2-4 次なるものへ

     ◆


 加羅津は撃破され、茨周王に臣従してきた。

 民たちは最初こそ険悪なものがあったが、やがてそれも落ち着いて行った。

 潔がある時、集落の主だったものと議論を終えた茨周王に近づいたことがあった。

「民を区別しないことは、無理ということでございましょう」

 平静と変わらぬ、穏やかな表情で、しかし言葉にせずに茨周王は潔に説明を求めた。その無言を潔は正確に読み取り、言葉を続けた。

「先の争いで、死んだ者は大勢おります。加羅津のものに親しいものを殺されたものもいれば、葉津奈のものに親しいものを殺されたものもいます。今は両者を離しておくのが適当かと」

「今は同じ、そう、氏族だが、潔は民の間に垣根を設けろ、というのか?」

「いつかお話した、役人のことを覚えておられましょう」

 この一言で、茨周王はそれまで面に見せていた柔らかさを完全に消した。

「加羅津を支配するものを、私に選ばせようというのか」

「葉津奈は十分に大きな部族であられます。そして加羅津も併呑した今、それは国に近づきつつあります。新しい形で集落をまとめること、それを考えなくてはいけません」

「もはや、私一人で全てを決めることはできない、そう潔は言うのだな」

「国です、茨周王殿。あなたの国です」

 すっくと立ち上がると茨周王が建物の外へ出て行った。影が移動するように密やかに、潔がそれについていった。

 やがて昼間の眩しいほどの日差しの中にある葉津奈の集落を二人は見た。

 子供たちが駆け回るのを、世話をしている老人たちが笑って見ている。

 この集落の周囲では、田畑で男女が働いている。どこかでは兵が調練もしているだろう。

 全てを茨周王は想像することができた。現実のこととして認識することもできた。

 この平穏な日々が争いの果てに手に入れたものなら、死んだものも無意味ではなくなる。

 しかしいったい、誰がこの平穏を維持できるのか。

 平穏を守っていくことを、自分が誰かに任せることができるか、茨周王はしばらく考えていた。すぐ背後に、一言も口をきかず、動きも最小限のままひっそりと潔が立ち尽くしていた。

「息子のことを考えていた」

 不意の茨周王の言葉に、すっと潔が頭を下げる。

「立派な方になると思われます。いずれは、茨周王殿の代わりに、この国を治めることになりましょう」

「もし私が、誰かに敗れ去れば、それは夢物語となろうな」

「この世に不敗の存在はありませぬ。枯れぬ植物がない、死なぬ生き物がいないのと同じことです」

「では、どうしたらいい?」

「受け継ぐのです。茨周王殿から、直接でも、誰かの手を介してでも、受け継いでいくことです」

 そうか、と小さな声が茨周王の口から漏れたが、潔は口を閉ざしていた。

 それから数日の後、加羅津を治める者が決定された。その男は元は加羅津を収めていた長の補佐をしていたものであり、この決定は葉津奈の主だったものから反発もあった。

「加羅津はもはや葉津奈の一部に過ぎぬ。加羅津の長は、葉津奈に決められた税を納め、また成人の健康な男子を兵として、葉津奈に差し出すことを定めた。それで十分である」

 茨周王の決定は、一応の承認が得られた。

 茨周王は税と兵力を引き換えに、領地を安堵する方針を明らかにしたことで、寛容な人物として評価されることになる。

 さらにいくつかの集落が葉津奈に合流することとなり、それに当たって茨周王は彼らの指導的な立場にあるものを改めて任命し、税と兵を差し出すことを求めた。

 争いを挑まれることもあったが、茨周王の元には新しい兵力が支配する集落や部族から供出されるため、連戦連勝という形になった。

 有能な将軍が育ち、兵法を実戦の中で身につけていくものも現れた。

 鮮やかな勝利があり、芸術的な勝利があり、葉津奈は広大な領地の中心地となり、民はもはや葉津奈がどこからどこまでをその支配地としているのか、どこの部族が敵対しているのか、把握することはなくなった。

 民は平穏な日々を過ごす。農耕は終わることなく続き、季節の巡りと一緒に仕事は変わりいく。若い男子は兵士となり、一定の年齢になり調練を終えると予備役となって家族の元へ戻ってきた。

 税は重くもなく、しかし軽くもない。それが民に圧迫はなくとも、楽はできない日々を与えた。

 民の間でまことしやかに噂された。

 茨周王は民が怠けないように税を加減しているのだ。

 もし今より税が重ければ民は逃げ出すが、もし今より税が軽ければ民は仕事をしなくなるだろう。

 茨周王は民のことをよくご存知だ。

 そうして平穏な日常の中に紛れるように、大戦があった。

 兵が五千ほど投入されたこの戦に、茨周王は勝利し、ついに最大の敵だった大氏族を屈服させることに成功した。

 茨周王は四十を幾つか越え、顔にはしわが増えていた。

 葉津奈はもはや疑いようのない一つの国となり、それに服従するものはいても、歯向かうものはいなくなった。

 民はやはり巷で言葉を交わしたものである。

 葉津奈は海の向こうにあるという、景という国に負けず劣らずの、素晴らしい国だ。

 この国を作りたもうた茨周王は神が遣わしてくれたものに違いあるまい。

 そんな言葉は当の茨周王にも、側近として控える潔にも聞こえてはいなかった。

 彼らが楽になることはなく、むしろ日々を苦悩の中に送っていたのであるから。


     ◆


 葉津奈の主だったもの、と言っても、すでに初期の茨周王の側近はほとんどいなくなっている。

 そもそもからして葉津奈の中枢は、茨周王の父、茨開王の盟友たちであり、天寿を全うして去っているのが当たり前の年代になる。

 今の葉津奈の中枢において、茨周王と彼が登用したものと勢力を二分しているのが、戦を経て併呑した部族の長たちだった。

 その中でも最大の氏族である雲を名乗る氏族の力は強かった。

「景に使節を送るとしても、人材がおりませぬ」

 雲氏の筆頭である雲柿臣の威厳を帯びた低い声に、数人の参列者がかすかに頷いた。

 今、葉津奈で最大の問題であり、同時に権力争いの格好の材料となっているのが、景に使者を派遣するか否か、である。

 これは茨周王の野望に近いものであった。

 景という国は、葉津奈の属領のような形の南方の氏族と交流があり、その氏族を通して、未だ景は健在であり、葉津奈よりはるかに優れた国家運営をしているという情報があるのだった。学問や芸術も、葉津奈とはまるで違うとも伝え聞いている。

 この外国という存在から、学べるべきものは全て、貪欲に学んでいくべきではないか、と茨周王は主張していた。同意するものも確かにいるが、雲柿臣がいうことももっともである。

 景では文字こそ似たものを使っているが、言葉はまるで違うという。通訳というものを用意しなくてはならず、しかしそれは南方の氏族が手配できる話になってはいる。ただ景に渡って学問を修めるとすれば、言語の壁はいかにも高いように見えた。

 それ以前に、景とこの国との間には、深さも広さもわからない海というものがある。これも南方の氏族の話によれば、潮と風に恵まれれば、二月もかからずに景に渡れると言ってきているが、では潮と風がいつ揃うかといえば、わかるわけもなかった。

 造船に関しても、やはり南方の氏族が頼りだった。葉津奈もその領土に海を持つようになって短くない時間が過ぎたが、海を渡ることができる、という確信を得るのは困難だった。

 会議の場は紛糾したものの、押し問答に過ぎず、いたずらに時間を無駄にしただけに終わることが増えた。何の結論も出ないまま、解散となり、列席者はあるものは天を仰ぎ、あるもの視線を俯かせて引き上げて行くのである。

 さすがに普通の屋敷で重要な決定も出来ず、葉津奈には大屋根と呼ばれる建物が建築され、そこでは主に国家の運営について議論する広間が設けられているだけではなく、日常的に国家運営に必須の手続きをするものが数十名、働いている。

 葉津奈王とも呼ばれるようになった茨周王は広間に最後まで残り、座ったまま、じっと自分の手を見ていた。

 少しずつ肉が落ち、骨ばっている。

 老いというものを、ただ手を見るだけでも感じずにはいられなかった。

「そなたはどう思う? 潔」

 問いかけに、部屋の隅に控えていた、やはり年老いた風貌になった潔が、しかし一切の淀みなく滑らかな口調で答えた。

「景と交流を持つのは必須でございます。進んだ技術、進んだ知恵を学び、取り入れることができれば、それだけで果てしない遅れをいくらかでも縮めることができます。この国は景より、百年は遅れているかと存じます」

「百年か……」

 茨周王は緩慢な動作で立ち上がった。

 百年の遅れを挽回するところを自分が見ることはないだろう、と彼は考えていた。

 次の世代がそれを目の当たりにするだろう。いや、それも確実ではない。景に使節を派遣したとしても、海に沈んで終わりかもしれない。無事に行くことも、無事に帰ってくることも、何ものも保証できないのだ。

「葉津奈の有望なものは、全て、送り出さなくてはいけません」

 潔の言葉に無言で頷き、茨周王はゆっくりとした足の進め方で、表へ出た。やはりその後ろに、影の如く潔が寄り添っていた。まるで茨周王が立つのを支えているようだったが、実際には茨周王は自力で立っていたし、潔は彼との間に明確な距離を置いていた。

「この国は、任せるしかあるまい」

 潔は答えようとしたが、それは言葉にはしなかった。

 大屋根の前へ、秀麗な要望の青年が歩いてくるのが見えた。

 その姿は、若き日の茨周王を思わせた。

 青年の満面の笑みは、まるで花が咲くようであり、未来に待ち受けている曇りを払うかのようだった。

 この後、茨周王は景へ使節を派遣した。しかしそれを見送ることはできても、出迎えることはできずに、その生涯に幕を下ろすことになる。



(了)

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