第三話 祁答院橙子と煩悩
「合計で3945円になります。レジ、三番でお願いします。」
ここ最近どこもかしこもセルフレジが主流となった。自分とレジとの間で支払い作業を完結させることが可能となった。
釣銭の受け渡し間違いや、レジ担当の人の作業が大幅に減るので便利なのだろうが、なんというか時代の流れをひしひしと肌で感じている自分が居た。急に駄菓子屋のおばちゃんの皺くちゃになった手が恋しくなる。ピンクとレッドの花柄をしたエコバッグに購入商品を詰め込んで、妹と共にスーパーを後にした。
徒歩十五分程度の所にある大型ショッピングモールには、スパーマーケットをはじめ、洋服店や書店、眼鏡ショップにCDショップ、アクセサリー専門のショップや美容室や医療機関等の多種多様なニーズに合わせたテナントが入っていた。此処に来れば九割の欲しい物が手に入るという恵まれた環境下に感謝するばかりだ。祖母に引き取られて以来、すっかりこの地が、私達姉妹の慣れ親しんだ街となっていた。
「有名店の既製品でいいんじゃないの、クッキー。」
努力や思いを悉く全否定してしまう台詞を吐き出した私に、ギロリと瞳を細め睨め付けた結ヰは、だまらっしゃいと窘めた。
口は災いの元ということわざを痛いほど実体験してきたにも関わらず、私は余計な一言と、歯に衣着せぬ物言いばかりを繰り返してしまう。喫煙も止められないし、人格形成を修繕することも同じレベルで難しいと感じる毎日だ。
「手作りっていうのはプライスレスなの。分かる?」
「分かるけど、でもわざわざさぁ。誕生日や特別な日なら分かるけど。」
「あのね、お祖母ちゃんが来るってこと自体がもう特別なの。」
結ヰは祖母にとてもよく懐いている節がある。
そりゃそうかと思うこともあるし、少し寂しくもあった。それは自分がフィーチャーされていないからだとかではなくて、結ヰが祖母との思い出を積み重ねていくたびに、両親と過ごした記憶が彼女の中でさらに遠いものへとすり替わっていくように思えたからだった。どうしてお父さんもお母さんも生きてはいないのだろうか、空を憎らしげに眺める日もあった。複雑な気持ちをそっくりそのまま祖母に伝えた日もある。祖母は笑顔を浮かべた。
その感性を捨てずに生きなさい、と。
「チョコチップクッキーと、プレーンの二種類作るつもり。」
「ファイト。」
「お姉ちゃんは、片付けよろしく。」
「はぁい。」
あと数メートルで家に到着します、というタイミングだった。携帯電話が猛烈に震え出した。バイブレーションをブルブル、太腿の贅肉が揺れた。気がした。
画面を確認すると、祁答院サエという名前が大きく表示されている。祖母からの電話だった。拒否する理由もないので、すぐに通話ボタンを押した。一秒後、柔らかなけれど隙のない声がスピーカー越しから聞こえてくる。
「明後日、そちらに伺いますのでよろしくお願い致しますね。」
「うん。」
「相変わらずの淡白な返事ですね、橙子は。けれどそういった反応であれば変わりなく過ごされているようで安心できます。午前十時には到着予定ですので、万が一用が入るようであれば、連絡をくださいね。白江にも伝えねばなりませんから。」
「分かった。でも多分大丈夫だと思うけど。」
「そうですか。であれば、明後日午前十時に。では。」
ぶちっと容赦なく通話は途切れた。白江というのは祖母の身の回りの面倒をみている執事であった。祖母、祁答院サエは生粋のお嬢様であり、お金持ちと言われるような人だ。
「なんだって、お祖母ちゃん。」
「明後日の十時には来るって言ってた。」
「了解。それまでに諸々終わらせないといけないね。」
「うん。」
祁答院橙子、祁答院結ヰ。けとういん、ってなんかすごい字じゃん、やばくね。
「何その中身のない言葉。」
祖母に引き取られて以来、私の日常はまた徐々に色を取り戻そうとしていた。真っ白の病院の天井から人生は強制的に仕切り直され、次には両親の葬儀が待っていた。そうして再び学校に通いはじめた私達姉妹は、放課後迎えに来るという祖母を待っていた。小学校の校庭には、サッカーボールを蹴って遊んでいる集団や、鉄棒で逆上がりを懸命に練習しているなど、様々な子ども達の姿があった。
校門前に突っ立ったままぼうっとしていると、クラスの男子が話し掛けてきた。一人か二人はクラス内に絶対にいる明るくておちゃらけ担当の、まあ、空気を読まないタイプの子だった記憶がある。
「中身ならあんじゃん。けとういんって強そうな名字だよな!」
「はぁ。あっそ。」
「相変わらず、冷たい女だわ。橙子は。」
「冷たくて悪うござんした。」
べ、と舌を出して足蹴に扱うと、苛立ちを感じたのか私と同じように口を開けて、べぇっと言ってきた。結ヰは私と男子のやり取りには一切口を出してこず、見守り役に徹しているようだった。
「あ、来た。」
真っ黒なセダン車が目の前で停車し、静かに助手席の窓が開いた。祖母が微笑を浮かべ、座りなさいと言う。その瞬間に、運転手が降車して、後部座席のドアを開く。一連の動作には無駄はなかった。今まで舌を出し合って不毛な会話を繰り広げていた自分が途端に幼稚に思え恥ずかしくてたまらなかった。ちらりと振り向く先には、男子が呆然と祁答院家を眺めているだけだった。きっと住む世界が違う、そう思ったのだろう。次の日から、男子はむやみやたらに私へは話し掛けてこなくなった。
幼いとはそういうものなのだ。単純で、何故か察しがいい。そういうふうに、作られているのだろうか。
「橙子!」
暫く経ったある日、私と結ヰはいつものように校門に立ち祖母の迎えを待っていた。また、あの男子がやってきた。私はやれやれと肩を竦め、妹は男子を凝視するばかりだった。結ヰの瞳には感情の読み取れない何かが宿り、恐怖さえ感じられた。
「何よ、またあんた。最近声掛けてこないと思ったのに。」
「いいだろ、別に。ていうかその冷たい態度なんとかしろっての!」
こっちがわざわざ気を利かして声掛けてやったってのに。と、ぶつぶつ文句を言いながら頬を膨らませたその子の仕草が、可愛いなと感じた。小動物みたいで、ちょっと不覚にもときめきみたいなものに苛まれたのを覚えている。思えば、その男子は将来絶対イケメンになるだろうな、という要素を備えたルックスをしていた。今頃、どこで何をしているのだろうか。たしか名前は。
「なんだっけな。」
煙草の吸殻をゴミ箱に捨てて首を傾げる。そんな私を不思議に思った妹が、大丈夫かと聞いてくる。大丈夫で、だいじょうぶではない。
「いやほら、結ヰが覚えてるか分かんないんだけど、小学校の頃にさ。」
「校門の人でしょ!」
「え、ああ、うん。」
「小野寺雪くん。」
「おのでら、せつ、うん、そんな名前だったような。」
「覚えてないんでしょ。どうせ。」
漫画だったらギクゥという効果音が入りそうなくらい図星であった。
「今頃、彼、どうしているんだろうね。」
「お姉ちゃんが過去の男で、気に掛けるなんて珍しい。」
「うっせぇ。」
どうやら私達はやっぱり姉妹のようだ。
余計な一言をどうしても、口にしてしまう。災いの元だっていうのに。
過去を振り返る先に待っていたのが、名前も覚えていなかった相手というのは、きわめて相手に失礼で申し訳なく感じる。ごめん、と今度もしも会った時はお詫びしておかなければいけない。小野寺くん、二度と会わない可能性の方が高いのだろうけれど。
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