10-4 再びの御前

     ◆


 千景宮家の屋敷において、僕は長い間、三人の女性の相手をした。

 少しずつわかったが、妙齢の美女が千景宮岳厚の奥方で、一番若い少女がそのご息女の彩子さまである。この二人に加えて白桐皇女が僕を質問攻めにした。書いた僕も驚くほど、細かいところまでよく読み込んでおり、考え、想像していた。

 僕は答えられるものには答え、曖昧にするべきところは苦心しながら曖昧に答えた。

 それにしても、彼女たちは非常に生き生きと、楽しそうに喋っている。

 僕が仲間と共に作り上げた、歴史書への理解を広める材料であるところの絵巻物が、いつの間にやら上流階級の間で話題になり、知らぬ間に皇室、それも皇女様にさえ伝わっていたのだった。

 これは予想以上の効果であると同時に、新しい発見でもあった。

 歴史書という形に仕上げれば、確かに資料としては残るし、学者たちはその知識のため、学習のために役立てることになる。

 しかしそれは歴史書を欲する人には響いても、簡単な文章や、娯楽としての物語を欲する人には響かないだろう。今、僕たちが作った絵巻物は、図らずも娯楽としての物語の可能性を露出させていた。

 夕方になるまで、お茶やお菓子をいただいたりしながら話し続け、無関心だったのか、それとも何か用事があったのか、やっとここで当主である千景宮岳厚がやってきた。白桐皇女に挨拶をしている時の彼は、声は野太いし、迫力がある発音をするが礼儀正しい。

 白桐皇女も平然とそれを受け、「あなたの方から、彩子さんに早く絵巻物を読むように言ってくださいね。次が私の番なの」と冗談も口にしていた。僕がこの日に持参した絵巻物は、とりあえずは千景宮彩子さまが読み、それから白桐皇女の元へ受け渡されるとついさっき僕の見ている前で決めていたのだ。

 白桐皇女は千景宮岳厚に辞去する旨を伝え、千景宮岳厚は見送りのためだろう、立ち上がった。僕は頭を下げたが、そこへひっそりとした声で「陛下もご覧ですよ」と言い残して、白桐皇女は去って行った。

 それから千景宮家の奥方に食事に誘われたが、どう答えたかは忘れてしまったけど、僕はどうにか辞去したようで気付くと都の通りを歩いていた。すでに周囲は薄暗くなって、夜の冷たい風が吹いている。

 陛下もご覧ですよ。

 そうおっしゃった。

 本当だろうか。

 喜んでばかりもいられない心地だった。本筋の歴史書編纂を放棄して、絵巻物にうつつを抜かしていると見られたかもしれない。お許しになってくださればいいが、もし許せないとなれば、あるいは僕は役目を解かれて、地方へ放り出されるだろうか。

 もし地方送りになったら、どうしようもない。その地に伝わる伝承でも調べて、日々を送ろう。

 さらば、華公京。

 自分の家へ帰った時にはすでに日は暮れていて、表で律儀に明かりを手に明亀が待っていた。

「おかえりなさいませ」

「うん」

 彼女にも、僕が左遷されることを伝えないといけない。まだ決まっていないとしても、確実に限りなく近い。

 二人で建物に入ると、外気の涼しさが遠ざけられて、この時も肩の荷が下りたような気がした。

 食事になり、そのあとは手元にある資料から歴史書のための草稿を考え、紙に書き付けていく。夜は深くなり、眠気がやってきた。

 月明かりが落ちている狭い庭の方へ行ってみた。雨戸が閉められていたので、それを少し開けると、屋外の方が明るい。夜空はよく晴れて、月が惜しげもなく地上へささやかな光を注いでいる。

 庭には梅の木がある。

 蕾がだいぶ膨らんでいる。残された時間はもう少ないということだ。

 小細工などをして、期日を伸ばすのは卑怯だっただろうか。陛下の心の広さを疑うような行為だっただろうか。

 答えが出ないまま、僕はしばらく庭を見ていた。

 御所へ上るように、という使いが来たのは、千景宮家の奇妙な一日から、二週間後であった。すでに都の梅の木という梅の木が開花して、甘い匂いが往来でも感じ取れる時期になっていた。

 歴史書はまだ半分と少ししか仕上がっていない。

 御所へ上がる日の前夜、貴木甘人が僕の住まいへ来て、「陛下はお許しになる」と伝えていった。

 陛下はお許しになる。

 しかし貴木甘人が陛下ではないし、陛下が何をどう思われているか、それは陛下しか知らない。どんな朝臣でも、あの千景宮岳厚ですら、陛下の御心を全て知っているということはないのだ。

 僕はやはり新しいものをあつらえられていないので、すり切れつつある一張羅で御所へ上がった。

 身分を何度も確認され、それでも建物に入る権利はなく、庭へ通された。

 真っ黒い砂利で覆われている庭には、布が敷かれていて、絹のようだ。座る時、しわにならないように気にするのがおかしいが、もう、何が正しく、何がおかしいかがわからないのが、御所という場所である。

 僕がいるべき場所ではない。

 座ってしばらく待つと、足音がいくつか聞こえてきたので、自然と頭を下げた。

 人の気配は庭に面した部屋に落ち着き、囁き声が聞こえるけど内容まではわからない。

 その声がピタリと止んだ。

 静寂の後、「みな、楽にせよ」と声がした。

 僕は恐る恐る、顔を上げた。広間には五人の男性が並び、その奥、一段高い場所に座っている人物がいる。朝議の場などでは御簾の向こうにいるはずの人物は、御所だからだろう、何も間に置かずにそこにいた。

 音津天皇。年齢は三十を越え、男盛を迎えている。

 その人物が少し笑った気がした。



(続く)

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