第5話

「なのに……私がこれだけ愛しているのに。お前は私の気持ちを全然理解していなかったのだな」


 いや、分かるかぁ!!!

 分かるか!分かるかぁ!ピクリとも動かないその表情筋から感情なんて読めるか!読める人間がいるのならば出てこい!


「……あぁ。まったくもってひどい……ひどいじゃないか……私はこんなにも君のことを愛しているというのに」


 こちらのセリフですけど?

 僕は押し倒されているんですけど?

 これから旅に出る!というときにこんな押し倒して好意を伝えられるとかひどくない?


「……アレーヌさん」

 

 僕はゆっくりと落ち着いた声でアレーヌさんのことを呼ぶ。

 恐怖はない。恐怖は、悪夢は十分に知っている。見知った美しい女性に声を向けられているくらいで恐れを抱いたりはしない。

 ……たとえ押し倒せれていても!うん!


「なんだ?」


「……アレーヌさんの気持ちはわかりました。それでも、僕は旅に出なくちゃいけなんです。これだけは譲れません。僕には旅に出て自分が何なのかを知りたいんです」

 

 そう。知らなくてはならない。

 なぜ僕がこんな異世界に呼ばれたのか。

 なぜ僕の味覚は死んだのか。

 なぜ僕は毎晩毎晩悪夢に魘されなくてはいけないのか。

 なぜ僕は僕の息子を失わなければならないのか。

 そして──────

 

 なぜ、僕はこの自分について他人に話せないのか。

 

 嫌なのだ。

 こんな苦痛に満ち溢れた人生を送るのは。

 誰にも理解されない悩みを一人抱えるのは。

 

「自分が、なんなのか、か」


「はい。以前にも話したように僕は記憶を失っています」

 

 何故かは知らないが僕が異世界出身の人間であるということを誰かに話したりすることが出来ないのだ。

 僕がこの世界に迷い込む前、どういう人生を送ってきたのかを誰にも話せないのだ。

 だから、言い訳として僕は記憶喪失という嘘をついている。


「僕の故郷はどこなのか。記憶を失う前の僕は何をしていたのか。知らなくちゃいけない。知らなくちゃいけないんです。アレーヌさんには感謝しています。アレーヌさんのおかげで僕はここまで来ることが出来ました。生きていくことが出来ました。……それでも、僕は知らなくちゃいけないんです」

 

 僕は情熱的に訴えかける。

 上目遣いで。涙さえ浮かべて。


「そうか……」

 

 アレーヌさんがゆっくりと体を起こし、ソファーから降りる。……お?もしかして伝わった?理解してくれた?


「では、私もお前とともに旅を出よう」

 

 ……え?

 僕はアレーヌさんのその一言を前に完全に固まった。

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