7-5 正体不明の男
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仲建天皇はその治世二十九年の年、二人の子を病で亡くし、一人がどこかへ消え去り、唯一残った皇子に全てを預けるように、崩御された。悲嘆に包まれて暮らした時間は短かったが、その悲しみよう、嘆きようは、ほとんど正気を失っていたと伝わる。
皇太子となっていた第三皇子は、十八歳で即位した。御籠天皇である。
関白を置くことが朝廷で議論され、皇室の血が流れている、桜花宮家から選出された。
仲建天皇の世の終わり方に、民は一人残らず、不安に駆られずにはいられない思いを胸中に抱いた。何か不吉なものが、皇室を飲み込み、天皇の命さえ奪い、そして次は民や国がその不幸に覆われるのではないか、という連想であった。
しかし、わずかの不幸もやってこず、御籠天皇は桜花宮の手助けを受けながら、国を平凡に運営した。気候も安定し、大雨も大風もなく、程よい日照りが続き、この御籠天皇治世一年目はむしろこれまでよりもはるかに恵まれた年となった。
現島神社もまた、元の平穏さをこの一年を通して取り戻した。
神社は深い森の中にあり、その森を都から動員された兵たちが徹底的に捜索した以外は、これといって特徴ない一年だったと言っていい。
兵士たちが探したのは、もちろん未夢皇女である。冬の日に忽然と姿を消し、それきり何も、手がかりの一つも見つからないので、この失踪を神隠しだと決めつけるようになっていった。
それがおおよそ失踪の一年後である。
この一年の間に兵たちは五度にわたって山という山の中に、少しの隙もなく皇女の姿を探し求めたが、ついに見つけられず、都でももう捜索を打ち切る旨が朝議で決定された。御籠天皇は歳の近い姉の発見がならなかったことに落胆し、その御霊を祀る社を皇宮の一角に建立した。
全てが平穏のうちに時間が流れた。
都の辻々では、仲建天皇と二人の皇子、そして一人の皇女はまるで人柱だった、と語り継ぐことになる。決して仲建天皇の治世の末期が悪政だったり、天変地異に見舞われたわけでもなく、最後の最後に奇妙な流行病が都を襲っただけだったが、民とは実に勝手なものである。
四人の命によって、この国は終末を免れたのだ、という言論を、妄想だ、思い込みだ、と否定するものもいることにはいるが、実際、あの高熱を発して死を連れてくる流行病は、これ以降に罹るものもおらず、冬が何度来てもまた流行することはなかった。
御籠天皇の治世五年目に、未夢皇女のことが不意に話題になった。
それはこの年、いつ終わるともしれなかった物語である「春人物語」が完結したことによる。いつの間にか民でも読めるように書写されたものが出回り、貴族や公卿に限らず、少し学のある民もこの物語に触れていた。文字が読めないものに読んで聞かせることで銭を得るものもいた。
話題として動き出したのは、この「春人物語」に「市灼沼君」という人物が登場することに、目を留めたものがいたからだ。
この登場人物の名前は、明らかに古の時代の市灼皇子から引用されていると、本当に学問を修めたものはすぐにわかったが、民でそれを知っているものは少なくなっていた。
問題なのは、沼、という文字が入っていることだった。
もしや、未夢皇女は、「春人物語」を読んで、そこから名前の一部を引用して「若沼紫」という名前を創作したのではないか。
紫という色は、位の高いものだけが許される色で、最高位が青であるのに対し、第二位に当たる。紫と見るだけで、人々は高貴な人物を連想するものだった。
市灼沼君。
若沼紫。
共通点があるような、ないような、判然としないつながりだったが、都ではこのことがよく語られた。
それでも誰も真実を知らず、また発見できなかったため、噂として記録され、真剣に検討されず、やがては忘れられた。
未夢皇女にまつわる伝承は、この後、数年の間は折を見て、不意に大風が吹くように世間を賑わせた。
現島神社に一人の青年が訪れ、神に祈るだけで名も告げずに去っていったが、その青年は見るからに高貴な生まれの容姿をしており、何より肌が抜けるように白く、それはまるで未夢皇女を連想させる白さだった。
その青年は実は名を名乗っており、「白蛇王」という名だった。これはおそらく、白とは白い肌の未夢皇女を意味し、蛇というのは父親のことではないか。未夢皇女は蛇の子を身ごもり、密かに山の中で出産したのが、この白蛇王ではないのか。
白蛇王は今も山の中で生きている。その人物は蛇の神と人の神である天皇家の両方の血を引いており、いずれは表舞台に現れるはずで、その時は国の破滅を告げるのかもしれないし、あるいは国を危難から救うために現れるのかもしれない。
そういう荒唐無稽なことが噂され、民の間で記憶されたり、記録されていった。
しかし誰も肌の白い青年を見ておらず、現島神社にも白蛇王などという名が正式な記録に現れることはない。
誰もが未夢皇女の事を忘れた、御籠天皇の治世十二年に遷都が行われた。天柊京からやや東寄りの地に、新しい都は造営されていた。
新しい都は、春秋という地にあり、これ以後は春秋京、春秋朝廷、という呼称が使われるようになる。
この遷都は事前に綿密な計画が立てられていたこともあり、すでに都は出来上がっていた。道は石畳が敷かれ、建造物は全て出来上がった上での遷都であった。
それはまるで蛇が脱皮するように、朝廷はあっという間にその機能を移し、貴族も公卿も、民さえも、特に慌ただしくなく、余裕を持って古い都から新しい都へ移っていったのだった。
この時、皇宮はその名を御所と改めた。
その御所にも、未夢皇女を祀る社は作られ、今に続いているとのことである。
(了)
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