第1話
「え」
目を覚ますと、そこに広がっている景色は……別世界だった。
「……」
高価そうな煌びやかな装飾に、ふわふわの布団。その上、一人で眠るには大きすぎる程のベッド――。
この光景に、俺はただただ無言で「これは、夢か?」と唖然するしかなかった。
「あら、起きた?」
「!」
突然開かれた扉の向こうから現れたのは、最初に出会った時からの印象と変わらない少女の姿。
「――」
正直、誰かと会話をするなんて久しぶり過ぎて言葉が出ない。
教会の人間は声をかけるだけで俺を叩き、罵声を浴びせた。だから、声を出すなんて同じ境遇の教会にいる子供にだけだった。
「ああ、無理をしないで。あなた、空腹もそうだけど脱水症状もすごかったのだから」
「……」
体を起こそうとした俺に対し、少女はすぐに駆け寄ってきた。
――こうして心配してもらえるのなんて、いつぶりだろう。
そんな事を思ってしまうほど、心配されたのは随分と前になる。
「あなた、お名前は?」
「なっ、名前はブラックです」
体を起こそうにも体に力が入らず、俺は寝たまま少女の質問に答えたはず……なのだが、なぜか少女は「はぁ」とため息を零した。
「それは本当の名前じゃないでしょ? ほら、そういう見た目の色じゃなくて、子供たちから呼ばれていた名前とか」
「え……と」
少女の口ぶりから、この時点で俺がどうしてあそこにいたのか既に知っていたのかも知れない。
――みんなから呼ばれていた『名前』は。
突然あの教会に現れたあの男は、俺たちをそれまで呼ばれていた『名前』ではなく、目や神の色など見た目の色で呼んだ。
そして、俺は髪の毛も目の色もこの辺りでは珍しく『黒』だったため、そう呼ばれていたのだ。
「……」
しかし、俺がそれよりも前に呼ばれていたのは両親が付けてくれたモノではなく、教会にいた頃に子供たちが勝手につけてあっという間に定着しただけに過ぎないモノだった。
「え、あ。ノア……ノアです」
「ノア……ね。私はロアよ」
「ロ……ア?」
「ええ」
そう言いつつ俺の隣に用意されたイスに腰掛ける。
「実はね。ノアにちょっと聞きたい事があって」
「なっ、なんでしょう」
隣に座った『ロア』と名乗った少女からは何やら甘い香りがする。たったそれだけで俺の心は跳ね上がる。教会にいた大人たちの不快な匂いとは大違いだ。
「あなた、あそこで何をしていたの?」
「そっ、それは……」
――言えない。たとえ言ったとしても、それを信じてはくれない。
なぜなら、俺は何度も教会にいない周辺の人たちに助けを求めていたからだ。しかし、彼らはあの教会の神父から金をもらっていた。だから、俺がいくら訴えかけても耳を貸す大人は誰もいなかった。
――この人もきっとそうだ。そう違いない。
この場所の煌びやかさとロアの身なり、だって俺なんかとは違って清潔で動きやすい服装をしている。
「言いたくないのならそれでも構わないわ。でも、コレだけは知っていて。私は誰かに指図をされて動くような事はしない。ましてやあなたを誰かに引き渡すなんて事もね。そして、自分が目をかけた人間を見捨てる様な事はしないわ」
「……」
真剣にまっすぐと見る青い目はとても綺麗で、そんな視線を俺に向けているという事に感動した。
――ここまで俺と向かってくれる人なんて……今までいなかったな。
「まぁ、何かあったら……」
「あの!」
「?」
「じっ、実は――」
俺は「この人なら信じても良いかも知れない」と思い、ロアに今まで俺の身に起きた事を全て話した。
今までの大人たちはこぞって「神父様がそんな事をするはずがないだろう!」と言ってまともに取り合ってくれなかった、神父が俺らにした全てを……。
「うっ……グスッ」
――情けない、泣くなんて。
「……」
ロアは、俺の話を真剣な面持ちで聞いてくれた。
途中で遮る事も、罵倒する事も否定する事もなくちゃんと全て……たったそれだけの事なのに、俺はその場で泣いてしまった。
「!」
全てを話し終え、涙を流す俺の頭をロアは優しく撫でた。
「大変、だったのね」
「すみませ……こんな、情けない」
少女の前で涙を見せるなんて……本当に情けないと思う。でも、どうしても涙が止まらない。
「いいのよ。誰だって話を聞いて欲しい事はあるわ」
このロアの一言で俺は悟った。
俺は、誰かにこの話を聞いて欲しかったのだと――。
誰にも言う事の出来なかった、聞いてももらえなかった言葉を言う事が出来たからなのか、それとも彼女の手は柔らかくて優しさに安心したのか……どうやら俺はそのまま眠ってしまったらしい。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「はぁ……」
――のどかだなぁ。
青くどこまでも広がる空と、時々吹く風がとても心地良い。
「ふぅ」
あの日、俺はある少女……いや、ロアに拾われた。
しかし、あの時の俺はロアの声に返答する事だけでなく、座っている事すら出来ない程の危ない状態になっていた。
――なんだか申し訳ないな。
そんな俺だったが、今はこうしてお世話になっている。
――何かすべき……だよな。
そう思うが、子供の俺が出来る事なんてあまりないだろう。
――どう見ても庶民じゃないだろうしな。
今まで出て来た食事やこの屋敷はどう見ても「普通」ではない。
「はぁ」
どうする事も出来ず、俺はため息をつきながらそっと目を閉じた――。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「どうかされたのですか」
「ふふ、いいえ?」
そう言いつつロアはニッコリと笑う。
「? おや、彼は」
あの雨の日、ロアは「ノア」という少年を拾った。着ている服や当時の状況から察するに、ノアはここ数日の内にこうなったのだろうと推察出来た。
「ええ、元気になった様で良かったわ」
「そうですか」
ロアに声をかけたのは、一人の男性。かつての闘いで片目を失った隻眼なのだが、それでも剣を持った人間が五、六人くらいまとめてかかっても勝てないくらい強い。
「ところで、首尾はどう?」
「順調……と言いたいところですが」
「そう」
「申し訳ございません。どうやら領民全員が荷担していたにも関わらず、自分だけでもとお互いの足を引っ張り合っておりまして」
「それは、ずいぶんと滑稽ね」
「ええ」
「そんなヤツらにあの子は……あの子たちは」
「……」
「本当に可哀想。減点五十ね」
「そうですか。それでは」
男性は視線を鋭いモノに変える。
「いいえ、まだよ」
「ですが」
「だって、あの子がいるモノ。まだ人間は捨てたモノじゃないかも知れないじゃない」
「……随分と、期待されているのですね」
「それはあなたもでしょ?」
ロアが声をかけると、男性は一瞬キョトンとし、すぐに「参ったな」と言わんばかりの表情を見せた。
「まだ人間は捨てたモノじゃないかも知れない。それを判断するのは……あの子が成長した後でも良いと思うわ」
そう言ってロアはノアの方を見た……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「今日はひなたぼっこ日和ね」
「!」
俺はふと聞こえた声に驚きながら振り返った。
「あ」
「こんにちは」
「こっ、こんにちは……」
――本当に、この人は……綺麗だな。いるだけで場が変わった様に見える。
「どう? この生活にはもう慣れた?」
「え、あ。はい」
気絶して保護されてから数日が経っているが、実際のところ。不思議な感覚だ。
――俺は今ちゃんと生きているのだろうか。実はもう死んでいる……なんて事ないよな?
それこそ本気でそう思ってしまうほどである。それくらいここの生活は今までの俺の生活とは雲泥の差があった。
毎日食事は三回あり、お腹いっぱいに食べられる。お風呂にも入れ、寝る時はふわふわの布団があって一人で寝るには大きすぎるベッドでグッスリと眠り、また朝を迎える……。
コレがこのロアにとっては「普通」なのかも知れないが、俺にとっては「限りなく幸せ」だった。
「ふふ、どうやら元気になった様ね」
「あ、はい。お騒がせしました」
ロアは笑顔で俺の方を見ているが、実はこの後に続く言葉に内心ビクビクとしていた。
なぜなら、ロアが自分を保護したのは、目の前で倒れてしまったからで、元気になってしまえば、追い出されるのではないか……そう思っていたからだ。
――いっ、今からでもありえる話だよな。
「……」
「ふふ、大丈夫よ。だって言ったでしょ? 私は自分が目をかけた人間を見捨てる事も誰かに引き渡す事もしないって」
怯える俺の手をそっと握りながら可愛らしくウインクをする少女に、俺は「はい」と言って笑った――。
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