第13話 案ずるよりパンクが易し 7
伊知郎は追いかけていた青年の姿を見失っていた。
正確には追いかけていた青年の姿を見失い、その後伊知郎を追い越していった褐色の青年と色白の青年を追いかけていたのだが、その二人も見失った。
褐色の青年は猛スピードで駆けていたのでそもそも追いつくはずもなかったが、色白の青年はジョギング程度の速さだったので伊知郎は少し距離は開きつつもかろうじて追いつけていた。
しかし、八丁目に到達して追いかけていた青年達が路地裏に姿を消してからは完全に見失ってしまった。
八丁目の路地裏は迷路の様に入り組んでいる。
建築の法律や防災の法律を無視したように乱雑に建てられた建物によるものだ。
その乱雑に建てられた様に、まるで子供が玩具で遊んだようだ、と近年になってやっと市外部から指摘があった。
伊知郎は見失っていた。
それは追いかけていた青年達の姿、そして自分の現在地をだ。
喘息の様な荒くなった呼吸に耐えながらがむしゃらに追いかけてきてみたものの、振り返ってみれば何処をどう進んで来たのかわからなかった。
進むべき道も、帰るべき道も見失ってしまっていた。
不意に金属音が聞こえた。
金属同士がぶつかる音、だと伊知郎は思った。
建物の壁に反響するので、正確な位置まではわからなかったが音のする方に伊知郎は歩いて進むことにした。
記憶が確かなら追いかけていた三人の青年、誰一人手に何かを持っていなかったはずだ。
つまり、今から向かう方はまったく見当違いである可能性が高い。
八丁目での若者の犯罪率が高いというのは昔からの噂だ。
路地裏には近づかない方がいい、と娘にも忠告されたことがある。
何か別の事件に遭遇してしまう可能性がある。
それでも今ある手がかりはその音のする方にしかないのも確かだ。
伊知郎は息を飲んでゆっくりと歩みを進めた。
次第に周りの建物の壁に落書きが増えていく。
グラフィティアートとか呼ばれているスプレー缶で描かれた読めない文字だ。
丸みを帯びたカラフルな文字の中でかろうじて読めたのは、DEATHだとかDEVILだとか若者が好きそうな単語だけだった。
再び金属音が聞こえた。
今度のはぶつかった後に転がるような音も聞こえる。
先程より大きく聞こえたので、近くなったと伊知郎は確信した。
何度目かの角を曲がるとそこには広場があり、三人の青年がいた。
勢いよく駆けていった褐色の青年は仰向けに倒れていて、伊知郎が本来追いかけていた青年と色白の青年が対峙して立っている。
伊知郎の近くには金属バットが転がっていて、伊知郎は何気なくそれを拾い上げた。
でこぼこになった金属バットのヘッド部分に血が付いていた。
視線を移すと追いかけていた青年――勝の側頭部から血が流れているのが目に入った。
「何をやっているんだ!?」
伊知郎は思わず怒鳴ってしまった。
喧嘩なのかもしれないが、しかしこれはやりすぎだ。
「ああっ!? 何だ、オッサン!?」
色白の男――須藤が怒鳴った。
伊知郎は驚いて金属バットを手放しそうになった。
先程ジョギングで追い越していった須藤の印象とは違い、殺気だって突き刺すように睨んでくる。
余計な正義感をちらつかせて首を突っ込む大人、須藤はそれがもっとも嫌いでこれまでの人生で幾度となく暴力を振るってきた相手だ。
正義感をちらつかせる奴には何を言っても無駄で、黙らせるのが手っ取り早いと須藤は思っていた。
勝にはやってきた人物が誰なのかわからなかった。
勝の右側にやってきたので、視界には入ったものの赤くぼやけていた。
確認する為に視線を動かしたかったが、それをするには顔ごと動かして確認しなければならないため躊躇していた。
左目では須藤の動きを捉えていたかったからだ。
その須藤は伊知郎の方に意識を向けていた。
自分が立ち上がるのを待ち構えていた男だ、もしかすると喧嘩を邪魔された事に苛立っているのかもしれない。
勝にとっては邪魔されたのはありがたい話ではあった。
ほんの少しでも休憩できるのは助かる。
まだ頭がぼんやりとしたままだからだ。
須藤は怒りがおさまらないのか伊知郎に向かって歩きだした。
その動きを追って勝は目線を動かし、伊知郎を視界に捉えた。
何処かで見たことがあるオッサンだ。
つい最近何処かで。
首を捻ってみたものの、つい先程の記憶に思い当たらない。
そうこうしてる内に、須藤は二歩三歩と伊知郎に近づいていった。
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