三章 第九話
1
宣戦布告が成された翌朝。ハガネは予定通り自室を出た。
ハガネの自室は新しい、リビングに直接繋がっている。フランベルジュの指定場所はそこだ。時間を守るのは難しくない。
「おはようハガネ。良い朝ね」
フランベルジュはそのリビングにある、ソファーでゆったりとくつろいでいた。
一方、その他の三人は、少しだけ距離を取って立っている。ミウとアイリスと、知らない少女。知らない少女が問題だ。
青いローブを身に纏う彼女は童話の世界の住人に見えた。フランベルジュやアイリスと同じく、ハガネとは出自が違うのだろう。
ハガネはそこまで予測していたが──
「彼女は?」
「レフィエラ。神様よ」
流石にそう言われて驚いた。驚いて、そして身構えた。
今更確認するまでもないがフランベルジュ領は開戦間近。精霊連合──つまり神々に、宣戦布告されたためである。イコール彼女が敵とは言えない。しかし警戒するのは当然だ。
「安心して。彼女は協力者よ。元々は……知らない方が良いわ」
「私が少し無理を言ったのです。貴方に直接会わせて欲しいと」
不敵な笑みで言ったフランベルジュ。申し訳なさそうにするレフィエラ。どちらが神かもわからない図だが、フラム曰く危険は無いらしい。ハガネにとっては二人共、強者であることは間違い無いが。
「決して危害は加えませんので、少し触れさせてくださいませんか?」
「ワタシに拒絶をする理由は無い」
ハガネはレフィエラに問われて言った。
フランベルジュが連れてきたのだから、おそらく彼女に危険は少ない。それにハガネが拒否をした所で、本気で来られれば逃れられない。
無言の笑顔で怒れるミウには、後で謝罪をする方針である。
「では……失礼致します」
そんな訳で、レフィエラは近づくとハガネの胸に静かに手を当てた。彼女の手は人よりは冷たいが、金属のハガネよりは暖かい。
そして魔法らしきものが発動。彼女の手が微かに青く光る。
「なるほど。これは、興味深いです」
光が消えるとレフィエラは、数歩下がってハガネを見て言った。
「貴方には高い素養があります。人間の中では非常に希有な」
「わかるのか?」
「少しだけですが。力の片鱗が感じられます」
穏やかな神の、穏やかな言葉。
もし神だと聞かされていなければ、礼儀の正しい少女にも見える。いや聞かされていても同じ事だ。しかし彼女の言葉には不思議と、強い説得力が宿っていた。
「じゃあレフィエラ用事も終わったし、本題の方に入りましょ」
一方実に領主然とした、フランベルジュが横から言ってきた。
「本題とは?」
「貴方との取引。びっくりするくらい素敵なはなし」
語尾にハートがついて居そうである。何か企んでいるとは思うが、ハガネに計り知ることは出来ない。
「実はハガネには戦争で、私のタイタンに乗って欲しいの」
取引の内容を聞いてすら、ハガネの思考は混乱していた。
ハガネだけでなくミウやアイリスも、驚きの表情を隠せない。
「貴方が操縦するわけじゃないわ。助手席とでも言えば良いかしら」
そんな空気をまるっきり無視して、フランベルジュは説明を続ける。
「ハガネ。貴方は狙われているわ。貴方が思うよりも大勢に。大部分は取るに足らないけれど、命を狙われる危険もあるの。戦争の間私は居ない。貴方は確実に無防備になる」
「つまりワタシを護衛するために、ワタシを戦場へと連れて行く?」
「理解が早くて助かるわ」
「いや、流石に理解出来ていない」
ハガネが命を狙われる場合、原因はおそらくウォッチャーだろう。彼を驚異に感じている者か、彼に恨みを持っている者か。将を射んとせばまず馬を射よ──その理論で言えばおかしくはない。ハガネはウォッチャーの馬ではないが、客観的にはそう見えるはずだ。
しかし戦場もまた、危険である。
だがフランベルジュは更に続けた。
「取引なのだし対価も払うわ。例えばそうね……システムと会える、大量のポイントでどうかしら?」
「尋常ではない」
「当然よ。私は元から尋常じゃないわ」
ハガネはフラムに思い知らされた。ハガネが理解を出来ていないのは条件ではなく取引相手だ。彼女はハガネよりも長く生き、ハガネより強く、そして聡明だ。考えをいくら巡らしてみてもハガネが彼女に敵うワケがない。
「ではせめて条件を追加したい。私が戦地に居る間、アイリスとミウをガードしてほしい」
そこでハガネはせめて交渉した。
ミウとアイリスは不満のようだが、彼女達までを連れてはいけない。しかしハガネが狙われているなら、二人も安全ではないはずだ。
「いいわ。じゃあゲンブに預けましょ。彼なら貴方も安心でしょうし」
「ビーハイヴは?」
「彼は参戦組よ。どうしても行きたいって、聞かなくて」
フランベルジュは直ぐに対応した。
ハガネの言い出すことなどおそらく、最初からお見通しなのだろう。
「因みに、戦争が始まるまでは彼とトレーニングをして貰うわ。ファントムを狩りに行くのも危険よ。言うまでもない事とは思うけど」
フラムはにっこり微笑んで言った。
2
取引成立。その結果を受け、ハガネ達は自由領域に来た。いつも訓練に用いられている、緑にあふれた空間にである。
ハガネ達はその地に立ち尽くし、一見呆けているように見える。しかしこれは立派な訓練だ。対峙するビーハイヴが担当の。
「なるほど。成り行きは理解した。だが何故ワタシが彼等に対して、訓練を付けてやらねばならない?」
「あら? トイレ掃除は嫌でしょう?」
「契約は……」
「完了していないわ。だから特訓に集中してね?」
怒気を孕むビーハイヴに向かって、フラムは涼しい顔でそう言った。
ビーハイヴは訓練をするために、ハガネ達の十数メートル前。フランベルジュは何故かその横で、レフィエラと紅茶を嗜んでいる。白い机に白い椅子を用い、気分は英国風ティータイムか。
「集中している。だがマナを制御するだけなら、特段苦労もない」
腕を組んで立つビーハイヴ。彼は今目には見えない力を、マナを周囲に張り巡らせていた。それは球体の形に広がり、ハガネ達をも包み込んでいる。
「問題はこの訓練方法が、確実とは言えないと言う事だ」
ビーハイヴの怒りは収まらない。装甲でお湯が沸かせそうである。
このまま放っておいても良いが、ハガネとしては彼に同情した。彼はこの訓練を終えぬ限り、どこに行くことも許されていない。所謂磔状態だ。或いはそれ目当てかも知れないが。
「ワタシ達は貴方のマナを感じ、マナを発生させれば成功か」
「そうだ。マナはソル・エネルギー、気、魔力を束ねる上位の力だ。三つの力の優れた部分を、併せ持つと思って貰って良い」
ハガネの策が功を奏したのか、ビーハイヴは大きく息を吐いた。
無論音声の上でのことだが、それで気を落ち着けはしたのだろう。ビーハイヴは更に静かな声で、ハガネにマナの説明を続けた。
「だがそれ故普通の人間には、マナを利用することは難しい。師匠……ウォッチャーが現れるまで、扱えるのはごく少数だった」
「何故ウォッチャーの登場で変化を?」
「習得する術を教えたからだ。師匠は優れているだけではなく、人間の力と地位を高めた。それ故神に敵視されている。彼等の手から人を解放した」
ビーハイヴにそこまで説明され、ハガネは深々と考え込んだ。
力を持ち、それを分け与え、人々から慕われる人格者。そんな超人が存在するのか? にわかには信じがたい情報だ。
と、そんなことを考えて居ると、唯一居た神がカップを置いた。そして徐に立ち上がる。花のように可憐な神、レフィエラ。
「それについては、謝罪致します。私達神々は高慢です」
彼女は凛として頭を垂れた。
流石のビーハイヴもそれを受けて、ばつが悪くなったと見受けられる。
「君は神の代表ではないし、ワタシは君を責めたわけではない」
「あら。明日は雪が降るかしら?」
「謙虚であろうとしただけのことだ」
フランベルジュに言われて否定した。ビーハイヴは本題に回帰する。
「とにかく、マナを扱えぬ者には、タイタンを操る事は出来ない。貴様らが上に上がりたいのなら、この能力を避けては通れない」
ビーハイヴがハガネ達を見据えて、また少し怒ったように喋った。
3
青く透き通る海の中。足下には色とりどりの珊瑚。熱帯の美しい魚達が、その周囲を自由に泳ぎ回る。
初日の特訓を終えたハガネは、何故か水中に浮いていた。いやその理由は明白だ。ハガネの隣に浮いて居た。水の神であるレフィエラが、服をヒラヒラと棚引かせながら。
ハガネは彼女に呼び出され、この空間へとやって来た。目的は会話だと聞いているが、ハガネにその真意はわからない。
「これが貴方の世界の海ですか。とても、艶やかな空間ですね」
そのレフィエラが、ハガネへと言った。
今、この場にはハガネとレフィエラ、二人きりだと言って良いだろう。もっとも正確には違っており、レフィエラの手に魚が寄ってきた。
「正確には二十一世紀ごろ。沖縄を再現しているらしい」
「オキナワ……ですか?」
「南の島で、観光が発達した土地だった。ワタシの時代にどうなっていたか、それは行っていないのでわからない」
ハガネはそんなレフィエラを横目に、誤解無きよう一応補足した。
「ワタシが生まれた時には既に、人類文明は自壊していた。最終戦争。環境の変化。人口は減り、争いが増えた」
「この美しい海も影響を……?」
「受けていないとは思えない。ただし、文明は自然を汚す。人が地球から減ったことにより、自然は回復したかも知れない」
「それはとても、悲しいことですね」
「当時はそう考えて居なかった」
顔を曇らせたレフィエラの横で、ハガネは珊瑚の上に移動した。
もし生存時にここに来ていても、景色を楽しむ余裕は無かった。
「静かに素早く水中を進み、発見されずに目的を果たす。拠点の設営、侵入、暗殺。海ではその技術を身につけた」
「それは何故?」
「今でもわからない。ワタシは何故存在していたのか」
ここで攻守交代。ハガネから、今度はレフィエラへと質問する。
「貴方は何故ワタシに干渉する? 多くの者はウォッチャー絡みだが、貴方はそう言う人には見えない」
「私はただ知りたかっただけです。私が“知らなかった”人間を」
レフィエラはそう言ってすいと移動、ハガネの正面へと回り込んだ。
そして近距離でハガネを見つめる。あるいは、まるで恋人のように。
その様子を珊瑚の影に隠れ、仰向けになって伺う二人──
「いやあ。覗きは楽しいでござるな」
「覗きではない。あくまでも護衛だ」
ゲンブとビーハイヴのコンビだった。
「それにレフィエラは勘づいている。ハガネは……ワタシには計れないが」
ビーハイヴは機械人であるので、溜息で気付かれる懸念はない。よってビーハイヴは通信上で、大きくわざとらしく息を吐いた。
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