最終話 聖女様のような

 授業が終わり、一人で家に向かって歩く。今日は花音ちゃんが来ているはずだ。彼女が絶対と言ったなら必ず家にいるはずだ。

「ただいまー」

 僕は玄関の鍵を開け、家の中に入った。

「おかえりなさい! 待ってたのよ!」

「やっぱりいるんだね」

「だって、昨日約束したじゃない!」

 

 彼女は急いで家に来たのか、着替えもせず制服のままだった。彼女はなぜかエプロンを手に持っていた。

「なんでエプロン持ってるの?」

「私が夜ご飯を作ろうかと思って」

「確かに、花音ちゃんの料理は美味しいけど夜ご飯まで作るのは負担にならない?」

「大丈夫よ。昼も夜も変わらないわ」

 花音ちゃんは、中学に入ったころからなぜか僕のお昼の弁当を作ってくれている。それも学校がある日は毎日欠かさずだ。一度断ろうかと思ったが、話の途中で泣かれてしまいそれからは何も言っていない。


「ちなみに、今日は何を作る予定なの?」

「今日は、シチューよ! サラダもあるし、駅前の美味しいパン屋さんでパンも買ってきたの!」

 彼女は楽しそうに食材を出しながら話を続ける。

「いっぱい食べて、早く大人にならないとね!」

「いっぱい食べても大人にはなれないよ」

 僕は笑いながらそう言った。

 彼女はテキパキと料理を作っていく。僕が色々としている間に夜ご飯は出来上がっていた。リビングに戻るとシチューのいい匂いが部屋に広がっていた。

「わぁ、美味しそうだね」

「私の愛情が詰まっているから、美味しいに決まっているわ」

 花音ちゃんはそう言いながら、僕の目に前の席に座る。僕と目が合うと彼女はニコリと笑った。

「食べないの?」

「食べます……いただきます」

 僕はそう言って、彼女が作った夜ご飯に口を付けた。

「どう?」

 少し上目遣いで聞いてくる彼女に、僕はドキッとした。

「お、美味しいよ?」

「疑問形なの?」

「美味しいです!」

「良かった! じゃあ私も、いただきます!」

 彼女は自分の料理の出来栄えに満足しているようだった。そして食べながら僕のほうを見ては微笑んでいた。僕は彼女と目が合うたびに、自分の心臓の音がうるさくなるのを抑えるのに必死だった。


「食器は僕が洗うよ」

「いいのよ、私が洗うわ。それよりこの後話があるから部屋で待っていてくれない?」

「話? ここじゃ駄目なの?」

「駄目って訳ではないけれど、ママさんたちが帰ってきたら気まずいじゃない?」

 気まずいって、いったいどんな話をするんだろうと思ったが僕はそこには触れずに階段のほうに向かった。

「分かったけど、もう時間が遅いからそんなに長くは話せないよ?」

 彼女の顔は良く見えなかったが、どこか緊張しているような雰囲気だった。彼女が頷くのが見えたので、僕は階段を上がり自分の部屋に入った。


 彼女が部屋に来る間、僕はベッドに寝転がり目を閉じていた。最近の彼女のことを頭に思い浮かべながら、色々な考えが頭の中をぐるぐるとめぐっていた。

「もしかして、彼氏でもできたのかな?」

 自分で口にしたその言葉に涙が出そうになる。好きになってから一度も彼女のことが頭から離れないのだ。振られてもそれは変わらなかった。もしかしたら、今日の夜ご飯はそういう意味で最後の晩餐だったのかもしれない。

 そう考えてしまう自分に嫌気がさす。頭の中を落ち着けようと、ふっと身体の力を抜いた。


「……くん。大樹くーん」

 自分の名前が呼ばれ、意識が浮上する。ゆっくりと目を開けると、花音ちゃんの顔が目の前にあった。

「うわっ!」

 僕は後退りながら身体を起こした。

「うわって失礼よ」

「目を開けて、すぐ傍に顔があったら誰でも驚くよ」

「起きてすぐに、私以外の顔が近くにある事があるの?」

「えっ……ないけど」

 なんだろう。花音ちゃんは少し怒っているようだった。彼女はため息を吐いた。


「信じてもらえないけど、私は本当に大樹くんが好きよ」

「えっ、だってあの時花音ちゃんは僕を振ったよね」

 そう言うと、彼女は驚いたような表情をしていた。

「いつ? 私が?」

「小学二年の時に、駄目って言った……」

「あれは……」

 そう言うと彼女は珍しく顔を真っ赤にして、慌てているようだった。

「違うの。あれは、大樹くんが結婚って言ったから」

「結婚? 確かに言ったけれど……」

 それがどうしたというのだろうか。僕が不思議そうな顔をしていると彼女は、真っ赤な顔のまま話を続けた。

「あの時、結婚は大人にならないとできないって親から教えてもらった直後だったの」

彼女は自分の真っ赤な頬に手をあてながらそう言った。

「だから、結婚は駄目って言っちゃって……」

「えっ、駄目ってその駄目だったの?」

 彼女は頬を赤らめながら頷いた。ということは、僕は小学二年のあの時から今までずっと思い違いをしていたことになるのか? そう考えると身体の力が急に抜けるようなそんな脱力感を覚えた。

 彼女はそんな僕を見ておろおろとしている。


「大樹くん、大丈夫?」

「大丈夫だよ、ごめん」

「そのごめんはどういう意味?」

 彼女のほうを見ると、今にも泣きそうな顔をしていた。

「えっ、花音ちゃんこそ大丈夫?」

「ねぇ、意味を教えて?」

「言葉が悪かったかな……僕のこと心配してくれてありがとうって意味だよ」

 そう言うと彼女は涙を手で拭い、僕の目をじっと見つめた。


「ねえ、もう一度言うわ。私は大樹くんが好きよ? 大樹くんは?」

「僕も花音ちゃんのことが好きだよ。それもずっと昔からね」

 僕が笑いながらそう言うと、彼女は涙目のまま僕に抱き着いてきた。あまりの勢いに僕は明日押されるような形で、彼女を受け止めた。


「ねぇ、花音ちゃん……一つ聞いて良い?」

「なぁに? 大樹くん」

 彼女の涙はいつの間にか消え、目の前には満面の笑みを浮かべるそれは綺麗な聖女様の姿があった。

「顔、近くない?」

「近付けているんだから、当たり前でしょう?」


 僕の次の言葉は、音にならずに消えていった。唇にあたる温かくやわらかな感触に僕の頭の中はパンク寸前になっていた。

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学園の聖女様は僕の前では別人です! 蜜咲 @mitsusaki

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