第二話 祁答院橙子の月曜日

 モーニングルーティンといえば朝起きて白湯を飲み散らかし、次に野菜と果実を使ってスムージーなんか作っちゃって、さらにはギリシャヨーグルトにハチミツを垂らして、美味しいからグラノーラをパラパラ。と、いうのは理想的な話で、起床後最初にすることといえば背伸びと欠伸と、喫煙。


「最高にうまいわ。」


 掠れた声で感想を述べ、口から煙を吐き出す。この動作、何度やっても飽き足りない。女性関係にだらしない既婚男性が週刊誌やらパパラッチにああだこうだ言われる中、私は煙草をどれほど美味しくいただくことかに人生を賭けているといっても過言ではなかった。


「おは。」


 おはようございますと言いなさい。祖母がこの場に居たらガチギレ案件であろう言葉も、私達姉妹の中では丁寧語に等しい。通じればなんでもいいのであった。


「はよ。」


 おはようございますでしょうが。激高されてもおかくしくはない朝の挨拶を交わし、妹はソファーに、私はフローリングの床に座った。


「丁寧な暮らしとか夢のまた夢かも。」


 妹は相変わらずのスウェット姿で携帯電話を取り出した。ちなみに二つ折り形態ではなく、きちんと長方形である。私は灰皿に燃え滓をちょちょいと捨て、吸いきったシガレットをぐりぐりと押し潰した。良い朝を、ありがとう。


「丁寧な暮らしねぇ。」


 私としては至極どうでも良かった。みんな好きにすればいい。それぞれが満足のいくかたちで、自分のライフスタイルを着飾っていけばいいだけの話。影響を受けても、うけなくても、嫌悪しても、誰もそれを責める資格はないと思っている。

 祖母が与えてくれたこの家は、私の楽園だった。現在は妹もいるが、二人で暮らしていても狭いとは一切感じたことがなかった。二階建ての家、私の本当の居場所。


「そういえば、お祖母ちゃんが明後日遊びに来るって言ってたけど。そっちに電話あったりしたの。」

「は?」


 仰天して妹を見たが、彼女は微塵もこちらに視線を向けようとしていなかった。朝から美少女がいっぱい出ているアニメに集中している様子。祖母が来ることは、それほど重要と考えていないであろう淡々とした口調だった。


「家の中はわりかし綺麗だけど、匂いはなるべく消しておいた方がいいかもしれないよね。」


 祖母は喫煙に反対はしないが、煙草特有の匂いが付くことを嫌うので、我が家に来ると聞くとそれなりに対策を取っておく必要があった。換気、換気、消臭スプレー、あとは煙草を吸わないこと。



「あなた達は今日から、親の居ない生活に慣れていくのですからね。しっかり、しゃんとなさい。」


 両親が亡くなった。それを知ったのは、病院で目が覚めて二日くらい経った頃だと思う。目蓋を持ち上げたら見慣れない真っ白な天井があり、睨みつけた。なんだか、ドキドキする匂いがすると辺りをきょろきょろ見回したかったが、全身に痛みが走り、それは叶わなかった。

 私のお父さんとお母さんは、サラリーマンとパート主婦だった。お父さんは毎日お客様に時計を販売し、お母さんは週に三日ほどお店のレジ打ちをしていた。


「橙子ちゃん、結ヰちゃん。草津温泉に行こうか。」

「え、旅行?」

「わーい、お出かけだ!」


 はしゃぐ私達に、両親は温かな笑みを浮かべていた。お父さんもお母さんも、なんだか絶妙にいい笑顔だったと記憶している。それが喪ったからこその美化であるかは、私にはもう分からなくなっていた。


「お父さん、運転よろしくお願いしまーす。」

「しまーす!」


 その日は、家族全員で日帰り旅行と称して草津温泉に行った。湯畑を見て歓声をあげ、湯もみを目にしたあとは結ヰと二人で歌をうたった。帰りの高速道路、車内で会話をしていたような気がする。どんな内容だったか、もう思い出せないほど、記憶は朧気だった。

 両親が死に、私達姉妹だけが生きた。遺される側になってしまった。まだ、八歳で、結ヰは六歳だった。生きていくためのお金の使い方も、働くことも、暮らしを続けていくことも、すべてが力不足だった。そんな二人に、祖母が手を差し伸べてくれたのだ。


「私はあなた達の親の代役を務めます、祁答院サエと申します。」


 祖母は私達を人間扱いした。深々とお辞儀し、丁寧な言葉遣いで迎えに来てくれた。生活するための家に到着した際、しっかりしゃんとしなさいと言われたが、強くいきなさいと脅迫するような真似はしない人だった。

 みんなが、哀れみ、大変だねと私達に声を掛ける。けれども、みんなが他人で、我関せずの態度を取っていた。死んだ両親の、体よりも、無情な言葉を投げ掛ける人々の方がよっぽど冷たかった。


「此処で暮らしていきますが、必要な物があれば、きちんと臆せず私に言いなさい。衣類や、日用品は一通りそろえてありますから。」


 祖母は家を建てていた。正確には、既に三軒持ち家があった。そのうちのほとんど使用したことがない家を私達の住む場所にしてくれたのだ。それから、ずっと三人で暮らしてきた。

 結ヰが高校を卒業した日、祖母はこの家を出て行った。あとはあなた方の好きになさいと言ってさっさと姿を眩ましたのだ。私も結ヰも、祖母が今何処で暮らしているのか、一切知らなかった。


「お祖母ちゃんが来るなら、買い出しにでも行ってこようかな。」

「え、なんでよ。」

「ほら、甘いものが好きだから、お祖母ちゃんにクッキー作ってプレゼントしようかなと思って。」


 祖母想いのいい子に育ったもんだ。私は感心しながら結ヰの発言を聞いていた。煙草臭をどうするかと、過去の回想をしていた自分とは大違いである。


「じゃあ、私もついていくわ。」

「じゃ、早速行こうよ。」


 妹はアニメを見るのを止めて、ソファーから立ち上がった。流石にこの服装じゃまずいかと呟きながら、歩いて行った。多分着替えてくるのだろう。明後日は煙草我慢か、と落胆した気持ちをそのままに私はシガレットの先端に火をつけ、煙を燻らせた。


「生きてるってだけでていねいな暮らしに思えちゃう。」


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