足場の組まれたビッグ・ベンが、橋上のカップルを見下ろしている。私は近くのカフェに立ち寄り、カフェラテとサンドイッチを、それぞれ二つずつ頼んだ。道路に面したテラス席では、彼が私の犬とじゃれ合っている。

「感謝します、美しいレディ。悲しみを背負った私に、食べ物を恵んでくださるとは……」

「はいはい……。そもそも、何で一ポンドすら持ってないんですか……」

 彼は私に、二つことを教えてくれた。「タントリス」という名前であることと、所持金がゼロであることだ。彼はナンパでも何でもなく、純粋にお腹が空いていたらしかった。

「数日前、可愛らしいレディに声をかけられた私は、彼女のために曲を奏でたのです。かつて、コーンウォールで流行した、瑞々しい春の歌を……」

 彼はそう言いながら、椅子に置いた竪琴をいじった。繊細な弦の音が、店先のBGMと混ざり合う。

「ふーん。で?」

「……彼女が『もっと、もっと』とせがむので、私は何曲も何曲も奏でました。しかし、あまりに熱中しすぎたせいで、私は背後の気配に気づきませんでした……」

 ……ここまで聞いて、私は呆れた。要するに、二人一組のスリに引っかかって、有り金を全部盗られたのだ。

「乙女に手を出すことは、私にはできませんでした……。いえ、別に良いのです……。あの袋には、大した額も入っていませんでしたから……」

パストラミサンドを齧りつつ、タントリスはため息をついた。彼はさすらいシンガーのような生業で、細々と金を稼いでいるようだった。

「教えてください、レディ。私はこれから、どうすれば良いのでしょう?」

「さぁ、知りません。乞食でもすればいいんじゃないですか?」

「ああ、レディ……。なんて冷たい……」

 彼は端整な顔立ちをしているが、どこか浮世離れしたような、不思議な雰囲気をまとっている。路地裏で物乞いをしていても、別におかしくはなさそうだった。

「分かっているとは思いますが、私はこれ以上、何の手助けもしませんから。後は自分で、何とかしてください」

 「この近くで乞食をするなら、パンの一切れぐらいは、分けてあげますよ」。私が冷たくそう言うと、彼は寂しげに微笑んだ。テーブルの真下では、犬が濡れた瞳を上げて、心配そうに鼻を鳴らす。

「……いえ、その必要はありません。人々が求める続ける限り、私はこの世界に留まるだけです」

 ……言葉の意味が分からずに、私は小さく首を捻る。しかし彼は、それを無視した。意図的に、視線をそらしたのだ。

「あなたには、このお礼をしなくてはなりません。私はそれを、もう一つの『真実』で返しましょう……」

 タントリスは竪琴を抱えると、長いまつ毛を動かした。童話の中の詩人のように、私に話を聞かせるらしい。

「どうか、最後まで聞いてください。これは、かの有名な『カムランの戦い』の、その後の真実です……」

私が尋ねるよりも早く、彼は物語の世界に私を惹き込んだ。それは、偉大な「王」が死んだ後の、残された者の話だった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る