第29話 暴走行為は危険です(1)

 二月と三月はむなしく過ぎ去った。

 春は出会いと別れの季節。高校を卒業して大学に進学する人、就職する人、とにかく環境が大きく変わり、自分も大きく成長したと勘違いする人が多かったりする。毎年、免許取りたての学生が死亡事故を起こすのも春に多い。アクセルを踏めばスピードが出る。車の仕組みでそうなっているだけなのに、あたかも自分の特別な能力によってスピードが出せるかのように勘違いしてしまうのかもしれない。たいていはスピードの出し過ぎで事故を起こす。アクセルを踏んでスピードを出すことが命をかけるだけの価値あることなのか考えることはないのだろう。若いということは愚かなことだ。

 この数日、毎日決まった時間に神社の壁の向こう、狭い道路を猛スピードで疾走する車がある。一度、駄菓子屋帰りに頼人たちが轢かれそうになった。今も、おそらく同じ車が、猛然と走り去った。泰人は木の上に作った秘密基地からすべてを見下ろしていた。敷地の端にあって、壁の向こうが見下ろせるのだ。暴走行為を繰り返す車。これはどうにかしなければならない。

 うん?秘密基地から降りているあいだ、誰かに見られていた気がする。でも、まわりには誰もいない。秘密基地なのだから人に見られてはいけないのだ。今後はもっと周囲に注意して出入りしよう。

 家にもどって相内お姉さんに電話をかける。

『もしもしー、いま沙莉はトイレだぞー』

 この声、ぞんざいな話し方、デリカシーのなさ、凛ちゃんお姉さんだ。相内お姉さんより都合がいいかもしれない。

「凛ちゃんお姉さん。ぼく鷹翔泰人。牛丼を一緒に食べた」

『わかってるよ。沙莉になんか用か?』

「えっと、薄くて軽い壁を作りたいの。二枚。どうしたらいいと思う?」

『なに、張りぼてでいいなら、ベニヤだろうけど』

「うん、偽物の壁だよ。ベニヤってなに?」

『ベニヤ知らないのか。面倒だな。たぶん芸祭で使ったベニヤがまだ大量にあるだろうから、もってってやろうか?』

「ホント?ありがとう凛ちゃんお姉さん」

『凛ちゃんお姉さんか。ま、いいけど。じゃ、沙莉を手伝ってもってってやるから、場所は沙莉が知ってるか?』

「相内お姉さんには内緒にできない?」

『ひとりで運べってか。あとペンキもいるだろ。何色の壁にするんだ?』

「色はね、コンクリートの色。グレー」

『それっぽいの見繕ってもっていく』

 なんて好都合なんだ。手を合わせて拝みたいくらいだ。相内お姉さんに頼んだら面倒なことを聞かれそうだけど、凛ちゃんお姉さんはメンドクサイのが嫌いだからなにも聞かないでいてくれるはずだ。勝手なイメージだけど。

 家からビニール紐をもちだして、途中手ごろな石を集会所の裏から調達、問題の道路へ向かう。道路の幅を知る必要があるのだ。ビニール紐の端をひと縛り。石で壁の前に固定する。つーっと紐を伸ばしながら住宅側の壁までピンと張る。壁のところで紐をつまんで、余裕をもたせてハサミで切る。つまんだところで拳をつくる。これで壁の幅がわかる。

 神社の階段にすわり、チュッパチャップスを口に入れて棒をクルクルねじる。アメが口の中で転がる。アメの味が口の中いっぱいに広がっておいしい。ときどき口から離して、口の中をクリアにする。そうすると、また味が強く感じられるようになる。チュッパチャップスが舐め終わるちょうど良いタイミングで、軽トラックが集会所前の空き地に侵入してきた。プップッとクラクションが鳴る。凛ちゃんお姉さんがトラックから降りてくる。

「凛ちゃんお姉さんトラック運転できるんだね」

「普通免許で運転できるんだよ。タイトも大人になって免許とれば運転できるんだぞ」

「すごーい。免許とろう」

 荷台に巨大な看板が互いによりかかって載っている。これのことをベニヤというのだろう。ロープで固定してあるから風が吹いても飛ばされる心配はない。荷台の後ろ側の留め金をはずして手前に倒す。

「大きさ大丈夫か?」

 凛ちゃんお姉さんは軍手をはめる。よっこいしょと荷台にあがってビニール紐を伸ばす。尺取り虫のようにしてはかると、紐の方がすこし長い。でも、ピッタリじゃない方が出し入れに都合がよいだろう。看板にかけたロープをはずす作業をしている。

「うん。ちょうどいいよ」

「ふたりで降ろせるかな。タイト、横のとこを押さえてろ」

 ハの字に立てかけてある看板の隙間を腰をかがめて通って奥に抜け、看板を片手づつで押さえる。凛ちゃんお姉さんが看板をくっつけるように動かす。看板が安定を失ってフラフラしてしまう。

「そっちも同じようにくっつけて、そのままトラックから降ろすぞ」

 看板はうすい板に棒状の板で補強がしてあるだけだ、重くはない。ふたつをくっつけて、引きずって荷台の端にもっていく。

「よし。ここで上に乗ったまま看板を降ろせるか?手をもちかえながら」

 上に持ち上げる方向に力をいれながら、看板は降ろすという複雑な作業だ。どうにかこなして、地面に看板がついた。ふう。荷台から降りる。

「よくやった。今度は倒すからな。少しづつ傾けながら移動するんだ。行くぞ」

 看板が傾いてゆく。凛ちゃんお姉さんは移動するけれど、泰人はまだ移動すると手が届かなくなる。かなり傾いたところで地面についていた側がもちあがってしまった。重さのかなりの部分がいま看板をもっている手にかかって、手が外れてしまう。凛ちゃんお姉さんがゆっくり看板を降ろす。

「大丈夫か?手痛くした?」

 少し赤くなっているけど、傷にはなっていない。

「大丈夫」

 見せてみろと言って両手をよく見たあと、傷はないな、よくやったと言って肩を抱いてくれた。

「高さは?測ってあるのか?」

 そうか、高さもあった。でもどうやって測ったらいいだろう。凛ちゃんお姉さんに手伝ってもらうしかない。

「測るから手伝って」

 集会所の壁のところへ凛ちゃんお姉さんを誘導する。高さは同じはずだ。

「この紐で」

「ああ、じゃあ端を合わせればいいんだな?」

 腕をのばし、紐につくった拳を壁のてっぺんに合わせてくれる。紐を張って地面のところでつまむ。また拳をつくる。

「つまり、この高さの壁をつくるんだ」

「うん」

「やっぱりあれか、秘密基地か。男の子だからな」

「秘密だよ」

「はいはい」

 看板の高さは壁より全然高かった。切って低くしなければならない。集会所から電源を借りて、電動のこぎりでうぃーんと切ってくれた。丸いノコギリが回転するやつだ。相内お姉さんがお地蔵さんの囲いをつくったときは手動だった。久保田オジサンがほとんど切ったから自動みたいなものか。

 切った端に補強の棒を釘打ちして留めた。紐を通す金具も留めてくれた。これで希望どおりの大きさと形の壁になった。あとは色塗りだ。

 靴下で看板にのって、ペンキをローラーでくるくると塗ってゆく。ペンキのにおいは嫌いだ。凛ちゃんお姉さんはああじゃないこうじゃないと、やたらと指示を飛ばしてくる。思ったより口やかましい。それに天気がよくて暑い。汗が噴き出た。

 色を塗った看板は、林にもっていって木に立てかけて乾かす。倒れないように紐を金具に通して枝に縛り付けておく。明日になれば乾いているだろう。もうすっかり夕方だ。

「秘密基地が完成したら、沙莉とあたしを招待してくれるんだろ?」

「秘密だってば」

「楽しみにしてっからな」

 軽トラックで元気に帰って行く凛ちゃんお姉さんに手を振っておわかれした。


 今日という日がやってきた。危険な暴走行為を繰り返す若造を懲らしめる作戦決行だ。昨日、壁をつくった、あとは設置し実行するだけだ。人手が必要だからチビどもを秘密基地に招かなければならなかった。残念なことだけれど、仕方ない。今日は天使のピアノのレッスン日だ。今日しかない。

「よし、そろそろだな。道路を封鎖」

 ロープをゆるめて看板を回転し、壁の向こうの道路を封鎖する。

「つぎは車がくるまで各自待機してくれ」

「クルマがくるまでだって」

 英麗玖はダジャレが好きらしい。そんなつもりはなかったのに。今日はマーくんも一緒だ。心強い。全員に装備を渡す。煙玉とカンシャク玉。みんな秘密基地の床に腰かけ、足を壁の上にのせてくつろいでいる。

「あ、きた」

「よし、煙玉に点火だ」

 泰人は頼人と英麗玖の煙玉にも火をつける。アスカちゃんの煙玉にはマーくんが点火する。エンジンのうなる音が近づいている。角を曲がって、見えた。いつもの車だ。すごいスピードで目の前を駆け抜けようというところでスピードダウン。壁の前で停止した。衝突防止機能がついているから壁をやぶって走り抜けることができないのだ。車を見下ろす。

「いまだ。投下」

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