第4話 推しと歩く

 落ちる感覚はあった。

 でも痛みは一向にこなかった。


 おそるおそる目を開けたら、見えるのは青い空。

 そして、八尾の顔。


「きゃあああ!」


 何度目かも分からない絶叫。同時に顔を手で覆う。

 推しの顔をこんな間近で見てしまったことによる叫びだった。


 何故なら今、凪は八尾にお姫様抱っこされている状態。

 二階の八尾の部屋から飛び降りた凪を、追って救った結果がこれである。


「ちょ……お静かに。私が通報されてしまいます」

「きゃあああ! きゃあああ! 推しがっ! 推しの声がこんな近くで! ああ! 私、推しに抱えられ……きゃあああ!」


 これでは通報されかねない。そう判断した八尾は、そっと凪の足を地に降ろす。

 それでもなお、叫ぶために八尾は凪の口に手を当てて塞ぐ。


「お静かに」


 反対の手は人差し指を立てて自らの口元に。

 これだけで凪の顔へ、一気に熱が集まる。


「このまま表から部屋に戻るのもあれですね。一気に飛んでしまいましょう」


 ふう、と一呼吸ついてから「失礼」と再び凪を抱きかかえて強く地面を蹴る。

 その跳躍は軽く二階の高さを越え、弧を描いて元いた部屋のベランダへと戻った。


「足下が汚れてしまいましたね。申し訳ありません」

「メッソウモゴザイマセン」


 凪を抱えたまま、八尾は部屋に入りベッドに座らせた。

 一連の行動全てが凪の心を打ち抜き、凪はもう八尾を直視できていない。一切顔を見ないように、手で顔を覆ったまま、背中をピンと伸ばして座っている。


「無駄死にはおやめ下さい。非合理的で身勝手極まりない」

「っ……! 私、夢だと思って……それに死は……八尾さんっ……ううっ……」

「全く……今度は泣き出して何事ですか」


 叫んで泣いて、コロコロ顔を変える凪に着いていけなくなった八尾。頭を抱えながら、凪の前に跪いては目線を合わせる。


 その優しさがまた、凪の心に染み、ボロボロと涙を流させる。


「怖い思いをさせてしまいましたか?」


 凪は首を横に振る。


「ではどうして? 貴方は何故泣いているのです?」

「ぐすっ……それ、は……」


 凪はポケットからスマートフォンを取り出し、友里にも見せた画面を差し出す。


「これは、あなたです。きっと」


 八尾にとっては、見知らぬ女性が自分の写真を持っているという状況。ストーカーだと思ってもおかしくない。

 しかし、八尾が過ごした世界では、もっと奇妙な出来事も恐ろしい事件も多々あった。それ故戦わざるを得なかった。

 それと比較すれば、何も怖いとは思わない。

 不思議だな、その程度である。


「八尾さんは、漫画の中で……お亡くなりに……。でもっ、ここで生きてて……。悲しいけど、驚いたけど、嬉しいし。私、ごちゃごちゃに」


 泣きながら凪は言う。

 それを八尾は静かに聞いていた。


「やはり、そうでしたか。どうもおかしいとは思いました。敵の襲撃を受けて、腹に穴が空いたはずなのに、目が覚めたら私は子供になっていました。確かにあのとき死んだと思ったんですが、まさか私が漫画の世界の住人とは……知人たちがよく言っていた転生とでも言うのですかね。はぁ、全く奇妙な事があるものです」


 眉をハの字にして八尾はほほ笑んだ。


「知らせて頂きありがとうございます。私なりに元の世界に戻る方法を探してみます。戻るという選択肢で合っているのか不明ですし、戻った所で意味があるのかもわかりませんが」


 どんなことがあっても、八尾は凪の推しであることは変わりない。ずっと漫画の中で追ってきた相手。強い姿を応援してきたけれども今の発言の裏に見え隠れした一瞬の揺らぎを感じた。


「私! お手伝いします!」

「はい?」


 勢い任せで凪は口を開く。


「八尾さんのお手伝いを! 八尾さんが戻りたいのであれば、戻る方法がないか探します! もしかしたら漫画を辿ったら何かわかるかもしれません! 何だってしますよ! だって私、八尾さんが好きですから!」


 顔を覆う手をどかして、真っ直ぐ八尾を見た。

 あまりにも純粋な目に、八尾は安心したかのようにニコリとほほ笑んだ。



 ☆



「八尾さーん!」


 講義を終えて、駅前で待ち合わせを約束した凪はぶんぶんと手を振りながら、噴水の前でスタイリッシュなスーツ姿で立つ八尾に駆け寄る。


「お疲れ様です、凪さん。本日はどちらに行きましょう?」

「えっとですね……本日の推しとデートコースは……」

「言い方……」


 凪の手には漫画。八尾が登場する漫画だ。元々現代を舞台にバトルをしていたので、作中にも現実に存在する施設が登場する。そこを辿っては何かないかを探して過ごしていた。


 今日は渋谷。

 商業ビルの中を歩いて行く。

 だが、何も見つかることはなかった。

 右に左に足が棒になるほど歩き回り、疲れが溜まったとき、近くのベンチに腰を降ろした。


「何もないですね……ここならあると思ったんですけど。だって最期に八尾さんが戦った場所ですし」

「そうですね。私も見覚えがあります。ここは人が多いですし、何かあってもおかしくない」

「ですよね。うーん……舞台はここだと思ったんだけど、街中かなぁ?」


 漫画をペラペラめくっては、他の場所がないかと探す凪。

 その姿を八尾は、立ったまま見守っていたが、何かを感じ取り、目だけを動かす。


「……どうかしました?」

「いえ、何も。場所を移しましょうか。お腹減ったでしょう?」

「う、確かに減ってはイマス。でも推しと食事などヒマラヤ山脈に全裸で登るような行為……」

「どんな例えですか全く。食事処ならあちらによさげな店が見えました。一休みを兼ねて行きましょう。奢りますよ」

「わーっ! 推しとの食事っ! ミスは許されないっ……」

「そんな堅くならずに」


 八尾は凪を先導する。

 その際、先ほどチラリと見えていた黒いモヤが柱の影に溜まっていたのを強く踏みつけた。


「んー! いい匂い! あっちですね!」


 香ばしい匂いに集中していた凪は、踏みつけた八尾の行動には気づいていない。八尾を追い越してグイグイ行ってしまう凪。モヤに気づいていないことに八尾は少し安心した。


「凪さん。あなたのアテは大正解かもしれませんね。あのモヤは……嫌な予感がする。気のせいであればいいのですが」


 踏み潰すことで消えたモヤに八尾は胸騒ぎを覚えながら、二人は人混みに消えていった。



おわり

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推し、転生する 夏木 @0_AR

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