8-5 次なる世代へ

      ◆


 御狩賀天皇はその治世六十年を祝う式典に、とても七十になろうという高齢とは思えない、しっかりとした足取りで現れた。

 すぐそばに控える皇太子は、すでに三十歳を超え、御狩賀天皇が威風堂々としているのに対し、どこか疲れて見えた。

 その皇太子の横には、まだどこか幼さが残る皇女が控えており、式典に参列している高貴な人々が、その美しさに視線を引き寄せられたのは自然なことだった。

 この皇女は太海皇女といい、御狩賀天皇と皇后との間に生まれた、第一皇女である。

 御狩賀天皇も皇后も高齢で、この皇女に関しては巷では、養女ではないか、女御や更衣との間の子ではないか、と噂が走ったが、真相はわからないままである。

 とにかく、皇統が守られるのはおおよそ確実であり、御狩賀天皇も誰が見ても健康であった。年齢を十ほど誤魔化しているような容姿だ、と貴族たちが笑いあうほど、御狩賀天皇は肌つやも良く、動作も機敏で、口調もはっきりしていた。言葉遣いにも淀みはなく覇気に満ちていた。こうなると七十歳ではなく六十歳と言わず、五十歳でも通りそうなのである。

 その御狩賀天皇が崩御されたのは、治世六十八年のことで、年齢にして七十七歳である。これは他に例のないような高齢で、しかも最後まで思考を明敏であったとの記録が残っている。

 皇太子は四十歳を前にやっと即位することができ、龍河天皇を名乗った。

 龍河天皇はその即位の直後、耳を疑う話を御側役司から聞かされた。

 帝室の管理の元、もう一つ国を作るような銭と穀物が蓄えられているというのである。

 つい数年前である御狩賀天皇の治世六十三年の年、国を大飢饉が覆い、どこへ行っても農作物は不作で民という民が飢える事態が起こった。その時、御狩賀天皇はどこからともなく穀物を用意し、これを配ったのであるが、当時の皇太子であった龍河天皇は穀物がどこから出てきたか、何も知らないでいた。

 数年越しにあの時の穀物が、帝室が管理していた備蓄か何かから放出されたのだと知ったのである。

 龍河天皇に御側役司が伝えてきたことによれば、穀物もやがては銭に変えて蓄える計画だという。その銭は来るべき遷都のための資金であり、今後も少しずつ蓄えられ、増えていくということだった。

「父上がそのようなことを考えられたのか?」

「岩垣古長という方と、お考えになったようでございます」

 岩垣古長。その名に龍河天皇は愕然とした。彼の周りにいる人々は、この人物を口汚く罵ることはあっても、決して認めず褒めもしなかったのだ。むしろ、父である御狩賀天皇をいいように操った奸物とさえ呼ばれていた。

 龍河天皇は、この先の天皇の計画を引き継ぐと決め、しかし朝臣にはこの計画は伝えなかった。帝室が蓄えた莫大な財産は国のためにあるのであって、国という言葉を民と置き換えることはできても、宮家、公卿、貴族とは置き換えられないものであった。

 また、下手なことが知れ渡れば、龍河天皇に対する批判の材料にもなりかねなかった。

 この天皇は実に慎重に治世を行い、亡くなるまで、この帝室の蔵の財産についてはごくごく限られたものとしか話さず、それでいて、父天皇の計画を拡張して蔵の中にあるものを増やしたのだった。

 この後、龍河天皇の治世は二十四年で終わる。

 次に即位した翼賀天皇の治世十四年になって実際に遷都が行われ、春秋の地は空っぽになる。

 その遷都にまつわる逸話として、民に課せられる税が重くなることは少しもなく、むしろ正当な銭によって工夫が雇われたため民はこぞって新しい都の造営に参加し、瞬く間に新しい都は出来上がったということだった。

 龍河天皇がその治世において実行したことの一つに、歴史書の編纂がある。これまで何度か試みられたが、部分的であったり、伝説と呼んでもいいものが断片的に記録されていただけであったのを、国の始まりから今までを一本に結ぶ歴史書を編もうという計画であった。

 この仕事には大勢が従事し、国の各地へ調査するための役人が派遣された。古い文書や記録を当たるものもいれば、人から人へ口頭で伝えられてきたものをまとめていくものもいた。

 この歴史書は、龍河天皇が崩御されて一時中断したが、翼賀天皇の下で引き継がれ、翼賀天皇の治世十五年に完成することになる。

 この国の最初の歴史書である「国史書」である。

 この歴史書の最後に位置する春秋朝廷の部分において、岩垣古長の名を見ることができる。

 御狩賀天皇を支えた、明敏にして周到な臣である。

 そう記述されている。



(了)

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