7-2 物語の中の夢
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未夢皇女という女性に関しては、幾つかの記述が残されている。
ひときわ小柄で、どのような座に加わっても、一回り小さいために子どもが混ざっているようであった。
髪の毛は絹のように滑らかで、その漆黒は深みがあり、光が当たると吸い込まれるような反射の仕方をする。
美しい手をしており、この手が筆を持つと、流れるように美しい文字が紙の上に出現する。
顔の作りはといえば、これが古き時代の女神の生き写し、などと本気か冗談かわからない書き方をされるほどで、これには多少の誇張はあれど、事実を書き換える意図はないようである。
皇女という立場もあって、この時代の女人にしては簡単に書を読むことができ、読めない文字などはないほど通暁している。歌の才もあったとする記述も後世に残され、その資料には未夢皇女が詠んだという歌が二首、添えられている。本当に皇女による作品かは、やはり正確なところは不明である。
このように様々な記録が多く残る未夢皇女に関して、特に多く言及されるのが、肌の白さである。
これは生まれた時からのことで、仲建天皇も皇后も、そばに仕えるものも、何か人間ではないものが生まれたのではないか、と思ったほどだということだ。
まるで白狐と人の間に生まれたようであったとある資料は、だいぶ時を経た後に成立したもので、事実ではないと思われるが、しかし、肌の白さはこの皇女の特徴の最たるものだったようで、別の古い資料には、白雪皇女と名付けようか、と提案したものがあったが、雪は儚く溶けるからという意見があり、白雪皇女という名にはならかった、とある。
何にせよ、この可愛らしく、また美しく、才能を持ち合わせた、何の欠点もないような少女が、決まっていたこととはいえ、生まれ育った都を離れ、都の南方にある現島神社に事実上、軟禁されるのは、本人はもとより、その両親も心を痛めたことであった。
八年が過ぎれば、戻ってくることを考える、このことに本人も周りのものも終始した。
ともかく八年である。そうすれば不自由な生活は終わり、華やかな都の中でも、一層、強く輝く美しい皇女として、幸せへ飛び込めるはずである。
現島神社では、まず皇女は祝詞を唱えることから始まった。皇宮でも神事には参加したが、信奉する神が別の柱であるため、細かな違いがあり、皇女は実際に唱えたり、書に記されているのを読むなどをして、これを理解していった。
神社はあまりにも田舎にあるため、森閑としており、文字通り森の中でひっそりと、かすかに聞こえる祝詞の連続がやっと人の存在を主張していた。
巫女たちは当番で食事を作ったが、未夢皇女がそれを任されることはなかった。現島神社のものも、さすがに未夢皇女がその美しい手などに傷跡が残るようなことになれば、未来はなかっただろう。仲建天皇は賢君とされているが、しかし誰よりも愛しているだろう皇女のことになれば、あるいは平静を失うかもしれない、そう想像しない方が無理である。
他にも皇女は境内の清掃などでも、とかく、気を遣われることになり、徐々にそれが煩わしくなっているくのも至極自然なことだったと思われる。
だが、未夢皇女が何かを主張したとしても、巫女や宮司より皇女の方が上位であろうと、巫女や宮司はその皇女より上位の天皇その人のことを意識していた。
それでも慰めとして、巫女たちは相談に乗れることには乗った。
歌を詠んだものを書き留めたいと言われれば、紙と筆と硯と墨を用意したし、皇女が美しい文字で書き上げた歌を眺め、歌集を編みたい、といえば高級な紙を多く取り寄せさえした。この歌集は今も現島神社に残っている。非常に美しい文字で、やや鬱屈した歌と、遠い都を思い描く歌、そんなものが並んでいる。
未夢皇女がささやかに望んだものの中に、物語がある。
それは未夢皇女が都を離れた時、評判になり始めていた物語である。
題名を「春人物語」といい、古い宮家の青年が主人公の、様々な女人の間で揺れ動く気持ちや、朝廷での派閥争い、血筋の難しさなど、ともすると朝廷批判とも取れるような題材を盛り込んだ、画期的な物語であった。
この物語を絵巻物ではなく書籍の形でいいから、どうか取り寄せて欲しい。
それが未夢皇女の頼みであり、絵巻物ではないあたりが、いかにもこの皇女の学問好きがうかがえる。絵などなくとも、文字で読める。そういう主張があったし、同時に、絵巻物は当時でも高級品で、かなりの銭を必要とした。それが書籍にまとめられた形なら、比較的安価であったのだ。
巫女の数人が結託し、密かにこの「春人物語」を手に入れてきたのは、未夢皇女が現島神社に入られて四年目のことで、皇女は十七歳になろうとしていた。もう立派な年齢と言っていいが、背は伸びなかったし、全てが小さく、華奢で、可憐で、儚げであった。
その未夢皇女の元に「春人物語」が届けられ、それは皇女に限らず、巫女の間でも読まれることになる。巫女たちも日常の閉ざされた世界に、どこか倦んでいたのだ。ここでは恋愛どころか、貴公子さえも遠い世界の存在であった。
こうして未夢皇女は知らぬ間に長く長く続いていた「春人物語」に没頭し、日々の中に少しの楽しみを見出したのだった。
この頃には祝詞など全て諳んじていたし、儀式の作法も手順も、全て頭の中に入っている皇女であった。
(続く)
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