第35話 百聞はボサノバにしかず 11
ざわめく通行人たち。
きらめくネオンサイン。
響くサイレン。
続く足音は警察のもので、文哉と華澄は顔を見合わせてその場を離れた。
「さすがに明日事情聴取とか来そうだな」
「え、文哉くん、何したの?」
「何したのって、お前ね・・・・・・」
振り返ると通行人たちによるモーゼの十戒。
開けられた場所に倒れる剣崎晃司。
文哉は絞められていた首を擦る。
「うわぁ、手形くっきり、赤くなってるよ、文哉くん」
「馬鹿力め。キャメルクラッチってさ、顎掴むんじゃなかったっけ?」
「うん、邦子さんは確か顎掴んで後ろに引っ張ってたよ。アレは痛そうだったなー」
走りながら会話をする二人。
華澄は羽姫の女王と呼ばれる桐山邦子が新人に技を決めてる様子を思い出していた。
クルクルとした金髪に小麦色の肌、常に青色のカラーコンタクトをつけてオジサンが思い浮かべそうな如何にもなギャルの様相をした新人は喧嘩ごっこをする軽いバイトだと思ってその場に立っていたらしく、後々控え室で号泣していて店長に慰められていた。
店長にユニフォームだと露出上等の水着を渡されても笑顔で答えていたのに、やはり痛いのは勘弁だったらしい。
手加減はしたんだよ、と桐山邦子は言っていたが問答無用で投げつけたあとに一瞬の猶予もなくキャメルクラッチに持っていったのだから、手加減とは何か?と周りに説かれても仕方がなかった。
邦子さんは引っ張る力は手加減したんだな、と馬乗りになる自分の重さを考慮してなかったことを華澄は気づいて笑ってしまった。
「華澄はなんであんなとこ・・・・・・って、羽姫の帰りか」
「そ、今日も二戦してきたとこ」
人差し指と中指の立てて文哉に見せつける華澄。
それは二試合という意味か、圧勝のピースサインか。
華澄を見るに何処にも怪我一つなく、殴られたり蹴られたりと試合をした痕跡が見当たらなかった。
買い物帰りの女子高生。
そんな風に言われたらそれを信じてしまいそうなほど、試合という言葉とは程遠い有り様だった。
ジーンズのオーバーオールにブラウンのチェック柄のジャケットを羽織るボーイッシュコーデが、その童顔に相まって女子中学生と言われても華澄のことを知らない人は信じるだろう。
「何、じろじろ見て」
「物足りなそうな顔してるぞ、お前」
「あ、わかる? 邦子さんと試合してからさぁ、ガチなの禁止されちゃって。空手とかで言う型をやってるみたいな感じ。ていうか、打ち合わせたダンスみたいな」
「邦子さんが誰かもわかんねぇよ」
「え、マジで羽姫の試合観てないの、文哉くん」
文哉は首を横に振って、観てない、と答えた。
華澄はわざとらしく大きなため息をついた。
雑踏を駆ける。
警察やらヤクザやら剣崎やら。
もういい加減四丁目から離れた方がいいな、と文哉はビルの角を曲がった。
華澄がそれに否応なく続く。
家は近所なので、帰り道は同じだと言えなくもない。
文哉は自転車を取りに行きたかったが、もう今夜は諦めた方が良さそうだった。
「親心というか兄貴心的なので、私の試合だけ観てないとかなのかと思ってた」
「だから言ってるだろ、女同士の喧嘩が面白いだなんて思えないんだって」
「えー、文哉くん時代にあってないよ、ポリコレポリコレ!」
「ポリコレはセクシー衣装のキャットファイト推奨しねぇよ!」
三丁目が近づいてくる。
文哉は速度を緩め、歩き始めた。
少しだけ呼吸は早くなるものの、ダッシュによる疲れはなかった。
身体にあるのは二戦と続いた喧嘩の痛み。
鼻頭を擦る。
折れてなくて良かったと止まった鼻血の感覚に思うばかりだった。
「あ、文哉くん、もしかして私のセクシー衣装が心配で観てないとか?」
「は? お前、セクシー衣装とか着てんの?」
「え、いやー、着てないというか、期待されてないというか」
華澄ちゃんが着ちゃうと小児ポルノと勘違いされて一発アウトだから。
店長が小柄な女性用の水着をしまいながら笑って言って安堵と苛立ちを浮かべたことを華澄は思い出す。
グレーのラインがよくわからないなと首をかしげたりもした。
「私は空手胴着とかジャージとか、そういうの渡されて試合してるよ」
「ああー、そういう需要ね、なるほど」
「需要って何?」
「んー、お前の役割っていうか。良かったじゃん、役割あってさ」
「ああ、ガチ試合担当ってこと? でも、それは最近禁止されたしなぁ。役割なのかなぁ、それ」
腕を組んで首をかしげる華澄。
華澄の父親──町内会会長がよくやる仕草だなと文哉はその姿を思い浮かべた。
柔軟にして豪快な性格で、山のような大きな体格をしていて組んだ腕は幹のように太い。
ガハハ、と笑うその会長に再び会える顔を文哉は持っていなかった。
その豪胆な会長の愛する一人娘を格闘技大好き暴走娘にしてしまったのは、少なからず文哉の影響があったからだ。
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