第二部 国以前

2-1 何もなかった時代

     ◆


 国というものができるまで、様々なものが人々を導いた。

 狩猟の時代が稲作時代に変わるまで、人々の生活には生と死が非常に近しい場所にあった。

 獣を仕留められなければ、木の実や草、その根、茎などが手に入らなければ、それはそのまま飢えに直結した。

 長く保存出来る食料も限られ、人々は小さな集落を作り、生産と消費が釣り合うか、あるいは消費が圧迫されるような日々だった。

 海というものはいつからか知られており、我々はそもそも海を渡ってきた、とか、海の向こうには満ち足りた生活が送れる楽園がある、そんなことを噂する者もいたが、海を渡る術を知っているものはごく少数だった。

 川や海で漁をして、貝や魚を手に入れるものはいても、海を越えていく経験をしたものもいなければ、どのような船ならそれが可能か、考えても答えは出なかった。船の頑丈さを追求する構造も分からなければ、海の上で水や食料をどうやって手に入れるのか、それもわからないのだった。

 そんな単純でいて、切迫した、狩猟の時代が終わったのは、どこからともなく、稲というものを育てることが広がったからだ。

 この植物は畑に水を引き、そのぬかるみの中で育つ。

 育つと穂をつけ、重さに垂れる穂の一粒一粒が米である。

 米が優れていた点は、保存が効くことだ。そして安定して収穫できる。

 米とともに耕作という概念も広がっていった。様々な植物が畑で作られ始め、野に自生する植物や木々の実りを当てにする必要も無くなっていった。

 集落は徐々に大きくなる。集団の方が農耕の効率は良くなるし、効率が上がればより多くの実りがあり、それは生活を豊かにする。飢えることは徐々になくなっていき、集落の蔵には米が集められた。

 最初に暴力を振るったのは誰か、という素朴な疑問に対する答えはどこにもない。

 とにかくこの国は、狩猟時代にはなかったと思われる、本格的な闘争をこの農耕の時代に始めたことになる。

 集落を襲い、米を奪う。人もさらう。貴重なものも奪う。

 これはあるいは、集落同士の衝突ではなく、集落を盗賊が襲ったのかもしれない。

 しかしいつからか、人々は米を、人を、財産を、守る必要があるのを自覚した。

 武装の始まりである。

 ある集落はぐるりと周囲に土塁を築いた。物見櫓を立てることもあった。場合によっては堀を巡らせた集落もあった。

 稲作と同時に伝わったという金属、青銅が加工され、剣や槍になり、鏃にもなった。

 山野を駆け巡って獣を追いかけていたものたちはすでにおらず、のどかに大地の恵みに感謝していた人々も、消えていった。

 人は二つに分かれた。

 耕作に励む者と、闘争を行うもの。

 守られる者と、守る者。

 多くの争いがあり、徐々にいくつかの集団が力を蓄え、小さな集団はそのいずれかに臣従していった。

 国という概念は、こうして生まれた。

 我々の住むこの国の元となったのは、一人の青年の働きによる。

 その青年は、茨周王と記録には記されている。

 この国の中部に位置する葉津奈という場所を治めていたのが彼の父親であるとされる。

 茨周王の集落自体は全部で五百名ほどの集落で、盆地にあった。他の集落の例に漏れず、土塁で囲まれているが、それ以外はさして特筆すべき点はない。

 彼の父親、茨開王という部族の長は、若くして世を去ることになる。茨周王が二十二歳の時である。

 この時の茨周王は好奇心旺盛な青年であり、集落のものとともに田畑へ出て、農耕というものを理解しようと励んでいた。一方で武人としても技を極め、集落で彼に勝る剣の使い手はいなかった。

 さらにこの葉津奈の地には、異国から来たというものが招かれていた。

 その中でも一番の知識を持つとされたのが潔という人物で、年齢は三十をいくらか超えている。海を渡ってきた時は十代で、様々なところを巡り歩き、やはり海を渡った一族のものとともに流れ歩いていたところを、茨開王が迎え入れていた。

 茨周王と潔には歳の差こそあるが、茨周王は潔の知識と思考の速さ、機転に興味と尊敬を持ち、潔の方は茨周王の素質に興味を惹かれていた。

 この二人は長い時間を過ごし、まずは農耕における収穫の安定と、細かな作業の効率化を行った。傾斜を調整した川から水を引く水路を作ったこともあれば、いくつかの道具を考案し、繰り返し試作したのちに、それは実用化された。

 茨の集落と呼ばれるようになっていた彼らの集落は、そうして発展していったが、同時に危険も引き寄せる結果になった。

 奪うこと、殺すことに躊躇いのないものが、まだ多くいる時代だった。

 共通した法もなければ、定められた罰もなかった。

 結局、生きることと死ぬことは、まだ近かったと言える。

 茨の集落は繰り返し襲撃を受け、しかしそれらをすべて撃退した。選抜された男たちはよく戦い、その中には茨周王の姿もあった。

 倒れたものは丁寧に葬られ、その光景を見るたびに茨周王は苦悩した。

 どれだけ豊かになっても、結局は妬まれ、敵視され、攻撃の対象となる。争いが起こり、それに勝利しても、失われるものが確かにある。米などよりも重要な、人命が失われてしまう。

 茨開王がみまかったのは、大きな戦いの後のことで、この時、茨開王の長子が戦死していた。その怒りと絶望のあまり命が消えたと伝わる。

 この時に嫡男ではなく、また若かった茨周王が集落の統率を引き受ける状況が、偶然に発生したのであった。

 人々は茨周王を歓迎したが、周囲の集落、部族のものは舌なめずりをするような心地であったようだ。

 若い長にどれほどの求心力があるのか、どれだけの指揮能力があるか。

 もしどこかに綻びがあれば、そこをついて、葉津奈を奪うことは容易になるだろう。

 今までの仕返しとして、蹂躙するのに何の躊躇いも気後れも、ないのだった。



(続く)

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