第94話 グライムに教えられる 14

 薄緑に塗装された床の上を滑り転がっていく勝。

 荷物用エレベーターの前に設置されているポールに背中をぶつける。

 前後に受けた強い衝撃は身体を痺れさせる。


 勝が吹っ飛ばされたことを気にとめつつ、文哉は英雄への攻撃を緩めなかった。

 緩めれば即反撃が来るのは明らかなので、一気に叩き込むのが今の最善手だ。

 しかしそれを許さないのが、勝を吹っ飛ばしたニアンだった。


「真面目にやれと言っただろう」


 文哉の蹴りが英雄の脇腹に突き刺さったタイミングで、ニアンが動き出した。

 英雄への攻撃に集中しつつも、ニアンの動きを警戒していた文哉はそれに反応しようにも、それより早く反応したのは蹴りを受けて身を捩っていた英雄だった。

 連打する蹴りの痛みに耐えつつ、英雄は文哉の足を抱え込むように掴んだ。


「ちょっとずつ防御の位置をズラして、決め手を誘ってくるなんて、その身体で根性あるじゃねぇか自警団アマチュア!」


 肉を切らせて骨を断つ、そんな自傷行為に似た戦法をここに来て取ろうなどと正気ではないなと英雄は思った。

 プロレスじゃあるまいし、相手の攻撃を受けるのが礼儀という話では無い。

 もう互いにそんな礼儀を通せる身体では無いことはわかってる。

 そんな見栄を張れる場面じゃないことはわかってる。

 英雄が文哉の蹴りの連打を甘んじて受けていたのも、そういう矜恃から来るものではなく、身体が反応しきれなかったからだ。

 

 捕まえられた足、逃げ場のない状況。

 文哉の胸部に押し当てるニアンの掌打。

 足をがっちりと掴まられたことが、その衝撃を逃さない。

 胸部に受けた衝撃が頭部、脳を揺らし文哉の視界が一瞬白くなる。

 歯を食いしばる間も与えられない、気を失いかけた恐怖。

 とにかく逃れなければ、朦朧としかける頭で文哉はそう判断して、掴まれた足を必死に動かす。

 一撃で仕留め損なったことに気づいたニアンは、間髪入れずに次の攻撃へと流れていく。

 ここで仕留めきる、そう踏み込んだニアンは文哉の揺れた脳めがけ顎を打つ掌打を伸ばす。


 身を拗じる程の蹴りの連打、それは英雄に確かなダメージを残していた。

 掴んでいた文哉の足、その拘束が意図せず解かれる。

 文哉の顔面へと伸びてくるニアンの掌打、解放され後ろに倒れていく文哉の身体。

 逃れ切るには遅かった、しかし芯を捉えられることにはならなかった。

 ニアンの掌打が文哉の顔面を叩く。

 後ろのめりに倒れる文哉の身体を押し飛ばすことになった、掌打。


「ワーワーと威勢だけか、元極道ヤクザ


「うるせぇ、手が滑っただけだ」


 ニアンに失態を忠告されて、英雄は舌打ちで返した。

 文哉に蹴られた脇腹がズキズキと痛む。

 額に汗が滲むのが、全身の痛みからわかる。


 文哉も勝と同じ様に床の上を滑りながら壁端まで転がっていく。

 意識は僅かにあるものの、脳は激しく揺らされて全身への命令が上手く働かない。


 冷たくコンクリート臭い床に俯せに倒れる、勝と文哉。

 その二人にトドメを刺そうと動こうとしたニアンを止めたのは、動き出した荷物用エレベーターだった。

 立ち止まったニアンが英雄に視線を送ると、英雄は、来たか、と呟いた。

 数秒の間、荷物用エレベーターの乗客を待つ英雄とニアン。

 本命はこちら、他に気を逸らしてる余裕は無い。

 やがて、荷物用エレベーターは三階に到達し、そのスライドシャッターを開いていく。


「何だ、まだこんなとこで足止め食らってんのか、テメェら」


 エレベーターから降りてくるなり状況を把握し、勝と文哉に叱咤の言葉を投げつける遊川。


「よぉ、来たな若頭カシラ。それに、梅吉うめきち、テメェもな」


 遊川に並んでエレベーターから降りてくる井上。

 既に臨戦態勢と両腕を構えている。

 

「お前を止めに来たぞ、梅っ!」


 今度は無手、武器無しでの勝負。


「お前が噂の怪物モンスターか? お前の首を狩れば名が上がるそうだな」


 ニアンは左手を背中に回し、右手を前に出して遊川にくいくいっと手招きする。

 一戦交えよう、暗にそう挑発していく。


「鼻息荒いな、はぐれもん。まぁいい、。相手してやろうじゃねぇか」


 そう言うと遊川は、ニヤリと口角を上げた後、ニアンの真似をするかのように右手を前に出してくいくいっと手招きする。


 テメェから来いよ、喰らってやるから。


 怪物モンスターなどと呼ばれたその事自体を利用するように、遊川は自分のに沿って挑発し返した。

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