一章 第六話



 紅茶の香るフラムの執務室。

 ハガネはアンティークなその部屋に、フラムに呼ばれまたも訪れた。

 するとフラム本人は兎も角も、他にも意外な人物が二人。

 一人はハガネのパートナーのミウ。もう一人は知らない機械人だ。

 だが機械人のカラーリングから何者かの予測は立てられた。先日ハガネとミウの両名を、吹き飛ばそうとした人物である。


「ご機嫌よう。ハガネ。来てくれたのね」

「貴方に呼ばれれば是が非でも来る」

「嬉しいことを言ってくれるわね。では早速本題に入るわね。この二人はミウちゃんとビーハイヴ。一人は貴方も知っているでしょう?」


 フラムはハガネに向かって言ったが、ビーハイヴの名も聞いた事がある。

 それもミウに関連したところで。


「ビーハイヴの方も名前は聞いた。ミウの所属する領地の領主だ」


 兵士に記憶力は必要だ。

 それにミウに関連する者なら、尚更記憶する必要がある。

 そして、そのミウの表情が暗い。或いはこの場に呼ばれた理由を彼女は知っていると言うことか。


「なら話が早いわ。実は今日、ミウちゃんの件で貴方を呼んだの」


 またも予測は当たっていたらしい。フラムが意味ありげに笑っている。

 彼女との付き合いはまだ浅いが、こう言う時は悪い用件だ。もちろんフラム本人にとっては逆に良い用件であると言える。


「貴方とミウちゃん、最近仲良くチームを組んで戦っているでしょ? それなのに所属領が違うのは合理的であるとは言えないわ」


 フラムは紅茶を一口飲むと、クスリと笑って三人に言った。


「そこでミウちゃんを彼の所から、引き抜くことにしたの。素敵よね」


 彼女の条件は明瞭だった。

 ミウを引き抜いて所属を変える。その価値がミウに有るかは謎だが、フラムは実行するつもりらしい。

 つまりこれからするのは取引だ。

 ビーハイヴの腹づもり次第だが。


「問題無い。条件を呑むのなら」


 意外にもと考えるべきなのか。ビーハイヴはサラリと了承した。

 しかし問題は条件だ。ふっかけられる可能性もある。普通に考えればポイントだがミウの価値はいかほどのものなのか──


「条件は二つ。まずハガネとやら。彼のデータを提供して貰う。二つ目は私と君の模擬戦。定期的にやらねば腕がなまる」


 ハガネには計り知れぬ物だった。

 このビーハイヴと言う機械人、ポイントには興味がないらしい。

 それは一応理解出来るのだが、ハガネのデータとは意味が不明だ。


「ワタシのデータに価値など有るのか?」

「それはワタシが定めることだろう。それでフラム。この条件を呑むか?」


 ビーハイヴはハガネの疑義を無視し、フラムに対して静かに聞いた。

 その声色は非常に無機質で、感情を読み取ることは出来ない。

 一方のフラムは、また笑った。


「良いわ。データは転送するわね。模擬戦はこの場所でも良いけれど、その場合被害は避けて貰うわ。肝心の二人が死んでしまうし、私この部屋が気に入っているの」


 まるでビーハイヴが出す条件を予期していたかの反応だ。

 と、言うより予期していたのだろう。それも正確に、狂いなく。


「まて。データは生体だけにあらず。ワタシは彼の来歴が知りたい。故にワタシが彼に今直接、この場で問うことを要求したい」


 だがビーハイヴは不満を述べた。

 何故そこまでハガネにこだわるのか。気にならないと言えば嘘になるが。


「ハガネは良い?」

「別に構わない。隠すような過去も、持ってはいない」

「ならポイントはワタシから払うわ。それと他言無用も着けるわね」

「了解した。なんでも聞くと良い」


 ハガネはフラムに聞かれて答えた。

 それでポイントが貰えるのならば、ハガネとしては断る意味も無い。

 そこで問答が始まった。


「では問おうハガネ、君は何者だ? どのような世界から転生した?」

「少々長くなるがそれで良いか?」

「構わん。時間ならば無限にある」


 ビーハイヴのスタンスは揺るがない。


「ではワタシの生まれから始めよう」


 ハガネはその疑問に答えるため、記憶を探りながら語り出した。



 西暦二二六〇年。ハガネは地球の日本に生まれた。

 もっともこの時既に国という、枠組みは機能していなかったが。我こそ日本政府と主張する、組織が乱立する荒れた土地。アサルトライフルや爆薬を手に、果て無き闘争に明け暮れていた。

 直人と言う名で生まれたハガネはその内の一つで生まれ育った。教導日本政府──教政府と略して呼ばれる組織の子として。


 直人はそこで実の母親から教政府軍へと“提供”された。

 よって母親の顔は知らないし、父親を見たとしても判らない。人としての権利は元より無く、兵士となるべく教育を受けた。

 幼少期から体をいじめ抜き、気づいた時には銃を持っていた。十から後方支援に回され、十二で敵の頭を撃ち抜いた。

 任務は殺しだけではなかったが。汚染され荒れ果てた地の開墾。要塞、地下施設の設営など。直人は教政府に命じられ、あらゆる任務に従事した。


 そしてあの日、直人は銃を持ち──逃亡した兵士を追っていた。

 裏切りも逃亡も許されない。それが教政府の鉄の掟だ。直人達は彼等を発見し、捕殺することを命じられていた。

 だが結果として狙撃され、直人は十六で命を落とす。今思えば待ち伏せされていた。他の勢力に下ったのだろう。


 とは言え今はどうでも良いことだ。

 直人はこの世には居ないのだから。



 フラムの部屋でハガネは三人に、包み隠さず正直に話した。

 すると三者三様と言うべきか。それぞれに違う反応を返す。

 フラムは呆れた顔で聞いていた。ビーハイヴは腕を組み無表情。ミウは哀しいような辛いような、複雑な表情を浮かべていた。


 そのミウがハガネへと語りかける。

 これが今日初めての発言だ。


「ハガネさん、大変だったんですね……」

「今思えばそうかも知れないが、当時は当たり前に感じていた」


 ハガネはそれに端的に返した。

 残念だがハガネの心はまだ、故障してしまったままなのだろう。

 とは言え今はハガネの心より、対処せねばならない事がある


「このような情報で良いだろうか?」

「問題は無いが、疑問は増えた」


 ビーハイヴがハガネに返答した。

 彼は納得してはいないらしい。


「何故フランベルジュは君を選んだ? 何故必要以上に目をかける?」


 彼はそれを知りたかったのだろう。

 しかしハガネにもそれはわからない。そもそもフラムがハガネに対して目をかけているとは思わなかった。

 するとハガネに代わりそのフラムが、ビーハイヴと静かにやり合い出す。


「私彼みたいな子がタイプなの」

「それだけか? 君がランク1などに、構うなど、普通は有り得ない」

「妬いてるの?」

「話を逸らすのはよせ。いつもは部下に任せきりの君が、彼のような弱兵を呼び出した。何かもっと理由が有るはずだ」

「それは契約には含まれないわ」


 フラムはノラリクラリ躱していく。人をからかうように笑いながら。

 それを見てビーハイヴも諦めた。少なくともこの場では諦めた。


「良いだろう。では二つ目に入ろう」

「手合わせね。いつものやり方で良い?」

「構わない。君と本気でやったら、私など一溜まりもないだろう」


 ビーハイヴはフラムと距離を取ると、自然体に近しい構えをとる。

 するとそれを見たフラムの方は、両手の平をパンと打ち付ける。

 直接戦うわけではないのだ。その証拠にフラムの前方に、銀色の液体が現れる。まるで水銀のような液体が。それは瞬く間に大きくなって、同時に人の形に変化する。

 筋肉質の銀色の人間。おそらくフラムの造った下僕だ。


 向かい合う機械と液体の人。その間で不穏な圧力が、衝突し渦巻いて重みを増す。

 誰が見ても一触即発だ。そこでハガネはミウの腕を引いた。


「ミウ、離れよう。近づくと危険だ」

「あ、はい。そうですね。ハガネさん」


 ミウは心ここにあらずと言った様子だが、素直に従った。

 そしてハガネ達が部屋の隅へと、移動したと同時に──開始する。


「いつでもかかってきて構わないわ」

「ではお言葉に甘えさせて貰う」


 地を蹴り接近するビーハイヴ。そこまではハガネにも理解出来た。

 だがその後は異次元の世界だ。二人の人型がクロスレンジで互いに互いを殴り合っている。打撃音からそれはわかるのだが、ハガネの目ではそれを追いきれない。

 その上これだけ殴っていながらその衝撃はまるで伝わらない。

 ミウの髪が揺れていないどころか、紅茶の表面に波すらも無い。


「次元が違う。ミウ、君は見えるか?」

「わ、わかりません。たぶん、すごいです」


 それがひたすら続くこと数分。

 ようやくビーハイヴが後退した。向き合ったまま床を滑るように。

 その間フラムは何事も無く、ミルクレープを優雅に食べていた。

 今のハガネ達には高度すぎる、組み手なのは疑いようがない。


「終わったかしら? じゃあこの子は消すわ」


 なんにせよフラムが紅茶を飲むと、同時に液人は縮まり消えた。

 一方のビーハイヴは息を吐く──事は出来ないがそう言う様子だ。フラムはともかくこちらの方は、流石に疲労を感じたらしい。

 ゆっくり構えを解いて落ち着くと、ビーハイヴはようやく歩き出した。

 テレポーターのある扉の方に。


「では約束だ。好きにするがいい。ワタシはワタシで動かせて貰う」


 途中ビーハイヴは言うとそのまま、扉を潜ってこの場を去った。

 残されたのはフラム、ハガネ、ミウ。しかしなんとも気まずい雰囲気だ。

 もっともフラムがそんな雰囲気を気にする人間とは思えないが。


 とにかく、交渉は成功した。ミウはフラム領所属に変わった。

 ハガネにはその目的も理由も、皆目見当すら付かなかった。



 ハガネの自室が広がった。

 正確に言えばフラムから、新たな部屋が与えられたのだ。

 ハガネはミウと二人で話すためその新たな自室へとやって来た。

 複数の部屋や廊下がある場所。マンションの一室に近いだろう。キッチンやテレビ等も完備され、最初の部屋とはまるで別物だ。


 もっともそれを見たミウの様子は、思い詰めたように──暗かったが。

 今日フラムの部屋で会った時から、この様子に変化は見られない。

 まずはそれから解決をすべきだ。と、思ったらミウから言ってきた。


「ハガネさん! 実は話があります! とてもとても、重要な話が!」

「知っている。こう見えても人間だ。人の表情を読むことは出来る」


 ハガネはその言葉に受けて立った。

 こんな状態で戦場に立てば、最悪二人揃ってお陀仏だ。少なくともハガネは死にたくない。よって可能な限り対処する。

 無論その内容にもよるのだが。


「実は私、上司からの指示で……ずっと報告をあげていたんです」

「なるほど。だがそれは予想していた」

「でもハガネさんとパートナーになる。それは単純に私の意思です!」

「それは予想外だ。良いことだが」

「はい! 良いことです! だからそれだけは、ハガネさんに知っておいて欲しくて」


 そこで一旦会話は停止して謎の沈黙が支配した。

 彼女の態度を見る限り、彼女の言葉に嘘は無いだろう。ミウは嘘が苦手なタイプであり、ハガネは嘘を見抜くのが得意だ。

 しかしこのやり取りに何の意味が、あるのかは全くわからなかった。


「それで?」

「それだけです」

「少し待て。ワタシの中で思考を整理する」


 ハガネは流石に頭を抱えた。

 そもそもハガネの方からすれば、最初期からミウを疑っていた。その上で利益を取ったのである。罪悪感は理解できるのだが、それが必要あるとは思えない。

 一体それをどう伝えるべきか。悩んだ挙げ句ハガネは言ってみた。


「整理は完了した。結論から言うと、知った上でも、問題無い」

「問題無いんですか!?」

「特段は。君には命も救われているし、感謝こそすれ恨んだりはしない」


 人間正直が一番である。機械人でもそれは変わらない。

 それにハガネにしてみればそれより大きな問題が転がっている。


「ところでワタシからも良いだろうか?」

「あ、はい。なんでしょう? ハガネさん」

「単純で素朴な疑問なのだが、一緒に暮らすのは良いのだろうか?」


 ハガネはミウにそれをぶつけてみた。

 だがミウの頭にはハテナマーク。質問の意味を理解していない。


「誰と誰が一緒に暮らすんです?」

「ワタシと君だ。フラムの提案で」


 そこでハガネは更に説明した。

 遡ることほんの少し前。ビーハイヴが部屋から去った後にフラムが二人に提案してきた。


『ミウちゃんの生活する場所だけど、折角なら近くが良いでしょう? だから私が部屋を用意したわ。ハガネとミウちゃん二人で暮らせる、今より遥かに素敵な新居よ。まあ断る権利は無いのだけど』


 提案と言うよりも強制だが。

 なんにせよハガネは最早機械だ。誰と一緒でも別に構わない。


「いつの間にそんなことに!?」

「先ほどだ。君もフラムに了承していたが」


 おそらくミウは先ほどの悩みで、話を聞き流していたのだろう。

 彼女はその時うつむきかげんで『私も構いません』と言っていた。

 もちろんフラムも鬼ではないのでちゃんと二人に配慮はしているが。


「寝室兼個室は個別にある。不安なら鍵をかけておくと良い」

「あ、いえ。不安とかじゃないんですが。物事には順序という物が……」

「フラムが気にするとは思えないが?」

「ですね……。あんな感じの方ですし」


 ミウもようやく納得したらしい。

 それに考え方を変えてみればこの状況も決して悪くない。


「ワタシとしては話し合いの場所を、確保できたのが素直に嬉しい」

「カラオケボックスじゃダメなんですか?」

「情報機密性を考えれば、ダメではないがより安全だろう」


 カラオケで会話を行う事は盗聴防止面で優れている。

 かつて政治家も使用した技で、策を練る場合は有効だろう。

 とは言え常にカラオケで会うのは、懐具合的によろしくない。

 それにハガネは歌が歌えない。いくらなんでも疑われるはずだ。


「えーとじゃあ、これからどうしましょうか?」

「届く君の私物を整理する。引っ越し業者が持ってくるはずだ」


 ハガネはそわそわしているミウに、至極冷静な態度で言った。

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