化け物

 それなりに歩いたが風景にあまり変化は見られない。赤い彼岸花は今も続いている。生ぬるい風はゆるく吹いているのも変わらない。

 耳をすますと三人の歩く音と花の擦れる音。ふと、水の音が聞こえた。

 思わず立ち止まる。数歩進んだ先で二人も止まって宮子を振り返った。

「ミヤコ、どうしたの?」

 アナスタシアが不思議そうに問いかける。

「水の音がして」

「水?」

「川があるのかも」

 しかし赤い靄で視界に川らしきものは見当たらない。もう少し先にあるのかもしれない。

「違う」

 固い声が重く耳に響いた。

「マクベス?」

「伏せろ!」

 鋭く叫ぶ声に啞然とすると真横を何かが過ぎ去った。

 突風が吹いたのかと思ったが違う。過ぎ去った先、伏せた二人の頭上を通り過ぎる何かがある。

 ぱっと見たシルエットは犬に見えた。けれど犬にしては大き過ぎる。狼とてそこまでない。人が二人乗っても問題なさそうなほどの巨体が中空で反転しこちらを見る。

 青かった。青よりも黒く、揺らめいている。四足の先は形がなく、まるでスライムのような不確定の流動体。化け物だ。

「ミヤコ、こいつはなんだ!」

 マクベスが強く問い掛けながら化け物と対峙する。同時にアナスタシアを背後に庇う形を取った。

「し、知らない。こんなのいない!」

 望まぬ返答にマクベスは忌々しげに舌打ちをすると口の中で小さく何かを紡いだ。途端、眼前に炎が立ち昇り、それが一振りの剣と形を成した。

 彼はまだ覚醒前の子どもだ。それでもラスボスを配された絶対的な力を既に有していることに変わりはない。

「邪魔をするな!」

 握り締めた剣を構えて化け物へと躊躇いもなく斬り掛かる。化け物はひらりと一撃を躱すと標的をマクベスに固定した。

 はっとして宮子は直ぐにアナスタシアの傍によると肩を掴み、数歩身を下がらせた。

「離れよう。危ない」

「でも」

「私たちじゃ何もできない!」

 ぴしゃりと言い放つと小さな肩を竦ませた。

 聖女であってもアナスタシアは戦闘ができるタイプではないと宮子は知っている。また宮子自身も物語の主人公のように勇敢でもなければ、武道なんかも嗜んではいない。二人がいることはマクベスの邪魔にしかならない。彼女もそれを理解して、大人しく距離を置いた。

 しかし、ここは彼岸花が咲くだけの平地。隠れる場所などはない。ただ、距離を置いて身を低くしていることしかできない。

「ミヤコ。貴方の世界にはモンスターがいるの?」

 マクベスを心配そうに見ながらアナスタシアが問う。

「いないよ。あんなのゲーム……物語の中だけ」

「なら、私たちの世界から?」

 恐る恐るというようにアナスタシアは宮子を見つめた。

 自身と関わった為に宮子を危険な目に合わせているのではと考えたのだ。

「それは違う」

 宮子はゲームを知っている。スライム系列のモンスターは確かにいたが、あんな見た目のモンスターは登場していない。全ての作品を把握はしていないから絶対とは言えないが、それでも二人が登場した時にはいないはずだ。

 なら、あれは何?

 宮子の見てきたゲームや物語にはあんな化け物は出てきたことはない。全く知らない。宮子の知らない何かがいる。これは夢のはずなのに。

 本当に夢?

 ふっと湧いた疑問が眼前に突き付けられる。

 マクベスの振るう炎の剣から熱気が肌に触れる。屈んだせいで近くなった土の匂いがする。遥か遠くから乾いた音がする。

 そっと隣にいるアナスタシアを見つめた。恐怖からか繋いだ手がある。そこに確かな感触とぬくもりがある。そこに曖昧さなんてなかった。

「夢じゃ、ない?」

 思わず言葉が溢れた。

「ある意味夢で現実さ」

 知らない声が頭上が降ってきた。

 がばりと振り返り見上げるといつの間にか見知らぬ青年が立っていた。

「夢現。そんな言葉もある」

 見下げる青年は小さく微笑んだ。

 屈んでいても分かる高身長。さっぱりして見えたが肩から下りている束ねられた黒髪は胸ほどもある。着ているのは見慣れない和装のような何か。

「夢であり、うつつであり……どれでもあってそうでない」

 柔和な表情と穏やかな声だ。怖いや怪しいという雰囲気を一切纏わせない。

「お嬢さん、遠出をしてしまったようだね」

 青年はそう言った。それは宮子にもアナスタシアにも向けられている気がした。

「アナスタシア!」

 切り裂くような声にはっとする。

 マクベスが青年の存在に気付き、こちらに向かってきていた。

 だが、その背後には。

「マクベス!後ろ!」

 宮子が叫ぶ。

 対峙していたはずの化け物が大口を開けていた。犬のような形の骨格を無視し、口を開けていた。まるで被り物の頭のように。

 それはそのままマクベスを飲み込んだ。

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