を含めた動物だけが、取り除かれているようにも見える。電線に
止まってさえずる鳥も、路地裏から姿を見せる猫も、鞄を持って行き交う人々もこの地球上には存在しない。
アモルファス・ウォルフはその上空の、空間の歪みから現れた。
ハガネ達は既に乗り込んでおり、ウォルフも手に剣とライフルを持つ。いつ戦いが始まったとしても、即座に対応が可能なように。
もっともこれが試験である以上、ルールの解説はまた有るのだが。
『ドクージョ・エーンド・ボッチメーン! ヒャッハー賭け試験の始まりだあ! しかーし! 一応! その前に!? かるーくルールを説明しておく!』
語尾の音程を何故か上げ、マッドハッターが楽しげに言った。
因みに彼は円形の舞台で、マイクを手に司会をやっている。
『現在ウォルフは日本上空! ゼグヴェルはブラジルの上空だ! 所謂地球の反対側だな! この位置から試験は開始される!』
彼の言ったゼグウェルはタイタンだ。ビーハイヴが操る機体である。ビーハイヴとと同じく黒い色で、ハガネも幾度かは見たことがある。
『ルールは簡単! どちらかが負けを認めた時点で決着だぁ! 勿論戦闘不能でも! 負けになるから一応注意しろ!?』
ビーハイヴに負けを認めさせるか、ゼグヴェルを完全に破壊するか。ハガネがこの試験をパスするのは殆ど不可能にも思われる。
しかし試験をパス出来ないのなら、自らの影に勝てるわけもない。
「てなわけでカウントダウン開始だ! 10・9……0! スターティン!」
こうして緊張感の中、ハガネの試験は始まった。
敵はまさに地球の裏側だ。問題は“接近する手段”だが──ハガネは試験の開始と同時にアモルファス・ウォルフを後進させた。
次の瞬間、ウォルフが居た場所をビームの筋が何本も貫く。地球一個分を貫通させて、ウォルフの位置を狙撃してきたのだ。ハガネが感性で躱さなければ、一瞬で戦いは終わっていた。
もっとも危機はまだ去ってはいない。狙撃は継続して行われた。しかも回避したウォルフの位置を、見えているかのように正確に。
「わーわー! なんで私達の場所が!?」
「フィールドで感知しているようです」
レフィエラがミウに指摘したことで、ハガネも直ぐ状況を理解した。
ビーハイヴはマナの膜を広げて超広範囲を包み込んだのだ。つまりウォルフの周囲には現在、薄い彼のマナが広がっている。
「こちらもフィールドの膜を広げる」
そこでハガネは直ぐに対処した。
ウォルフもマナを大きく広げれば正確な位置はわかりづらくなる。ウォルフのマナは通常より多量。精緻なコントロールも要さない。これが最適解と言えるだろう。ビーハイヴの狙撃に対しては。
「退けたか。師匠の読み通り、恐ろしい速度で進歩している」
ビーハイヴが地球の裏で言った。
彼のゼグヴェルはライフルを構え、その銃口を地球に向けている。しかし射撃は一度止めていた。対処されたことに気付いたためだ。
まだ彼の優勢は揺るがない。ハガネ達もそれは理解していた。
「問題はどう近づくか、ですね。見つかった途端また撃たれますし」
ミウが言って手を唇に当てた。
アモルファス・ウォルフは飛行している。そして敵は地球の裏に居る。地球はほぼ球体と言えるので、方位によって距離は変わらない。無論表層を真っ直ぐ飛べばだ。一度宇宙に離脱する手もある。
ハガネは即断して行動した。ビーハイヴに対処されないうちに。ウォルフの持ったライフルにマナを、集中して地球に照準する。
ビーハイヴの行動に似ているが、目的は彼とは全く違う。
「さっきの良い話が台無しに!」
ミウはそれを察して突っ込んだが、ハガネが射撃を止めることはない。
ライフルから光弾が放たれて、偽地球のコアで炸裂をした。真の最短距離を進むには、偽地球の存在が邪魔である。それに偽地球が粉砕すれば、破片が目隠しにもなるだろう。
ミウは驚き、レフィエラは呆れて、アイリスだけが耳をピコッとした。
2
ハガネが偽地球を割った頃──フランベルジュ、ゲンブ、恐れし者はモニターの前で観戦していた。リビングでフランベルジュは紅茶を、恐れし者は麦茶を飲みながら。
「おおう。ハガネ殿もやるでござるな」
「私のハガネだもの。当然ね」
「君のではないと思うがな。しかし、確かに腕を上げている」
ゲンブ、フランベルジュ、恐れし者もまったりと観戦のムードである。
ビーハイヴが見たら怒りそうだが、幸いにも彼は戦っている。
「ところで二人は賭けたでござるか?」
「貴方は?」
「拙者は我が友の勝ちに」
ゲンブとフランベルジュに至っては賭けをおつまみにしているくらいだ。
「彼等も災難だな」
それを見て、恐れし者は足を組み替えた。
3
地球の殆どは高温であり、高圧の状態に置かれている。人間が住む個体状の地殻──それは厚い場所でも数十キロ。その下はマグマ。更にその下は、マグマ以上に高温の何かだ。そんな球体を爆発させたら、一体どんな事態に陥るか? いくら宇宙が真空と言えども簡単に冷えて固まりはしない。
冷却された部分は赤黒く、熱を持った部分は赤熱し、巨大な隕石の如き破片がそこかしこに浮かんでぶつかり合う。
その地獄の様な景色の中を、ビーハイヴのゼグヴェルが飛んでいた。
大きな質量を持つ破片でもゼグヴェルのフィールドは侵せない。一方で彼の目を幾ばくか、誤魔化すことが出来たのも事実だ。フィールドによる位置の把握には、ハガネ達も対処を施した。この状態で索敵をするのはビーハイヴもハガネにも困難だ。
「どうしたハガネ。ワタシはここに居る。お前なら感知できているはずだ」
解った上でビーハイヴが言った。
彼が動いているのはゼグヴェルをハガネ達に発見させるためだ。事実ハガネは発見しているし、仕掛けようと思えば仕掛けられる。問題はビーハイヴ本人が、それを望んでいるという事だ。
罠か。対処する自信があるか。ハガネには見当も付かないが──しかし仕掛けるよりは他にない。彼相手にリスクは避けられない。
静から動へ。感知されるよりも、速くゼグヴェルをソードで斬り裂く。
その直前、ハガネが置いておいたライフルがゼグヴェルを狙い撃った。ウォルフと離れた位置からの射撃。ビーハイヴは一瞬気を取られる。
同時にウォルフは地球の破片の──内部から全速で突撃した。アモルファス・ウォルフを破片の中に、埋め込みその巨体を隠して居た。破片をマナで弾き飛ばしつつ、刹那に加速しゼグヴェルの元へ。この奇襲を受けたのがハガネなら対処出来ずウォルフは破壊される。
「悪くない。気配の消し方も。襲いかかる一瞬の勢いも」
だがゼグヴェルは斬撃を防いだ。
ウォルフのソードがゼグヴェルの指に──たったその二本に止められていた。マナのことを学んでいなければ、奇術の様に感じていただろう。
よってハガネは即座に理解した。指先にマナが集束している。ソードが衝突するその場所に、マナを集めて受け止めたのである。
奇襲を仕掛けられておきながら。彼は間違い無く達人である。
ハガネは気付いた瞬間に、ウォルフを全速で後退させた。防がれたソードから手を離し、無手のウォルフが即座に距離を取る。
それと同時にゼグヴェルの右手に握られたライフルが首を擡げ、銃口から光が放たれた。細く鋭い金の光線が。
光はウォルフを僅かに掠めた。そして背後の破片を破壊した。
「そして剣を捨てたその判断も。捨てていなければ撃ち抜かれていた」
直後にゼグヴェルが受け止めていた、ウォルフのソードがひび割れ砕けた。タコの触手が絡みつくように、マナが巻き付いて粉砕したのだ。
「卓越したマナのコントロールだ」
「あのー……武器は?」
「予備を転送する」
ミウに答えるとウォルフの腕に、新たな剣と銃が握られる。
武装の補充は無事成功した。しかしハガネの不利は変わらない。現在ウォルフとゼグヴェルは、多少距離を取り向かい合っている。
この状態から、再び彼の知覚の外に逃れるのは厳しい。撃破するのもまた厳しいのだが、背を向け隙を作るよりはマシだ。
ハガネは彼との戦闘を選び、ウォルフは横方向に加速する。そしてライフルを連射する。牽制にすらもならないとしても。
「まだ勝利への意思を感じさせる」
ビーハイヴは言い、ゼグヴェルは躱す。ビームは命中せず通り過ぎる。
タイタンは巨大な兵器であるがゼグヴェルは驚く程俊敏だ。
「アイリス。レフィエラ。頼みがある」
それを確かめてハガネは指示した。秘策と言うには拙いモノだが。
「わかった」
「ハガネ様。お任せを」
幸い二人は許諾してくれた。その間も銃撃は交差する。ウォルフとゼグヴェルが破片を縫って、互いにライフルからマナを放つ。
破片をブラインドに使う限り、微かにだが回避は容易になる。それでも長引けばハガネは不利だ。よって仕掛けはハガネから行う。
「ここだ」
破片が視界を遮って、次に互いを見つけ合う瞬間。ウォルフはゼグヴェルへと進路を変え、ライフルを捨てて斬り捨てにかかる。
剣を横向けに構えて突進。そして──ゼグヴェルにぶつかった。肩から肘にかけての部分から、体当たりしたと言って良いだろう。
しかしそのウォルフは、ウォルフではない。アイリス達が作った偽物だ。四人が搭乗しているウォルフはマナの総量に於いては優れる。ウォルフが纏っているマナを含め、偽物を作っても足りるのだ。それに加え、アイリスとレフィエラは魔法を使うことに長けている。
「……!」
そこでハガネはウォルフを──避けさせた。
ハガネ自身、意味がわからなかった。攻撃の起点を作ったはずだ。しかしハガネは悪寒に従って、ウォルフを後方へと加速させた。
結果、恐ろしい威力のビームが本物のウォルフを掠めていった。もしもウォルフに直撃していれば、光に呑み込まれていただろう。射線上の破片は消滅し、宇宙空間に道が出来ている。
ウォルフも衝撃で吹き飛ばされて、偽地球の破片に激突した。激突して幾つかを粉砕し、ようやく姿勢制御出来たほどだ。
手品の種はハガネと同じ物。偽ゼグヴェルが弾け、消滅する。偽ウォルフが粘土の人形なら、偽ゼグヴェルは人型の風船。エネルギーの消費が少ないので、本物が本物を狙い撃てる。
そしてハガネが知るビーハイヴなら、ここから更に追撃するはずだ。
しかし──「合格だ」彼は言った。
同時にゼグヴェルがライフルを捨て、ビーハイヴと共に腕組みをする。
言葉に真実味を出すためか。単に思考をするための仕草か。
「今の一撃を凌ぐなら、私も殺す気で行かざるを得ん。だが今貴様らを殺す気は無い。よって合格だ。理解は出来たか?」
ビーハイヴはジョークも言わなければ、下らない嘘を吐いたりもしない。
良くも悪くも真面目な人間だ。それが時に危険でもあるのだが。
「感謝する」
「感謝など必要無い。ワタシが判断しただけのことだ」
溜息に近い音を慣らしつつ、ビーハイヴはハガネに対し言った。
「貴様らはわかっていないだろうが、師匠はあの通りひねくれている。おそらくはワタシも試されていた。より良い判断が出来るかどうか」
思慮深い彼の言う事だ。恐らく間違いではないのだろう。
ハガネはようやく緊張を解いて、頭を少し後ろに傾けた。
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