第14話 案ずるよりパンクが易し 8
「オ、オイ、ちょっと待て。待った方がいい」
勝は慌てて須藤に制止の声をかけた。
伊知郎は息を飲んで突っ立ってるだけだ。
ああ!?、と須藤は顔だけを勝に向けた。
「そ、その人が誰だか知ってんの?」
勝の問いに須藤はまた、ああ!?、と答える。
その後ろで伊知郎が首を横に何度と振る。
オッサンに言ってんじゃねぇよ、と勝は言いたかったが我慢した。
須藤は伊知郎に再び目線を戻し、上から下まで睨みつけた。
何処にでもいるようなオッサンだ。
「ええ!? 知らないのかよ? イチローさんだよ、イチローさん。凶打製造機のイチローさん!」
イチローさん?、と須藤は呟く。
頭にはメジャーリーガーが浮かんでいたが、目の前にいるのは金属バットを持っているとはいえ単なるオッサンだ。
凶打製造機なんて通り名が付きそうな人物には見えない。
伊知郎は驚いていた。
追いかけていたとはいえ、まったく知りもしない青年に名前を言われたのだ。
何故彼は自分の事を?、と以前に会ったことがあるかどうか記憶を探りだし始めた。
我ながら無茶苦茶なはったりだと勝は思った。
少ない野球知識からそれっぽい単語を作り出してみた。
伊知郎がきょとんとした顔で勝を見ていた。
見てんじゃねぇよ、と勝は言いたかったが我慢した。
「アンタ、その金属バット、そこら辺で何気なく拾って持ってきたんだろ?」
勝に答える様に、須藤はまた顔だけを勝に向けた。
「その金属バットが何ででこぼこなのか気にならなかったのか?」
「そりゃあ、ここら辺の奴らが誰か殴って捨てたんだろ。それをまた誰かが拾って誰かを殴って捨てた。この街じゃ当たり前みたいな話だ」
ビール瓶、鉄パイプ、金属バット。
不良漫画や任侠映画に出てきそうな凶器が、この街では路地裏に当たり前の様に転がっている。
元の持ち主なんて気にしたことはない。
とっくにこの世にいないのかもしれないからだ。
「はっ、違う違う。その金属バットな、イチローさんのもんなんだよ。イチローさんが、でこぼこになるまで人殴ったんだよ」
勝の言葉に須藤は、は?、と返した。
その後ろで伊知郎は首を横に何度も振っていた。
須藤は伊知郎に向き直した。
そう言われれば先程から金属バットを片時と手放さないし、険しい表情をしている様に見える。
「マジかよ、オッサン……」
半信半疑。
信じられない話ではあるが羽音町じゃ何が居るかわかったもんじゃないのも確かだ。
「オッサンじゃねぇ、イチローさんだ、馬鹿野郎」
ただ突っ立ってる伊知郎から須藤が一歩二歩と距離を開けるのを見て、勝は吹き出しそうになった。
見知らぬオッサンを巻き込みたくなかった故の無茶苦茶なはったりではあったが、こうも上手くいくと笑いが込み上げてきた。
しかし、笑っている場合ではない。
勝は口から息を吸い込み、鼻からゆっくり息を出した。
一、二分のやりとりでぼんやりとしていた頭が少しはマシになっていた。
「イチローさんがマジになると洒落にならないからな。アンタの相手は俺ってことで、さっきの続き、やろうか」
頭の痛さは相変わらずだが、これ以上の時間稼ぎは無理だろう。
須藤は身体ごと勝に振り向くと、先程と同じ構えをとって摺り足でじりじりと近寄ってきていた。
伊知郎が何かを言おうとしていたが、勝が睨んでそれを制止した。
再び先手を取ろうとしたのは須藤だった。
勝はまた構えずに立っているだけだ。
摺り足でジリジリと近づき、須藤の左足が動く。
三度目のローキック。
相手の足を折るほどに繰り返しローキックを重ねていくのが、須藤の必勝の策であった。
ローキックを重ねていく、その効果が出るには時間がかかるが須藤はその時間を楽しんでさえいた。
効果が出る、すなわち足から崩れていく相手を後は自由に殴ることができるからだ。
そのローキックが当たる寸前に、須藤の顔は左へと飛んだ。
勝の左フックが須藤の右頬を捉え、片足で立っている状態だった須藤は耐えきれず後方に飛ばされた。
須藤の口から低い音で息が漏れる。
勝は一歩踏み込んで、さらに右ミドルキック。
顎の辺りで構える須藤の左腕の下を通り、脇腹へと勝の右足が当たる。
バチィィ、と音と共に須藤の身体が僅かに浮く。
須藤の口から唾液が飛ぶ。
勝は素早く降ろした右足に力を入れ踏み込む。
そして、もう一度。
左フック。
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