10-5 新しい役目
◆
御所にいたのは、ほんの短い時間だった。
御所を辞して、それから僕は三条宮家の屋敷へ行った。今もそこでは歴史書の編纂が続けられている。
僕が顔を見せたのに、全員が駆け寄ってくる。
「どうでした。陛下は何と?」
壱岐卯野が代表するように問いかけてくる。
「いや……」
何と言っていいのだろう。
「標さん?」
訝しげな仲間たちを見回し、僕は思わず息を吐いていた。
「歴史書の編纂は、継続だ」
短い沈黙の後、歓声が上がった。
「しかし!」
大きいな声を出すと、全員がピタリと黙り、僕にまた視線を集中させる。
「歴史を題材とした物語をまとめるように、とも仰せだった」
今度の沈黙は、いつまでも続いた。
僕は何も言えずに顔を俯けるしかない。
「それって」
書誌処から引っ張ってきた若い下級役人が、やっと全員の疑問を言葉にした。
「僕たちに、物語を書け、ということですか? 資料を整理するのでもまとめるのでもなく、物語を作れと?」
「そうだよ」
こうなってはもう、投げやりになるしかなかった。
「陛下は歴史を広めるために、歴史を物語調にするのは意義があると仰せだ。その上で、まったくのデタラメを書いてはならないそうだ。史実に即したものを、物語らしくまとめる。これはややこしいが、僕たちの仕事とは繋がっている」
思い切って僕はその場にいる全員の顔を見回した。
しかし一人として、不服そうなものはいなかった。困ったな、とか、呆れた、という顔はあっても、腹を立てたり、投げ出す雰囲気はない。
「それで、物語はどういう形で世に出すのです?」
壱岐卯野の言葉に、僕は「上流階級向けと、民に向けたもの、この二つが最低でも必要だ」と答えた。この時にはもう全員が真剣な顔をしている。
「上流階級向けには相応に高い水準の学がある証明となる質が必要であり、同時に、その学を身につける教材としての役目が必要になる。それと多色を使った絵を添えた絵巻物にする。民に向けるものは糸で閉じる。こちらは読みやすい字、簡単な字を使う。絵は最低限で、黒一色でいい。そういう構想だ」
「それは標さんが考えたんですか?」
「御所で殿上人の方々が決めた」
「つまり、作成に関しては、朝廷で銭を出してくれるんですね?」
そうだ、と僕が頷くと、仲間たちは早速、意見交換を始めた。
「待て待て! みんな、それだけじゃない!」
もう一度、僕が声を張り上げると、三度、彼らは沈黙の中で僕を見た。
「歴史書の編纂も同時進行だ。献上する期日は三年後に延ばされた。この三年は決して延ばせぬ、ということも結論として出た。いいか、三年後の春、それが期日だ」
空気は弛緩しきることもなく、しかし張り詰めるほどに張り詰めるでもなかった。
その日は今後について打ち合わせ、仲間たちは慌ただしく作業へ戻っていった。
僕はといえば、貴木甘人が訪ねてきたので、三条宮道徹も交えて、三人で意見交換した。
「策がはまって満足、とも言えんな」
そう言ったのは貴木甘人で、三条宮道徹は苦笑いしながら「余計な仕事を増やしたようなものですしね」と他人事のように言う。僕としてはこの二人の立場や家柄から、今以上に有能で、多くの協力者を集めてもらう必要があった。
その辺りは二人も把握しているようで、彼らの方から請け負ってくれた。
「意外に面白いものですからね、標くんの書は」
いきなり三条宮道徹がそう言ったので、僕は思わず彼の顔を見てしまった。
「読まれたのですか?」
「我が家の妻も、娘も、読んでいますから。まだ世に出ていない部分の草稿を掠め取ってくれ、この屋敷に中にあるんだから、と何度もせがまれました」
三条宮道徹はのほほんと笑っているが、貴木甘人の笑いは僕のやっていることの滑稽さに笑わずにはいられない、という様子だった。僕は笑うわけにもいかず、しかし、怒るわけにもいかず、表情に困る。
夜遅くに自分の家へ戻ると、時間が時間だからだろう、さすがに表に明亀は立っていない。玄関を開けて中に入ると、奥から明かりが見えた。明亀は起きているようだ。
進んでみると、僕の文机のところで、明亀が何かしている。いや、文机の上の書類を見ているのだ。
「明亀も興味があるのかい」
こちらに気づいていないところへ声をかけたからだろう、バタバタと慌てた動作で明亀が振り返り、すぐに姿勢を整えると「おかえりなさいませ」と頭を下げる。
僕は部屋に入って、座って、ちょっと考えた。
「物語に興味がある?」
明亀はすぐに答えなかった。僕は答えが来るまで待つつもりで、頭を下げたままの彼女を見ていた。
「興味は、あります」
言いながら、明亀が顔を上げた。
興味があるか。
いいかもしれない。
人手は一人でも多く欲しいのだ。
「実は、歴史書の編纂は今以上に忙しくなる。物語も作らなくてはいけないし」
何も話していないので、明亀には物語とは何か、理解できないようだった。灯りの中の表情に困惑がありありと見えた。
構わずに、僕ははっきりと告げた。
「つまり、助手が欲しい。きみ、史書処に手伝いに来ないか? もちろん、本当に雑用しかやらせてもらえないだろうが、どうだろう。嫌なら嫌でいい。気にしないから」
明亀が目を丸くしてから、真面目な顔で頭を下げた。
「もしよろしければ、使ってください」
そうくると思った。
詳しくは明日にしよう、と僕は立ち上がった。そして顔を上げた明亀に思わず笑いながら言っていた。
「草稿、自由に読んでいいから、おかしいところがあったら教えておくれ。それとあまり、夜更かしはしないように」
パッと明亀が笑顔になった。
こうして歴史書編纂は続行となり、同時に時代を風靡する歴史物語の刊行の第一歩が刻まれた。
ということに後世ではなるのだろうが、僕はそこまで気楽でもない。
とにかく、書くことだ。
書くことでしか、先へ進めない。
それでも、さっきの笑顔が見れるなら、それも楽しい、というべきか。
(了)
国史拾遺物語 和泉茉樹 @idumimaki
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