第119話 犬も歩けばファンクに当たる 8

 真盛橋羽音町四丁目、夜八時。

 仕事場の作業服に緑のミリタリージャケットを羽織って自転車を漕いで帰路に着く平田文哉は、通りすがりのその街風景に、変わりがないことを確認していく。

 水商売系の店が一斉に開店して客を迎え入れる為にネオンを輝かせる。

 パトロールのつもりは無いが、一か月前の事件も文哉にとってはこの飲み屋街が始まりの場所だったので、変化は無いかと気になってしまう。

 車道をゆっくりと流すように自転車を漕いでいく文哉の背中に、クラクションが二回鳴らされる。

 道の邪魔をしてるつもりは無かったので、文哉は誰だと振り返ると、クラクションの主は見知った黒いセダンであった。


 歩道に寄せられ止められたセダンに合わせて、文哉も自転車から降りて歩道へと上がる。

 ガードレールを挟んでセダンの横に立つと、助手席側の窓が下へスライドして開けられた。


「よぉ、平田。仕事帰りか?」


 助手席に座るのは、馬宮幹雄。

 事件の際にボロボロに破れてしまった紺の背広をそのまま揃え直していた。


「あのさ、気軽に声掛けないでくれるか? ただでさえ一ヶ月の入院に、喧嘩してたのもしっかり目撃されてて、職場じゃ評判悪いんだからさ。これに重ねて極道とも交流があるなんて、スリーアウトチェンジでクビになっちまう」


 元々職場での人間関係を円滑に行ってきたわけではないが、それ故に付け込まれる素材が増えるのは避けたかった。

 別に続けていきたい仕事だとは文哉も思っていなかったが、職を失うわけにもいかなかった。


「つれないこと言うなよ。この街じゃ、千代田組ウチと話してるぐらいでとやかく言う奴の方が稀だぜ」


 そう言って運転席から顔をのぞかせるのは、平家北斗。

 こちらも濃緑の背広を新しく揃えていて、どうやらそれぞれのトレードマーク的なカラーなのかもしれない。

 まるで作業服みたいだなと、文哉は思った。


「それで、何の用だよ、わざわざ呼び止めて」


「華澄ちゃんと桐山の試合観に行くんだろ? どうだ、一緒に?」


 馬宮の誘いに文哉は、は?、と返した。


「オイオイ、暇なのかよ、千代田組? わざわざその為に組の車を乗り回してるのか?」


「違ぇよ。今日は若頭カシラの見舞いにとお嬢送った後なんだよ。報告も兼ねてるから、俺らもちゃんと仕事帰りってとこなんだ」


 運転席で平家は森川八重を乗せていたであろう後部座席を親指で差す。

 文哉は八重と千代田組の関係性を深くまでは聞いていなかったが、軽く聞いた感じ八重がタクシー代わりに千代田組の車を使うようには思えなかったので、警護だ何だと理由をつけて無理矢理送迎したのだろう。


「大体何時から何時までみたいな定時制じゃねぇからな、極道ウチは。シマの見回りと息抜きは並行してやらなきゃならねぇのよ」


「息抜き、ね」


「アレから一ヶ月経つが、また何か起こらねぇかと敏感になっちまってしょうがねぇ。まぁ、その方が街を護るだなんて組の方針には合ってんだがな。とはいえ、ずっと張り詰めててもいざって時にガス欠になりかねねぇ」


 それで選ぶ息抜きが格闘バーでの観戦というのだから、闘争本能滾りすぎじゃないか、と文哉は思った。

 文哉自身はグラップル羽姫に足を運ぶのは腰が重かったが、今回は華澄がいつも以上に誘ってくるので根気負けして行くことになった。


「ああ、今回羽姫に行くのは息抜きでもあるが、見回りも兼ねてんだよ。あそこの話題は羽音町外にも広がってっからな。客も外から足運んできたヤツが大半だ」


 違法スレスレのグラップル羽姫は、実のところケツモチに千代田組がついていないので、外の組織にシノギとして狙われることもしばしばであった。

 それが今回の話題性で尚更加速するかと思うと、悠長に構えてる場合では無かった。


「ハハ、お仕事大変そうで良かったじゃないか。極道アンタらに言うのもおかしな話だが、どうぞ気張って街の警備に励んでくれよ」


「他人事みたいに言ってんじゃねぇよ、平田。聞いてるぞ、商店街自警団に顔出すようになったそうじゃねぇか?」


 平家の指摘通り、文哉は怪我が治ってからまた自警団に顔を出すようになっていた。

 OBだどうだと出しゃばるつもりは無く、ただ後輩らの顔は知っておこうと思っての行動だ。

 見知らぬ人ストレンジャー事件における文哉の活躍により、商店街自警団の士気は高まっていて、ただその士気が暴走しないようにも監視の目を光らせていた。


「互いにやる事は山ほどあるってことか。それじゃあこんなとこでダベってる場合じゃねぇな」


 そう言うと文哉はセダンから離れ、停めていた自転車に跨った。


「何だよ、行かねぇのか、羽姫?」


 馬宮が不服そうに口を尖らせる。


「行くよ。ただ、店の中でまでアンタらと隣り合わせはゴメンなんだよ」


 文哉はそれを別れの言葉として、自転車を漕ぎ始めた。

 すっと、車道へと降り走り出していく。


 何だよつれねぇなあ、と平家は笑いながらセダンのエンジンを掛け直した。

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