4-4 滅亡、そして
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都の民の間に、影館運音謀反の噂はあっという間に広がった。
影館といえば、この時でも絶対的と言っていい尊敬の対象である久宝皇子が、その死に瀕したときに事後を託した影館多跳の時から永守朝廷を支えてきた家柄である。
それが謀反とは、いかなることがあったのか。
民の中でも意見は様々だった。権力を確実にするために市灼皇子を追い落そうとして、市灼皇子の手痛い反撃を受けたのだ、というものもいれば、影館運音は自ら天皇になろうとしたのだ、というものもいた。
もっと簡単に解釈し、影館氏が先の東国征伐で力を持ちすぎて、皇室に排除される理由を与えてしまった、と見る向きもあった。
何にしても、影館運音が事実上、拘束されたのは事実であり、それを行ったのは市灼皇子と意町日永というのも事実であり、これは民たちも疑うところはなかった。
いつ影館運音が処罰を受けるのか、どのような処罰になるのか、それもまた巷を賑わせたが、何の話も漏れ聞こえてはこなかった。聞こえてくるのは、影館氏の主だったものは館に軟禁され、人の出入りは兵士が取る囲むことでほとんど遮られている、という話ばかりだった。これは影館氏の屋敷が幾重にも兵に囲まれているので、民の中で好奇心があるものでも、屋敷を見ることさえできず追い払われていた。
冬の終わりを告げるのどかな陽光が都を照らした日、唐突にその話が一挙に広まり、都は騒然となった。
影館運音は首をはねられた、そういう噂であった。他にも数人が斬首になった上で、影館氏の生き残ったものは遠国へ流されるとも伝わってきた。
徐々に噂には情報が付け加えられていき、影館運音を頂点とする影館氏の直系のものは、揃って首を打たれ、影館氏はもはや滅亡したということもわかってきた。
いったい誰が、いつ、どこで、その処刑を行ったのか、それは少しも伝わってこなかった。
この噂は噂にすぎない、と見る向きも民の間にはあったが、一つの出来事で、噂ではなく事実であると認識せざるを得なくなる。
影館氏の屋敷が焼き払われたのである。
朝に火がつけられたはずが、その立派な建物は日が暮れてからも燃え続け、夜空を赤く照らしている様子は長く、離れたところからも見えたということだ。
こうして影館氏は滅亡した。
一つの氏族が消滅してしまうと、永守朝廷はほとんど一枚岩となった。全ては市灼皇子を中心とし、それを意町日永が支え、万事を決定し、進めていくことになる。
直宮天皇の治世二十一年の夏、寝苦しいほどの夜に、直宮天皇は崩御された。
一月に及ぶ期間、市灼皇子から民に至るまで、誰もが喪に服した。
直宮天皇の次に即位したのは、市灼皇子であり、市宮天皇となる。
市宮天皇が始めにやったのは、統治者に任命され東国を受け持っていた高角八津漆を、高齢を理由に都へ召還し、新たなる統治者を任命する事だった。この時まで東国は、高角八津漆による武力を背景にした支配でまとまっているのが実際であった。一方で、様々な物産が都へ送られ、徴税も順調だったために、東国はさぞ豊かなのだろう、と認識している民がいたほどである。
その東国の新たなる統治者の名前は、鬼木史好という人物だと公に発表された時、民の多くは首を傾げた。
鬼木なる家柄は、誰も聞いたことがなかったのである。
やはり噂が民たちの間に流れ、鬼木家は市宮天皇が起こした家であり、冠位こそ最上位ではないが、有能なものを取り立て、天皇の信任も篤い、ということであった。
噂は噂を呼ぶのは世の常で、鬼木史好なる人物は元は兵士だとか、下級役人だとか、市宮天皇の姉である皇室の女人の情人だとか、とかく無責任なものが多く流布された。
鬼木史好がその姿を公に見せたのは、一族を引き連れて東国へ向かう、まさにその都を出て行く場面だけだったが、民が眉をひそめたのは、鬼木一族のものは輿の中で姿を見せないか、馬上であっても徒歩であっても、揃って黒い布で顔を隠しているからだった。
これでは誰が誰なのか、まったくわからない。
総勢で二百名を超える行列であったが、いったい、これだけの人々が都のどこで生活していたのか、そんな疑問さえ考えずにはいられない、正体不明の行列であった。
どこか不気味なものを残しながら、鬼木一族は都のどこかから現れ、揃って東国目指して下っていった。
都の人々はそのことを最初こそ何度も思い出し、噂しあったものだが、やがて気にするものはいなくなった。
それよりも市宮天皇の治世の第一年、そして第二年は波乱の年であった。夏の終わり頃から雨が降る日が続き、田畑が広く流される事態になった。それにより飢饉も発生し、市宮天皇は税を安くして民の生活を守ろうとした。
第二年目には稲などの疫病が起こり、やはり農作物に被害が出て、民は飢えに苦しむことになった。市宮天皇、そして朝廷は、蔵にあった米を放出し、苦しい時期をどうにか乗り切るのに必死になった。
そうして慌ただしく、市宮天皇の治世三年目がやってきた。
都はようやっと静かな日々を取り戻し、政も落ち着いてきた。
そんな中で、唐突に市宮天皇が東国を御幸される、という発表があったのは民にとっては想定できるものではなく、やはり噂の的となった。
もしや東国に不穏なものがあるのか。
この時になって民は、鬼木史好の事を思い出した。
彼を召還するのではなく、御幸する理由とは何なのか。
民には推測することはできても、実際に何が起こったのか、起こるのかは知ることはできないし、また知ることはないのであった。
治世三年の春、市宮天皇は都を離れていった。
天皇の一行とは思われぬ、少数の行列が静々と都を出て行ったのを民は不安の目で見送った。
(続く)
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