四章 第五話



 風がさらさらと草木を揺らし、木漏れ日は美しく変化する。

 ハガネはそのような景色の中で、片足を上げて──固まっていた。正確には歩いている途中に、時間を止められたようなポーズだ。

 何故このような事をしているのか。その近因は今朝の記憶にある。


 ―――――――――――――――


 ゴトリと、モノを下ろす音。バタバタと行き来する足の音。ハガネが目を覚まして感じたのは、得も言われぬ騒々しさだった。意識がよりはっきりしてくると、その理由がハガネにも見えてくる。

 西洋の、それも豪邸のような家の中に置かれたソファーの上。ハガネはそこに仰向けで寝ていた。正確に言うなら寝かされていた。


 ハガネは戦闘中に気絶して、それからの記憶が抜け落ちている。しかし体は全くの無傷だ。と、言う事は回収されたのか。

 何者かがハガネを救護して、何故かソファーの上に放置した。そんなことをしそうな人物は、このセプティカに於いても限られる。


 その彼の弟子が機械の箱を、抱えてハガネに近づいた。


「目覚めたか。予想より早かったな」


 ビーハイヴが言って、足を止める。

 彼ならハガネを救えるだろうし、ハッターの指示にも従うだろう。わからないのは何故この場所にいて、機械の箱を運んでいるかだが──


「お前がゆっくり寝ていたおかげで、ワタシは労働を強いられている」


 ビーハイヴが説明しようとした。


「ほあちょー!」

「へぶあ!?」


 説明しようとしてキックされた。それも頭部を横から跳び蹴りで。

 だがビーハイヴは根性で、箱を落とさず守り切っていた。もし落としたら更なるお仕置きが彼を襲うからかもしれないが。


「ヒャッハー! なに油を売ってやがる! つか大将のせいにするんじゃねえええ!」

「はい。すいません。師匠の指示でした」

「そのとおり! ヒャッハーオレの指示だ!」


 蹴ったのはご存じハッターである。

 ビーハイヴはそれで仕事に戻り、代わりにハッターが説明をする。


「ヒャッハー大将! 調子はどうだ!?」

「心身共に不調は感じない」

「そいつはヒャッハー何よりだ! だがまだ大事を取って休んでな!」


 体を起こしてソファーに座ったハガネを見て、ハッターは言った。


「大将が気絶している間に! オレらは引っ越し作業をしていた!」

「引っ越しの話は聞いた気がする」

「ヒャッハーそれだ! ここが新住居だ!」


 ハッター曰くこの豪華な家に、ハガネは住まうことになるらしい。

 美しいことは良いことではある。しかし落ち着かないような気もする。


「このインテリアは君の趣味なのか?」

「フランベルジュのだ! オレの趣味じゃねえ! まあビーハイヴの趣味よりマシだろ!? 萌えポスターとか貼り付けてねえし!」

「なるほど」

「いやそこ! 納得するな! ワタシの部屋はいたってシンプルだ!」

「シンプルにフィギアを置いてるんだな!?」

「それはまあ、否定はしませんが」


 途中でビーハイヴが戻ってきて、ハッターに見事に撃墜された。

 と、そこに騒ぎを聞きつけたのか、ミウ達がゾロゾロ集まってくる。


「ハガネさん! 目を覚ましたんですね!」

「うん。よかった。だいじょうぶ?」


 ミウとアイリス。

 それだけではない。


「私が貴方を回収したのよ? だから感謝しろとは言わないけど」

「いやはや。おなごは怖いでござるな。回収したのは事実でござるが」


 フラムとゲンブ。

 まだ続く。


「ご自愛ください。ハガネ様。貴方が傷つくのは、困ります」

「それは私も同感ではあるが、君の言葉には含みを感じる」


 レフィエラと、そして恐れし者。

 ハガネ、ハッター、ビーハイヴ込みで実に九人も──居る事になる。


「ヒャッハー! てなワケで今日からここで! 全員纏まって生活をする! 超強化合宿的なアレだあ! 尚一切不満は受付ねえ!」


 ハッターはそこで嬉々として言った。

 驚いたのはハガネだけなので、他のメンバーは知っていたはずだ。一方のハガネの方はと言えば、元々丸い目を丸くしていた。



 引っ越しが一段落付いた後。ビーハイヴは修行を付けていた。ハガネ達とは全く別の場所。白いタイルの敷かれた空間で。

 正確にはフラムとビーハイヴ、ゲンブが修行を付ける側。ミウ、アイリス、レフィエラ、恐れし者が修行を課される側である。


 もっとも現在は休憩時間。皆揃ってモニターを見ているが。空間プロジェクターが映し出す、空中に浮かぶ大きなモニター。そこには片足を上げたハガネが、俯瞰視点で映し出されていた。


「これが、ハガネの特別メニューだ」

「固まっていますね?」

「そう見えるか?」


 ビーハイヴはミウに対し返した。

 ミウ達が気になると言ったので、この映像を映し出したのだが、本音ではビーハイヴその人も、ハガネの特訓が気になっていた。

 ただし訓練の方法は、ビーハイヴには既知のモノである。


「今あの領域には師匠による、フィールドのエリアが広がっている」

「広がっているとどうなるんですか?」

「師匠の意のままに世界が動く」


 ビーハイヴが腕を組んで答える。


「フィールドは支配の及ぶエリアだ。この中では多くが自由になる。敵の特殊能力は無効化し、支配者は影響を行使する。一例を挙げるなら転送だ。武器をフィールド内部に呼び寄せる」


 ビーハイヴはそこで呼吸を置いた。

 ここからが重要な所である。


「そして師匠の支配は別格だ。神々すら容易に握りつぶす。一方で師匠がそう望むなら、蝶ですらも自由に羽ばたきうる」


 ビーハイヴは右手を眺めると、拳を開いて、そして握った。

 上位の弟子であるビーハイヴすら、彼の領域には遥かに遠い。

 一方、質問をしてくる者が、ミウから恐れし者へと移った。


「それで彼を、締め付けているのか?」

「いや。マナに、閉じ込められている。ハガネが動こうとすれば同時に、師匠のマナはそれを押し返す。故に容易には動けない。マナを使いこなしていなければ」


 ビーハイヴやフラムならば動ける。過去に課された事があるからだ。

 無論、それはスタートラインであり出来なければ戦いにもならない。事実神々は抵抗も出来ず、一方的に敗者となっている。


「訓練をクリアする条件は?」

「師匠に攻撃を加えることだ。どうせ師匠に傷はつけられない。ワタシやそこのフランベルジュすらも」


 ビーハイヴは師匠を尊敬し、そして同時に強く恐れていた。



 ハガネは少し思いを馳せた後、再び体に力を込めた。しかし片足を上げたまま、指一本すらもまだ動かない。

 もし岩の中に埋め込まれたなら似た気分に浸れるかもしれない。もっとも今のハガネの力なら、岩など豆腐の如く砕けるが。

 とにかく、ハガネはマナを漲らせ、全力で動く努力をしていた。


 一方マッドハッターはと言えば、青空キッチンで料理している。ハガネから十数メートル向こう。広場に設置した仮設キッチン。マッドハッターは今丁度、ボールでホイップを泡立てていた。


「味覚センサー・オンヌ!」


 そして怪しげな言葉を叫び、人指し指をホイップに突っ込む。


「うまあああああ!」


 どうやら指に味を感じられる機能を付与しているらしい。恐ろしいのはその間ですらも全くマナが緩まないことだ。


 ハガネの力には緩急がある。例えば巨大な岩を押すように。どんなに鍛え込んだ人間でも、押し続けることは不可能である。

 しかしハッターはマナの操縦を一瞬たりとも緩めては居ない。ホイップを泡立てているときも。指を突き刺し味見をしたときも。訓練を開始して数時間、全くマナが乱れることがない。


 いったいどんな精神構造で、生きていればこのように出来るのか。


「それは?」

「ショートケーキのホイップだ! オレはこう見えて甘党だからな!?」


 ハガネが聞くとハッターが答えた。

 彼に嘘を吐く理由は無いので、真実だと考えられるはずだ。機械人が食事を摂ることなど、出来ないという点に目を瞑れば。


 と、ハガネが困惑していると──


「ところで大将! ちょっぴりオレと! 雑談的なモノでもやらねーか!?」


 珍しくハッターが言ってきた。


「雑談?」

「そう! 例えば昔話! 過去バナに花を咲かせる的な!?」


 ハッターは言いながらオーブンを、開けて焼けたスポンジを取り出した。

 それを長いナイフでスライスし、ショートケーキの土台を作り出す。


「オレはこっちに来てからなげーから! たまには思い出に浸りたくてな!? あっちでの生活はどうだった!? 出来ればロマンチックなヤツをくれ!」


 マッドハッターはホイップを、ナイフですくってスポンジに乗せる。そしてそれを均等に塗っていく。手慣れた手つきで、流れるように。


「君なら知っていると思うのだが、戦いと作業に明け暮れていた」

「大将の居た組織“教政府”は優生主義の組織だったしな!」

「優生主義?」

「優れた遺伝子を、バイオで残そうって考えだ! だから兵士や労働階級は! ロマンチックは禁止されているぅ!」

「なるほど」

「まあ馬鹿げた考えだ! なにせどでかい矛盾があるからな!? 愛を否定する者達が! 優れた人間であるはずがねえ! つまり奴らの理論に基づけば! 奴らがまず始めに淘汰される!」


 ハガネは言われて思い出してみた。

 当然、片足を上げたままでだ。


「ワタシは主義には興味は無かった。生きていくので精一杯だった」


 その結論がこの二言である。

 しかし過去を肯定してはいない。


「草木を愛で、野原を駆け回り、静かな水面に釣り糸を垂らす。そんな平穏に飢えていた。手に入れる能力は無かったが」


 ハガネにとっては過ぎた夢だった。殺す事を、義務づけられていた。

 もし拒否すれば即、撃ち殺される。ハガネはそう言う場所に生きていた。


 一方ハッターは薄切りにした、苺をホイップの上に並べる。動きを見ても楽しそうであるし、軽く捉えているようにも見える。


「ヒャッハー大将! だが今はどうだ!?」


 だが彼の問には、重みがあった。


「今は、ファントムと戦っている。しかし息苦しさは感じない」


 故にハガネも誠実に答えた。


「そいつぁ良かった! 何よりだぁ! 今度一緒に釣りにでも行くかぁ!?」

「君がワタシを誘ってくれるなら。静かな釣りになるかもしれないが」


 気が付くと浮いて居た片足が、しっかりと地面を踏みしめていた。

 ハガネは少しだけ動けたらしい。本当に少しだけではあったが。


「ただロマンチックはよくわからない」

「ヒャッハーそいつは生まれつきかもな!?」


 暫くしてケーキは完成した。

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