1-4 始まりの時
◆
本当に三条宮道徹は僕の部下を翌日には集めていた。
「お久しぶりです、標さん」
そう言ったのは、壱岐卯野だった。髪の毛がどこか落ち着かないのは、急いで整えたかららしい。冠もつけておらず、服は粗末で、飾り気が少しもない。
「こちらこそ。卯野くん、最近は何をしていたわけ?」
「寺で雑用を」
それはまた、と笑うしかなかった。下級役人の中でも下のものは役人としての仕事で生活が成り立たないと、どこかで別の仕事を持つことになる。しかし雇う方からしても下級役人はあまり魅力的な立場でもなく、いい仕事に恵まれないことはままある。
他の四名も似たか寄ったかの役人だけど、困惑半分、諦め半分といった表情だった。
場所は三条宮家の屋敷だった。三条宮道徹の計らいで、ここで見つかった古文書を確認する間は、この屋敷を使っていいとしてくれた。
それぞれに名乗り合い、とにかくそれぞれに、古文書を確認することになった。
僕が見たところでは書の形になっているものだけでも二千冊はある。それより前のものらしい、文字の書かれた木の皮や木の板の束はまた別にある。
まずは分かる範囲で資料を時系列順に並べていくことにした。木の板に記録をつけている時期は、おおよそ五百年ほどは前のものになるだろう。字体も違うが、それよりも文法自体がやや異なるので、これは精査するのに手間がかかるが、手をつける前から諦めるわけにはいかない。
僕も含めた六人で、いくつかの部屋を行ったり来たりして、あっという間に半日が過ぎ、さらに半日が過ぎて、日が暮れかかった。
「お夕飯をご用意いたしましたが」
そう屋敷の者が声をかけてきて、僕は全員に世話になろうと提案した。
座敷へ行くと、三条宮道徹が待っていて、他に六人分の膳が用意されているが、円形に並んでいた。上座も下座もない、ということのようだ。
全員が席について、食事が始まった。
「それで」
ある程度、箸が進んだところで壱岐卯野が言った。
「我々はなんという部署にいることになるのでしょうか、三条宮様」
その言葉と同時に、僕たちは揃って屋敷の主人のほうを見ることになった。
その青年は軽く頷くと、はっきりと答えた。
「史書処と呼ぶことになっている。もちろん、いずれはもっと増員されるし、場所も用意される。他の部署とのやりとりなどを受け持つものもつけるはずだよ」
おお、と誰からともなく声が上がった。
食事の後には酒が出るはずが、史書処の五人はまだ仕事をすることを理由に全く無礼ながら宮家の当主の誘いをそれぞれにやり過ごし、実際にはやんわりと断り、退室していった。まだ古文書の整理が進んでいないのだが、まだ初日だ。時間に余裕はある。
「やる気があるのはいいことだ」
一人で盃を傾けて、嬉しそうな顔の三条宮道徹に、僕も笑みを返した。
「やる気がないものは、いずれ去っていくでしょう。それは覚えておいていただけると、助かります」
「わかっている。そこはちゃんと貴木甘人とも話をつけておこう」
ぐっと盃を干し、少しだけ三条宮道徹は遠い目をした。
「先生も今の私たち三人を見れば、満足されるだろう」
先生。
僕も酒を飲んでいれば、感傷に飲まれただろうけれど、残念ながら僕は素面で、冷静だった。
その夜、僕も夜遅くまで古文書を読んでいた。
朝、目が醒めると一つの部屋に六人が密集して、隙間なく敷かれた布団に寝ており、僕はそっと部屋を出た。
戸を開けて廊下に出ると、庭が朝日に照らされていた。
ここにも梅の木がある。
この梅の花があと五回、花をつける頃に答えが出るのか、出ないのか。
かすかな足音が廊下を進んでくる。朝食なのだろう。
僕は仲間を起こすために部屋に戻った。
こうして唐突に、歴史書の編纂という重大な任務に僕は没頭することになったのだった。
時に、音津天皇の治世六年の春である。
(第一部 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます