第九部 始まりの書家あり

9-1 書

      ◆


 翼賀天皇の次に、練立天皇が即位された。

 数十年前からの新しい都である華公京は、商人たちが多く集まり、国中の物産が集まるほどになった。月に二度の市が開かれていて、ここに繰り出せば手に入らないものはない、とさえ言われた。

 文化の発信地でもあり、歌をまとめた歌集が都の民の間で流行したり、民の着物なども際立って美しさを増していた。宮家などの上流階級は莫大な銭で着飾るようになり、扇一つで民が一年暮らせる、という陰口があったりもしたが、ともかく、この国では銭はよく巡るようになった。

 朝廷は民が活発に生活を営むのに対し、目立った動きもなかった。税率を見直さなくとも相応の銭が手に入り、皇室の庫も国の蔵も十分に余裕があった。飢饉に備えたり疫病に備えても、まだまだ余裕があった。

 国をまとめるにしても、長い時間をかけてこの国は結束しており、政治的な働きかけや武力による制圧など、そういった対外的な活動は必要とされなかった。役人の不正だけは朝廷によって厳密に取り締まられていたが、その不正を働く役人さえ少数である。民は民として不足のない生活を送り、役人は役人として不足はない生活を送り、上流階級は上流階級なりに自由に振る舞う、極めて恵まれた時代が到来していた。

 この時代に大きく価値が見直されたものは、書である。

 この国では今はもうない海の向こうの国、景国から伝わった文字を基にして、独自に書を発展させてきた。

 それが、書体が整理され始め、美しい文字とは何か、ということが意識に上るようになった。

 練立天皇の時代には無数の宮家があったが、そのうちの一つ、宇治宮家の当主である期襟がこの「書における大家」として広く認められるのは、初老に差し掛かろうかという頃であるが、彼の若い時の書こそ芸術として意味があるとされる。

 彼が認められたのは、彼の技量によるだけではなく、世の中が書というものを認めたことによるのである。宇治宮期襟の達筆は、同時代を生きたものなら誰もが知っていたし、交流のあるものは、いずれこの人物は名を残す、と思っていたのであった。

 宇治宮期襟の最も親しい友人といえば、土師宮浮塔である。この人物は書ではなく、計算の達人であった。朝廷の帳簿の管理を行う部署で働きながら、記憶力が群を抜いており、十人分の仕事を一人で行う、とか言われることもあれば、仕事が早く午後には屋敷に帰っている、とか言われたりもした。

 この二人の人物はほぼ同年代で、幼馴染でもある。

 宇治宮、土師宮、どちらも宮が入っていることでわかるように、揃って皇室の血を引く家柄である。もっとも両家とも、相当に血は薄まり、宮家の中でも影響力、発言力はなかった。

 二人が初めて出会ったのは、そんな落ち目の宮家の大人たちが、どうやって自分たちが権勢を盛り返すかということを議論する場であった。

「朝廷にこだわらなくてもいいだろう」

 十歳になろうかという年齢の土師宮浮塔は、会合の場の屋敷の庭石に寄りかかって、そっけなくつぶやいた。声色は幼いのに、口調には突き放すものがあり、刺々しかった。

 宇治宮期襟は彼の足元にしゃがみこみ、地面に木の枝で字を書いている。その奇妙な少年を薄気味悪そうに見ながら、土師宮浮塔は言葉を続けた。

「今更、位階を進めたって仕方ないよ。そもそも無理だ。もう宮家だからって出世できる世でもない」

「そうだね」

 ぽつりとつぶやいたかと思うと、宇治宮期襟が木の枝を放り出した。しゃがんでいる彼の肩越しに土師宮浮塔が地面を覗き込んだ。

 地面に直接、文字の列が書かれていた。

 そこはさすがに地面に枝先で書いたせいだろう、所々に未熟なものがあったが、しかし立派な筆跡である。土師宮浮塔は宮家の子として高い水準の教育を受けていたが、知らない文字が三つあった。 

「字を書くのが好きなのか?」

 問いかけに、首をひねって宇治宮期襟が土師宮浮塔の方を見た。

 どこか茫洋とした、捉えどころのない表情だった。

「綺麗な字が書けると、安心する」

 よくわからない返答だった。

「安心するって、宇治宮さまにでも叱られるのか? それとも奥方か?」

 まっとうな質問だったが、宇治宮期襟は首を左右に振った。

「違う。僕が落ち着かない、ってこと」

 ますます分からない土師宮浮塔だったが、そこへ彼らの父親がやってきた。会合が終わったのだ。

 これが翼賀天皇の治世十年のことである。二人の少年はただの少年であり、だが、これ以降に何故か親しくなり、共に学び、共に出仕するようになるのだった。

 宇治宮期襟が自分が極めるものに出会ったのは、翼賀天皇の治世十五年に成立した歴史書「国史書」による。

 これはまず翼賀天皇に捧げられ、数冊が宮家や公卿に出回るようになり、そうなると写本が活発に行われた。そうして大勢が読むことになったのである。

 宇治宮家にも写本がやってきた。

 それを父から見せられた若き宇治宮期襟は眉をひそめた。表情の変化に気づいた父の問いかけに期襟ははっきりと答えた。

「このように雑な文字のものを、陛下に献上したのですか」

 これはさすがに宇治宮家の当主も笑うしかなかった。陛下に献上された書物は、この国で最も字が上手いものが書き取ったものである。宇治宮家にやってきた写本もそこまで酷くはないが、本当はもっと達筆で書かれているのが当然だった。

 この年、宇治宮期襟は十五歳であり、そろそろ最初の位階を授けられる歳であった。

 その少年と青年の間にいたこの人物が思っていたことは、翼賀天皇の手元にある国史書の文字はどれだけ美しいのだろう、という好奇心だった。

 雑な文字、と表現した国史書の写本をそれでも宇治宮期襟が通読したのは、国の歴史を知るというより字を知るためであったが、そのことを知っているものはほとんどいなかった。

 この人物の文字に対する熱意と勤勉さは、この頃からやや度を越していた。



(続く)

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