第七部 皇女の怪奇

7-1 幼き皇女

      ◆


 鷲旗天皇の治世において、常軌を逸した数の女人を集めた結果、皇子や皇女が多く誕生した。

 彼ら彼女らの身の置き場として、寺社が選ばれたのは、ある意味では皇子という立場、皇女という立場がもたらす、生き馬の目を抜くような競争から守るためであった。完教の教えを学ぶこと、古代からの神に仕えること、そういう立場になってしまえば、とりあえずは競争からは逃れることができた。

 またこれは完教の寺院の方でも、各地の神社でも都合が良かった。皇室や貴族からの喜捨があったためである。皇室はともかく、貴族たちからの喜捨は、言ってみれば天皇の血と自分の娘の血を引くもの、皇孫になるやも知れないものへ恩を売っているので、つまりは喜捨ではなく賂に近い。

 この時代の後、無数の寺社で宮司や僧正のような立場のものに、高貴な血筋のものがぐっと増え、今までこの国が皇室、宮家、貴族、公卿などの朝臣によって運営されていたのが、にわかに宗教関係者が力を持つ時が訪れていた。

 何せどこの寺社も、代表者が皇室の血筋を引いているのだから、これに朝臣は様々な苦労を背負い込んで対応することになった。

 やがて峰旗天皇の御世になり、朝臣たちの苦難も時間の流れの中で解消されていくことになるのだが、兎にも角にも、天皇陛下には無節操に、女と見れば誰でもいい、というような姿勢では困る、そんなことを朝臣が影で言うどころではなく、巷巷で民さえもが平然と口にするような時代であった。

 峰旗天皇は父の正反対を目指すように国を整備し、父である鷲旗天皇のこともあってか、名君と呼ばれるようになり、治世は安定し、節度があり、大きな乱れの無いまま、時間は流れた。

 仲建天皇が即位したのちも、国はより細部まで整備され、この時には寺社で権勢を振るった天皇の血を引くものたちもあるものは世を去り、あるものは隠棲し、ついに不自然なほどの発言力は存在しなくなった。峰旗天皇の善政が彼らを最後まで封じ込め、国を守り、在野の特殊な権力者たちを仲建天皇が見送ったのである。

 仲建天皇は平凡な君主であった。政は朝臣に任せきりだったが、決して能力のない朝臣にことを任せることはなく、結果として何事も問題のない範囲で解決された。皇后を迎えるのは遅れたが、後宮には数人の女性を囲い、子を数人なした。

 いかにも「人」らしいお方、と誰かが表現したというが、その言葉は貴族や公卿の口から漏れてもおかしくないし、民の冗談の中で口にされてもおかしくない、いかにもな表現であった。

 仲建天皇はその治世八年にして皇后を定めた。その翌年には皇子が生まれ、さらに翌年、もう一人の皇子が生まれた。この兄弟はよく似ており、それでいて兄皇子には尊大なところは少しもなく、弟皇子は兄皇子によく懐き、理想的な兄弟だと言われた。

 いずれこの二人が天柊京での政の先頭に立ち、国家を正しい方向へ導くことを疑うものはなかった。

 民の興味を引いたのは、仲建天皇は皇后との間には皇子を授かるのに、数人の女御との間には子がないことであった。もちろん下手なことをすれば、それは鷲旗天皇の二の舞となり、いらぬ混乱を招くが、不思議な事実である。

 仲建天皇の治世の十一年に第三の皇子が生まれ、十二年には皇女が生まれた。やはり皇后がお産みになった子で、女御たちには何の気配もなかった。

 それでも嘆くようなことではない。

 嘆く要素があるとすれば、三人の皇子と一人の皇女というのがやや数として多いことであった。天皇という立場には同時に二人というわけにはいかない。皇女はどこかへ嫁ぎ、皇子の二人はやがては宮家にもなろうが、至尊の地位につくことはない。

 意外に仲建天皇も世継ぎがあっても皇后陛下には情をかけられる。

 結局、こういった言葉で話題は締めくくられた。

 その仲建天皇の治世が二十四年になった時、唯一の皇女である未夢皇女が十二歳になると同時に、現島神社に入られた。

 これは峰旗天皇の御世に定められていたことで、皇室における女子は十二歳になるのに合わせて現島神社に移り、二十歳になるまでここで神に奉仕する、というのがおおよその概略である。

 鷲旗天皇の治世から峰旗天皇の治世へ移り、そして寺社が厄介な存在になる時代を経たことで、皇室としても、なんとか寺社を制御できる方策を練ったのであるが、この頃も有効な手段を見出せてはいなかった。いなかったが、神社の中で権威のある現島神社は引き寄せておこう、という窮余の策はとった。

 現島神社に入った皇女は、二十歳になるまでごくごく限られたものとしか接することはなく、これは神社を参拝に来たものとも接触することがない、徹底した隔離ということである。

 女子の神秘性を守る、という感覚的な発想があったが、不憫といえば不憫である。

 十二歳から二十歳までの間を、ただ神に祈り、あとは都を離れた神社の限られた空間で過ごすしかないのだ。

 未夢皇女は、十二歳で両親と別れ、少ない供の者を連れて現島神社に入られた。同行した供のものも、二人を残して都へ帰ってしまい、服装は模様も刺繍もない白を基調としたものに変わった。いかにも全てが味気なかった。

 礼儀作法こそ徹底的に教えられていたが、神社ではそれを人を相手に使う場もなくなり、神が宿るという石が安置されているのを前に、相手が何を思うわけもないところをいちいち恭しい挙措をしなければならぬ。これはいかにも、馴染めないものである。

 神社にいた巫女たち、そして数少ない男性である宮司は、めったなことでは幼い未夢皇女に声をかけなかった。

 これが仲建天皇の御世における大事件の、始まりの始まりであったが、もちろんその時は誰一人、それぞれの身に何が起こるか、知る由も無いのであった。



(続く)

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