第97話 グライムに教えられる 17

 互いの頬に突き刺さる、互いの右ストレート。

 井上と英雄、両者ともにその一撃を踏ん張り耐えるとすかさず次の一撃へと振りかぶる。

 二撃目は左ストレート。

 互いに避ける素振りも見せず。ただ己の一撃が最大の威力となるように腕を伸ばす。


 千代田組、そして羽音町を壊し尽くすと決めた英雄にとって次から次へと立ちはだかる街の守護者は、超えるべき壁、振り払うべき因縁である。

 それを成さなければ意味が無い、英雄の心は満たされないだろう。

 街を破壊する、極道のひと組織を破壊する、単純にそれだけが目的ならばつまらないやり方などいくらでもある。

 それこそ、インターネットを利用すれば簡易の爆弾、簡易のショットガンなど作るのは簡単で、それを手に暴れ回れば一応の目的は果たせるだろう。

 だがそれでは、英雄が抱いた怒りと喪失感の矛先を見失うだけだ。

 爆弾はこの拳でこそ、ショットガンはこの拳でこそ無くてはならない。

 自分が、自分自身が、壊していくのだと実感を得れるものでなくてはならない。

 そして、その実感を今、井上を殴りつけることで英雄は得ていた。

 一撃一撃、真っ向からのぶつかり合い。

 両の拳が傷だらけで最早感覚は無くなっている。

 腕の先に付いたモノを相手にぶつけてるだけという錯覚すら覚える。

 しかし、それを何度ぶつけようと、目の前の、井上は倒れる素振りを見せることは無かった。


 何撃目だろうか、とふと井上は気の抜けた問いが頭に浮かんでいた。

 何撃殴り、何撃殴られた?

 まだ瑛太と笑って遊んでいられた頃、こうして英雄と殴り合うことになるとは夢にも思っていなかった。

 仲の良い友達、いつも一緒にいた兄弟分、喧嘩なんて口喧嘩ぐらいの事しかやってこなかった。

 目の端に飛び散る血飛沫が映る。

 それが自分のものか英雄のものか、それすらわからない。

 ただ必死に繰り返される殴り合いに付き合う、いや、縋りついてる。

 互いの顔を叩き、肩を叩き、胸を叩き、腹を叩き。

 一瞬の判断で、やってやり返されて。

 痛みというものが、とうに感じられなくなって、硬い身体や顔を叩く拳も腫れ上がってるという感覚だけがわかる。

 拳をちゃんと握ってるつもりだが、それがちゃんと出来ているかも定かでは無い。

 そんなことを確認してる間に、次の一撃がやってくる、やり返している。

 顔を真正面から殴られた何撃目かで、鼻の奥でごきっと音が鳴り、鼻血が詰まる。

 口を開け呼吸をする井上、その口の端から血が垂れていく。

 目の周りが冷たさと熱さを同時に持って、視界が狭くなっていく感覚もある。

 限界はとうに来てる、それは嫌でもわかる。

 それでも、もう引き下がることなんて出来るわけが無い。

 街を護る仕事を選んだのだ。

 街を護る仕事に就いたのだ。

 易々と街を壊されて、誰に顔向けできるだろうか。

 瑛太に顔向け出来るだろうか。

 何も出来なかったと言えるだろうか。

 英雄に何もしてやれなかったと言えるだろうか。


 一撃一撃が、意識というものを奪っていく感覚。

 自分の、相手の、意識を削ぎ落とし、死へと近づいているような感覚。


 ハナから命懸けの行動だ、ここで死ぬならそこまでだと英雄はその手を緩めなかった。

 自分が死んでも英雄を死なさない、もう友人を亡くすのはゴメンだと井上はその手を緩めなかった。


 殴り続けるのは互いに互いを越えるため、互いに互いを救うため。


 血が飛び散る程、井上を殴るのはそうしないと井上も瑛太の死に囚われたままだからだ。

 怒りとして壊す行動に出た英雄に比べ、護ると決めた井上はこの先何十年とかけて続けていくことになるだろう。

 長い年月抱えた感情を壊すということで散華させようとしてる英雄にとって、その井上の選んだ生き様はあまりに重く苦しいものだ。

 自分は何も出来なかった。

 そう決着づけてやらねば、止まることはないだろう。


 血が飛び散る程、英雄を殴るのはそうしないと英雄はこの騒動の果てに死ぬ気だからだ。

 壊すなどという一瞬の消化で満足して死なれるなんて、残される者としてたまったもんじゃない。

 井上はこの長い年月抱き抱えた喪失感を、再び味わうつもりなど無かった。

 そんな一瞬の満足で瑛太の事を消化し切れるわけがないと思っていた。

 自分はずっと抱え続けるんだ。

 そう叩き込んでやらないと、止めることはないだろう。


 何度目かの右ストレート。

 互いの腫れ上がった顔に突き刺さる一撃。

 意識を奪っていく衝撃。

 しかし、互いに止まることなく、また次の一撃を振りかぶった。


 

 

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