出奔

 輿入れして以来バーリは只の一度も城の外に出してもらえないでいた。さすがに城の周りは固く塀に囲まれ、侵入者もない代わりに好きに出ていくこともできない。夜陰にでも紛れなくっちゃ逃げだせないだろうかと思っていたところにこの話だった。これはもう、森に入るなりそのまま逃げろという天啓に違いない。

 自分が逃げたことでエミワックとレザルーンの関係がどうなってしまおうとバーリには全く知ったこっちゃなかった。彼を無理矢理婿入りさせたこと、それより何より第二皇子を闇に葬ってしまおうとしたことで、バーリはエミワック王室にもよくない感情を抱いていたのである。いよいよ俺も性根が暗い。今回新しい発見があったな、と、バーリはひとりごちたりもしたものだった。

 とはいえ。とはいえしかし・・・。

 「あの子、ほったらかすわけにもいかないだろ。」

 ファルが来ることになってしまったのは問題だった。いくら勝手知った場所のこととはいえ、やはりこんなところに彼女をひとりで置いて行くのは気がひける。バーリがそう言うとシャクティはその目をくるりとさせた。

 「あらそうお?あなたよりも彼女のほうがずっと頼りになりそうだけど、特にここでは。」

 痛いところをまともに突かれて思わずバーリはぐっと詰まる。確かにあのファルは一緒に居れば居るほど出来の良さが目立つばかり、面倒をみるどころかバーリの方が世話をやかれっ放しというのが実のところだったのだ。

 気持ちの問題だろ、とバーリが言うと、シャクティもめずらしく素直にそうねえと言った。そのあとにあなたったらすっかりお兄さん気取り、とからかうのだけは忘れない。

 「まあとにかく鏡までは一緒に取りに行くよ。あの子を城のそばまで送り届けて逃げ出しちまえば構わないだろう。」

 あの子あの子ってえらそうよお、とシャクティはまたくすくす笑う。うしろで草を踏む気配がした。

 「兄者様、お待たせしました。」

 見ると、ファルが、まだ水の匂いをすこしさせて、笑ってそこに立っていた。湿り気を残した黒い髪が光に当たって輝いている。

 シャクティの姿はいつの間にかなかった。そこに居たとしてもバーリ以外の人間に彼女が見えるかどうかはわからなかった。多分見えないのだろう。それでもシャクティは、バーリがひとりでいない時にはけして姿を現わすことはなかった。

 もうすこし風にあたって髪を乾かして行こう、お互い。

 バーリがそう言うとファルはこっくりとうなづいた。


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 「これが神殿なんですけど・・・。」

 ぼーっとファルの背中ばかりを見ていたバーリは、言われてはっと前に目を転じた。どう見ても忘れられた遺跡にしか見えないそれは、ところどころ大きく崩れた石造りの建物で、おまけに壁という壁、柱という柱に、びっしりと何やらの蔓が巻いている。その葉で文字通り埋没してしまっているその建物は、とても王族古来の現役の、大事な神殿とは思えなかったが、秘儀がどうとか言っていたし、これが妥当なものかもしれない。階段を数段登り、雑草だらけの石畳を踏んで、ナイフの刃も通りそうにないほどぴったりと閉じた岩の扉の前に立つ。ファルは右手をすっと上げると、手のひらをぺたりとその岩に張り付けた。

 

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