第4話

百田のいるクラスは三組だ。山崎、二階堂、ミトは一組なので、普段彼らと百田に接する機会はなかった。

他クラスの生徒が訪問すると妙な注目を集めるが、放課後至っては教室に残っている生徒の姿は少なかった。

ミトが三組の教室の扉を勢いよく開けると、窓側の席に座っていた男女が突然の来訪者に気が付いてこちらを見た。


「おー、いたいた! 百田ぁ、チョコくれー」


ミトの直球発言に山崎は呆れた。そもそも二人に面識はないはずだ。


「あれ、誰?」


窓際の席の女性は百田だった。暖かな風を受けて長い髪が揺れている。上着を脱いでブラウスの袖をめくっている彼女からは色香が感じられる。

彼女は一緒にいた男子生徒の花邑はなむらに、能天気な来訪者の正体を確認した。


「一組のミトだよ。本当は水にカタカナの卜で『ミウラ』だけど、世の水卜ミトちゃんと同じでミトって呼ばれてるんだ」


学生服の下に赤いトレーナーを着ている。髪の毛が茶色に見えるのは陽射しのせいではなさそうだ。花邑は校内でも有名なヤンキーだった。


「入ってこいよ!」


花邑が二人を手招いている。


「邪魔して悪いね」


遠慮なく入り込むミトもどうかと思うが、山崎もついて行くしかなかった。


「百田さん、今年のチョコはもうないの?」


百田もミトをただのお調子者と認識したのか、笑顔で接した。


「残念だけど、今年はチョコを作ってないのよ」

「俺は貰ったけどね」

「そういう事は他人ひとに言わないでよね」


花邑の胸を軽く小突きながら百田は笑った。

百田に返された答えを受けてミトは酷く落胆していた。

その様子を見た百田は、


「まーまー、ちょこっと私の話を聞いておくれよ」


ミトの肩に手を置き、彼を宥めるように、昨年配ったチョコレートの話をした。


「実は私ね、東京の中学校でいじめられていたのよ。だから転校初日にしくじりたくなくて、チョコを作ってみんなに配ったの。挨拶代わり? ただそれだけの事だよ」


真実とは得てして単純なもので、噂以上の驚きには滅多にお目にかかれないのだ。


「じゃあ、男子のチョコに媚薬を入れたり、身を削ったりしてないのか?」

「身を削るて、苦労人か」


ミトの言葉がツボに入って、百田はお腹を抱えて笑った。

山崎は屈託なく笑う百田の表情や仕草を可愛いと思った。クラスの男子が夢中になる気持ちも分かる。


「変なモノも入れてないって。……男子のチョコにはね」

「え?」

「女子のチョコにはピスタチオの代わりに鉛筆の削りカスを入れてあげたの」


そう言ってケラケラと笑った。先ほど笑顔と違う小悪魔の笑みに山崎もぞっとした。


「私もよく給食に消しカスを振り掛けられてたのよね。削りカスチョコ食べてる女子達の顔を見てるだけで、転校初日は優越感に浸れたわ」

「お前って怖い女な。女子の友だちがいないの分かるわ」


一緒にいた花邑も少し引いていた。


「ねえ、水卜みうら君。貴方、水卜素子みうら もとこの親戚でしょ?」


素子はミトの従妹の名前だ。百田は前校で素子のクラスメイトだった。


「珍しい苗字だからもしかしてと思ったけど、ビンゴね」


ミトも百田の毒気に侵されて塩らしくなってしまった。山崎に至っては茫然としている。


「私が太ってた話も聞いてるでしょ? 私の身体がチョコで出来てるとか、溶かして痩せたとか。変な噂の出所って素子だったのよね。あ、別に君を責めている訳じゃないから心配しなくていいよ」


ミトはもう黙るしかない。


「私、学校を休んでいた期間、食べては吐いての繰り返しで自然に痩せたのよ。拒食症ってやつ」


スマホで見た百田の過去の写真と今の百田を見比べて、ミトにも彼女が相当苦悩していたことは想像できた。


「ねえ、折角来たんだから面白い話教えてあげるわ。ついさっきの出来事。私ってチョコ女って呼ばれてるんでしょ?」

「そうらしいです」


ミトは何とか返事をしたが、正直この場を立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。


「チョコに媚薬を入れてクラスの全男子を虜にしてるとか」

「自分で虜って」


花邑は嫌らしい笑みを見せた。


「それを聞いたある女子が私を訪ねてきて、気になる男子を振り向かせるチョコの作り方を教えてって言うのよ。だから教えてあげたわ。チョコを沢山食べてチョコの身体になりなさい、それが無理なら自分の血でも入れたらいいわよって。そう言われて君は信じる?」

「まさか、信じるわけないでしょ」


ミトが正直な感想を伝えると、


「だよねー! 普通は。でも千歳ちとせの奴は信じたのよ」


千歳永遠ちとせ とわ。ミトと山崎と同じクラスの女子の名前だ。大人しい感じの目立たない子で、粘着質な感じもする。あまり関わり合いたくないタイプだと山崎は思っていた。


「思いの男子を振り向かせるにはどうしたらいいかなんて自分で考えろっての!」


ミトも山崎も相談する相手を選べよと、心の中で千歳にツッコミを入れた。


「私の身体はチョコじゃないから、何をあげたらいいかってブツブツ言ってたの、凄く怖かったわよ」

「思いつめる女は何するか分かんねえからな」


花邑も同調する。


「ところで水卜君は私のチョコ食べたいんでしょ。食べてみる?」


百田はそう言ってミトの方へ左腕をすぅーと伸ばした。その瞬間、仄かに甘い香りが漂った。

到底チョコとは思えない白い肌には青い血管が浮き出て見える。そして、手首には過去の自傷行為と思われる白い筋が何本も残っていた。


「フェニルエチアミンの香り。私、全身がチョコの功克力娘チョクリーニャンなの。」


恐怖を感じたミトは山崎を連れて、男女の笑い声が響く教室から急いで退散した。

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