4-5 御幸の理由

      ◆


 東国の中心地は、晴海という地である。

 ここに鬼木史好は屋敷を構え、それを中心に小さな都のようなものが出来上がっていた。それだけのものを造営するのに、十分な時間があったこともある。

 そうして鬼木史好は、万難を排して市宮天皇を迎えたのであった。

 屋敷の大広間の上座に市宮天皇がつき、そこへずらりと鬼木一族が向かい合って並ぶ。

 さすがにこの時には誰も黒い幕などつけていない。

 ただ、もしその光景を見るべきものが見れば、驚倒しただろう。

「久しいな、鬼木」

「は」

 短い返事をした鬼木史好は、影館運音その人だった。年月が相応の老いを彼にも与えていたが、それは間違いなく影館運音である。

 短い会話の後、祝宴になり、しかし鬼木一族のものはどこかぎこちなかった。

 それもそうだ。彼らを東国へ放逐した首謀者が、天皇として目の前にいるのだ。下手なことは言えず、また、所作や挙措を間違えば、何が起こるかわからなかった。

 夜が更け、宴も解散となり、鬼木の邸の奥まった部屋で、ひっそりと三人が顔を合わせた。

 市宮天皇、意町日永、そして鬼木史好だった。

 全てが策謀だった。

 市宮天皇、当時の市灼皇子は、永守朝廷をまとめるために、反対勢力を一網打尽にして、そっくりそのまま東国へ追いやった。

 これを鬼木史好、当時の影館運音が受け入れたのは、ある部分では都における不毛な議論に飽いていたこともあるし、一方で東国を任されることで、都にいる以上の力を蓄えられるという計算もあった。

 この策謀は、市灼皇子が正統なる手順を踏んでは影館運音を東へ向かわせることは困難と見たこと、影館運音としても一族郎党を取りまとめることが容易ではないと見たこと、それがまずある。

 次に、市灼皇子は自分の権力、権威に曇りがあっては困る。また、影館運音としても、皇子のいうことに従い、東国に向かうのはやはり権威に傷がつく。

 一番の難題は、影館氏という存在がなくなり、新しく鬼木氏を立てるという部分だった。

 影館氏といえば長い時間の中で名家としての揺らぐことのない力を持っている。それと同じものを鬼木氏に与えることは、どうやっても不可能だった。

 そこが市灼皇子にとっては賭けだったし、影館運音にとっては冒険だった。

 皇子と影館氏が激しく衝突すれば、朝廷が二つに割れる。それは国家が二つに割れることを意味する。

 西をまとめる市灼皇子の国と、東をまとめる影館運音の国になったやもしれない。

 国が割れることは、長い時間を経て形作られたものを壊し、進歩の流れに逆行するのに限りなく近い。市灼皇子も意町日永も影館運音も、現実を正確に把握していた。

 しかしこの企てを、市灼皇子は決行した。そして影館運音はそれを受け入れたのだった。処刑されたと偽り、謀反人という評価を受け入れた。そうして名を変え、東国へ下り、繁栄へと確かに地歩を固めているのがこの時だった。

 東国へ市宮天皇が御幸したのは、この東国というもう一つの国を、同じ永守朝廷の一部であることを明確にする意味があるが、これは集団と集団の分裂を防ぐ以上に、一人の指導者と一人の指導者の意思疎通が大きな要素を占めていた。

「遷都されることです。今の都より東の地。この国の中心たる場所になる都を造営します」

 酒肴もなく、ささやかな明かりの中で、二人の指導者を前に、意町日永が言った。大きな瞳はしかしじっと二人の間の闇に向けられていた。その異様に大きい瞳が何を見ているかは、意町日永にしか知ることはできなかった。

 声が夜の闇を微かに震わせる。

「この国に西も東もあってはなりません。いずれは南、北さえも朝廷に服属し、一体の国となって初めて、この国は本当の繁栄を約束されるのです」

 まるで夢物語だった。

 今の国の有り様を、さらに発展させることができるとして、市宮天皇も鬼木史好もその目で見ることはできないだろう。意町日永ももちろん、見ることはできないとわかっているはずだ。

 それでも夢を見るべきだ、と言外に意町日永は言っているのである。

「承りました」

 深く、鬼木史好が頭を下げた。市宮天皇は瞑目した。

 三人ともが国のことを思っていた。

 市宮天皇は影館運音という人物のことを思い、鬼木史好も過去の自分のことを思い描いた。

 誰かが譲れば良かったのだろうかと思っても、答えの出るものではない。

 譲ることが敗北である、という幼稚で、素朴と言ってもいいものが、朝廷の一側面でもあったと、この場の三人は実感していた。

 権力をより強化すること。

 天皇の権威、朝廷の権威を確固たるものにすること。

 そして国を強固にまとめ上げること。

 夜は明けていくが、国の未来に光が差すかは、誰にも見えなかった。

 市宮天皇はその治世の四年目に、遷都することを全国に布告した。

 朝廷は長らく国の中心地である永守の地を離れ、天柊という地に移っていった。

 天柊朝の始まりである。



(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る