【完結】ヴィトセルクの男〜血に魅せられた夜のイケメンたち〜

雨 杜和(あめ とわ)

ヴィトセルクの物語

価値があるとは思えない



 いやな夢を見た。


 ──やめろ!


 自分の声で目覚めると、全身から汗が吹き出していた。


 夢なのか……。


 奇妙で嫌な夢だった。

 夢の記憶ははかない。数分もすれば、その記憶も遠く消えていく。


「はあぁ」


 大きなため息をつくと、影からアスートが出てきた。


「殿下」

「寝ていなかったのか」

「うなされておいでだったので」

「夢を見ただけだ。もう眠れ、夜も遅い」


 おそらく、こんな悪夢を見るのは、明日が19歳の誕生式典だからだ。いけ好かないフロジ公爵が開くパーティ。考えるだけでも、うんざりする。


 そこにいるのは、よどんだ目をした無礼なやつらばかりで、口を開けばオベッカばかりを使いやがる。そんなパーティに誰が出席したいだろう。


 俺の国、フレーヴァング王国は救いようもない極貧国家だ。シオノン山の噴火で大地は荒れ果て、無気力な人びとは安易に人生をあきらめている。


 ほかの世界で生きたいが、それは簡単なことではないんだ。

 運悪く王の一人息子で、王位継承権第一位ヴィトセルク王子だから。

 いっそ、無冠の庶民のほうがいいなんて、口が裂けても言えない。


 俺は、ただこの無力なこぶしを握りしめる。


 いつか、この国の奴らに教えてやりたい。

 世界はそれほど絶望的なのか。絶望に安住していいのかと。


 いや、これは笑えるな。わかっているんだ。実際におぼれそうなのは、俺の方かもしれない。


「殿下。悪い夢でもご覧になりましたか」

「ああ……」

「日頃の行いのせいでしょう。良心が咎めているのです」

「おまえに出会った日も夢見が悪かった」

「下がります」


 アスートが音もなく消える。

 不思議な因縁だ。奴の身分では、そもそも側近にはなれない。それを強引に押し通したのは俺だ。


 アスートが気に入っているのか。

 冷静で理知的な男で、ズケズケとものを言う無礼なところもある。今の地位を捨てても気にしないようだ。

 たぶん、そうなんだろう。

 俺が従者に選んだというより、奴が俺を選んだと思う。




 アスートと出会ったのは6年ほど前……、城を抜け出した日のことだ。


 大粒の雪がふわふわと舞う、凍えるように寒い日だった。

 俺たちは、まだ少年と言っていい年頃で。


 アスートは数人のゴロツキたちに殴られていた。栄養失調で痩せこけ、ひょろりとした身体は、いっそ幼く見えた。おそっているやからだって痩せこけている。この国の民は貴族階級を除けば、悲しいほど、みな細く痩せて小さい。


 容赦なく繰り出される足蹴りに、両手で頭を抱え耐えている。全く抵抗もみせず血まみれだ。


 いったい何人だ。

 1、2、3、4、5、6人か。


 ああ、面倒くせえ。しかし、この先に気に入りの場所がある。やつらの乱闘のため狭い道が塞がれている。


「おい」


 声をかけても誰も振り向かない。

 血を見て興奮するアホばかりだ。

 殴られている少年の横顔が見えた。冷静に状況を分析しているような冷たい目をしている。たぶん、こいつが無抵抗で殴られるのは、このゴロツキたちには理解できない、ある種の嫌悪感からだろう。


「おい!」

「うっせえ。おまえも殴られたいか!」

「あっ! お、おい、スキム。や、やめとけ。あれはヴィトだ」

「ヴィト?」


 その声の主に向かって拳を入れた。

 瞬時にスキムと呼ばれた男がレンガ壁にふっとぶ。チッ、こっちの手も痛え。

 次は?


 にらむと男たちは後ずさった。


「ヴィ、ヴィト。あ、あの、こいつは知り合いか」

「やあ、おまえら。なあ、そんなことより、本気だせ。退屈だろ」


 近くにいた奴に蹴りをいれた瞬間、ほかのゴロツキは逃げていた。

 たわいもない奴らだ。

 ともかく、道は開いた。


 立ち去ろうとすると足首をつかまれ、動けなくなった。


「……やめて…欲しかった」


 傷ついた少年は口もとで血を吹きこぼし、苦しそうに咳き込んだ。


「はああ?」

「放っておいて……、よかった」


 切れ長の細い目が冷たい。頬からも血がでている。


「ずいぶんと、やられたな」


 手を差し出すと奴は左足をかばいながら立ち上がった。足を折られたのか、動きが奇妙だ。


 肩をすくめて歩きだした。

 背後から追ってくる足音が聞こえる。片足が不自由なため、壊れた石畳に不規則な足音が響いてくる。


 俺は無視して、少し歩幅をせばめ、歩き続けた。

 それ以来、奴はつねに背後にいて、俺を守るようになった。


(つづく)

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