第四話 祁答院サエと孫娘
いかに美しく生きようが、幸せに暮らそうが、人生というものは呆気なく終わりを迎えるものである。
私は、橙子と結ヰを引き取ることを決定した際、人間の一生の儚さを痛感せざるを得なかった。
「到着致しました。」
定刻通りに到着した車。少し待てば、後部座席のドアが開き、白江が僅かに頭を下げた。
ゆっくりとした足取りでアスファルトを踏み、以前暮らしていた家の外観を眺めた。
この場所はちっとも変わっていないようで、少々安心する。彼女らに故郷を残すこと、それが私の目標の一つでもあったからだった。
両親を喪った悲しみは本人でなければどうしても理解出来るものではない。
冷たいことを言うかもしれないが、私は橙子にも結ヰにも本当の意味で寄り添い助けてあげることは叶わないのだ。だからこそ、一定の距離感を持って接し続けてきた。
白江が後ろを歩く足音が聞こえ、ぴたりと止まる。人差し指でインターホンを押すと間もなく、妹の結ヰが顔を出した。
「お祖母ちゃん、お久しぶりです。」
ほほ笑みを浮かべる結ヰに同じ表情を送り返した。白江と二人で、彼女の案内に従い、家の中に入る。どっちが家の持ち主なのか分からなくなってしまいそうなほど、橙子と結ヰはここでの暮らしにとても馴染んでいた。
リビングへ一歩踏み入れると、薔薇をベースとした香りが鼻先を掠める。
調度品は、前に来た頃とさして変化のない配置のままで、ソファーには橙子が腰掛けていた。私の姿を確認すると、深々とお辞儀をして、お久しぶりですとだけ言葉を残す。三人の奇妙な会話の成り方も、白江は一切口を挟まないのだから優秀な世話係だ。
「二人とも、元気に生活出来ているようで安心しました。」
私は迷いなく橙子の隣へと座った。橙子が目を見開き、驚きを顕著に表している。その様が、何故だかとても面白く、そして生き生きとして映った。
子が成長し、こうして大人になる。年を重ね、老いて、朽ちていく。死は平等に訪れ、それでも歩んできた時間には莫大な喜びと苦悩が満ち溢れているのだ。この二人も、ふたりを産み育てた父母もみな、私にとっては可愛い命そのものだった。
「お祖母ちゃん、これ。」
結ヰがティーセットと共に紙袋を持ってきた。中身が何か気になり、開封することへの許可を問う。
結ヰは嬉しそうに頷くので、これは早く確認して反応を窺い知りたいのだろうなと感じた。
「まあ、これはクッキーですか。」
「うん。作ってみたの!」
結ヰのあどけなさの残る言葉に思わず頬が緩んだ。結婚という節目を迎えても尚、こうして子どもっぽい表情をする。いくつになっても、人は簡単に何もかもを大人にすることは出来ないのだ。私だって、きっとそうなのだろうから。
橙子を見遣ると、ただ私達のやり取りを眺めているだけだった。
橙子は昔からさっぱりとした性格をしていた。離婚が二回というのは、家族としては聊か不安もあったが、それが選択であるならば何を言う必要もない。
私は、この人生を終えるまで、二人の祖母であり、見守る役目を果たすだけ。それだけだ。
在りし日の、いつかの昔を思い返す。家の中を走り回り楽しげに遊んでいたり、激しく口論してそのまま大喧嘩に発展していたり、勉強に悩み、将来の進むべき道に迷っていたり、卒業証書を手に、かえって来た日。
「ありがとう。」
誰かが、一番近くで見るべきだった光景を。だれかに逢える日まで、私が務めを全うしよう。
決意を鈍らせないために、こうして不定期ではあるが、会いに来る。生きる理由を、見失わぬように。この子らの、穏やかな日々を一瞬であろうが覗きたいのだ。
「嬉しそう。」
頬杖をつきながら橙子がにやりとほくそ笑んだ。悪戯を思い付いた子のような笑顔が、お腹を痛め生んだあの子にそっくりだった。
もう戻れない過去が、私をとても強くする。白江は何も言わない。
「そういうものですよ。この場所に来るということは。」
家族という存在が決して正しいとは限らない。
失ってしまいたい、離れたいと願う者もいれば、その逆の思想を抱く場合もある。どんなかたちであれど、他人が口出しする権利がないことも十分に理解はしていた。
だが、どんなかたちでも、最終的に行き着く先が、それぞれ生き生きと笑い、その笑顔には淀みや邪なものはなく、家族や他者を傷つけるものではなく、ただ真っ新な、慈しみだけがあってほしい。
そう願い、私はクッキーをひとつ口へと放り込んだ。程よい甘さと、ほろほろしっとりと崩れ落ちていく触感が、脳に美味しさを伝えていた。
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