第34話 昔はお見合い結婚が普通だったんだって(2)

「あ、久保田さん」

 久保田オジサンが朝の給餌のため水槽にはいってきた。例によってアデリーペンギンが襲いかかる。忙しくエサを配り、キングペンギンにも給餌を済ませる。

「みなさん、ようこそ南極の世界へ」

 久保田オジサンの声が観覧スペースに流れた。胸元にマイクがついているのだ。

「水族館のサイトでもお知らせしましたが、いま、日本の和歌山にあるアドベンチャーワールドからメスのエンペラーペンギンがきています。なんと、お見合いのためにはるばるやってきてくれたんですね」

 エサのカゴを二羽くっついているエンペラーペンギンの横に置く。

「わが国立水族館の唯一のエンペラーペンギンはオスで、この置物のように固まっているほうがそうです」

 オジサンは手をのばしてペンギンを示す。突っ立っているのがメスで、気を引こうと頑張っているのがオスのペンスケかと思ったけれど、逆だったらしい。

「このオスのエンペラーペンギンは、メンドウなのでエンペラーと呼ぶことにします。メスの方は、エンペラーの奥さんはなんというんですかね、クイーンでいいですか、知らないので。このエンペラーは四歳になりまして、やっと大人の仲間入りをしたばかりの若いペンギンです。人間だったらどうでしょうね、大学生くらい、二十歳になったばかりとか、そんなイメージですね。

 一方、クイーンは歳上です。お姉さんですね。結婚すれば姉さん女房ですけれど、エンペラーにしてみたら、三十歳位の社会人のお姉さんです。おっと、歳の話を女性の前ですると怒られそうです。クイーンがこちらをにらんでいますね」

 子供とお父さんは笑っているけれど、お母さんは冷ややかだ。久保田オジサンは二羽のエンペラーペンギンにもエサを食べさせる。ペンスケの方はクチバシに押しつけられて仕方なしに食べている感じだ。換羽はとっくに終わったのに食欲がないみたいだ。エサがおいしくないのかもしれない。かわいそうに。いや、人を食べたいと思っているのかも。

「そんなわけで、エンペラーはちょっとビビッているようです。コチコチに固まって身動きしませんね。クイーンのほうが積極的です。

 お見合いがうまくいってほしいんですけど。うまくいくと、夏ごろ卵が生まれます。南極では、そのころ冬の一番寒い季節ですね。水槽の中は南極ほど寒くしませんけど。お見合いがうまくいくように、あたたかい目で見守ってあげてくださいね」

 さらにエサを二羽に与えて久保田オジサンは去って行った。

 ペンスケは、迫ってくるクイーンからジリジリ逃げてゆき、水槽の右のほうへ、さらに陸地が張りだしている手前にと追い詰められてくる。とうとう狭い張りだし部分からプールに足を滑らせるようにして落ちてしまった。クイーンは、ペンスケどこ行ったみたいに周囲を見回している。

 お見合いは、うまくいく気がしない。

「ダメそうだね」

 相内お姉さんに同意して、ふたりでうなづく。


 人間というのは、自分に甘い生き物だ。

 大人は子供に厳しいルールを課し、忠実に守らせようとする。赤信号を渡るな、走るな、木に登るな、ブランコをひとり占めするな、人の悪口を言うな、ゴミを捨てるな、オモチャを片付けろ、大人の言うことを聞け。ふう、子供が大人の言うことを聞かなければならない理由は何なのだろう。ロクでもない親だったら言うことを聞く必要がないとは、誰も言わない。

 ゴミをポイ捨てするのは大人ばかりだ。掃除をしていて駄菓子のゴミを拾ったことなんてない。ジュースやビールの飲んだゴミ、タバコの吸い殻、弁当のゴミ、そんなものばかり落ちている。大人だって子供時代はあったはずだ。子供のころ守れたルールが大人になると守れなくなる。大人は平気で信号無視する。悪口は大人のエンタテインメントのひとつだ。子供にルールを守らせる目的は何だろう。ルールを守る大人にするためではないのだろうか。そうだとすると、目的を果たせていないことになる。子供にルールを守らせる方法ではダメなのだ。正しい方法を見つける必要がある。自分に甘くできることがいけないのだろう。大人が子供にするように強制すべきなのかもしれない。どんな存在が大人に強制すればいいかはわからないけれど。

 週に一度の掃除はつづけている。例のお地蔵さんを焼きそうになった山火事事件の罰だ。

 公園をまわり、神社の林のゴミ拾いに進む。春になって林の木々に葉が生い茂り、林の中はうす暗い。風で飛ばされてくるせいか、ゴミはポツポツある。人は林にあまりはいりこまないものだけれど。快適な秘密基地のため念入りにゴミを探す。

 お地蔵さんの前を通る。なぜかわからないけれど、お地蔵さんは不気味な気配がある。あまり視界にいれたくない。下を見て通りすぎる。お地蔵さんにじっと見つめられているような粘着性の視線を感じる。なぜだろう。まだ冬のころから、このあたりで視線を感じることがよくある。そんなわけはないけれど、お地蔵さんの顔を見たら目だけ人間みたいで、こちらをじっと見つめていたりして。不気味さが増す。むしろ恐怖だ。よけいなことを考えるんじゃなかった。お地蔵さんを意識しすぎて歩みがぎこちなくなってしまったけれど、どうにかやりすごせた。

 真っすぐ進むと神社の裏に林がまわりこんでいるのにぶつかる。林にはいらず、神社に沿って裏にまわり込むと、コンクリートの台が地面から生え、上に小さな祠がのっている。お稲荷さんと言って、キツネの神様が祀ってあるのだとか。正月の餅つきのときに教えてもらった。キツネの像が置いてあるわけではないけれど、お地蔵さんと並んで不気味だ。なぜこんな裏の目立たないところにつくってあるのかわからない。

 春の日はやわらかい日差しとなって降り注ぎ、木漏れ日が地面に、祠に、まだら模様を描く。風が吹くと模様が乱れる。葉がざわめく。暗いわけではないのに、不気味な雰囲気が倍増する。まわりの世界から切り離されたような錯覚がある。錯覚だから、気を持ち直してゴミ拾いしながら通りすぎれば、なんということはない、はずだ。

 祠の周囲を一周して幸いゴミはなかった。奥の林にもゴミは見当たらない。いまからうす暗い林の中に入るのは歓迎しない、神社の裏に沿って進む。

 神社の裏をすぎると集会所の奥の林が正面になる。物音がしたのだろうか。なにか気配を、林の中に感じた。立ち止まって、つい林の中に目を転じる。さっきまで不気味だ、よけいなものは見たくないと思っていたのに、油断してしまった。


 猫の顔が、地面に落ちている。

 目はうつろで、どこを見ているのかわからない。

 その奥に、体が切り開かれている。

 赤黒く、あるいはキレイなピンク色をして。

 人の手が猫の体に伸びていて、

 人差し指を伸ばしてナイフをもった手。

 その手の持ち主と、

 目が合ってしまった。

 周囲が黒ずんで、死んだ目をしている。

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