第28話 天使な天使(5)

 しばらく車をはしらせ、一度まがって車は停止した。

「はい到着。ここでいいのね?」

「うん、ありがとう。また帰りもここで」

「はいはい」

 車を降りると、どこだ?

「ここでお姉さん勉強してるんだ」

 お姉さん勉強してる?ってことは、相内お姉さんのガッコウか?そういわれてみれば見覚えがあるような。

「おっ、ついたねー。今日は楽しかった?」

「わたしは普通かな」

「いっちょまえー。わたしも壮介さんとデートしたい」

「したらいいのに」

「そうだねって、思い出した。壮介さん三月に冬山訓練に行っちゃうんだって。寂しいよー、アンジェちゃーん」

「どのくらい?」

「一週間もだよー?」

「あ、そんだけ」

「しどい。一週間も会えないなんて、ぐすんだよ。いつもだって、一週間に一回くらいしか会えないんだから。一週間不在ということは二週もあいちゃうってことなんだ。ぐすんぐすん」

「行く前と、帰ってきたらいっぱい甘えたらいいよ」

「そだね。そんじゃ、こっちだ」

 相内お姉さんについて建物にはいってゆき、エレベーターで上昇、廊下を進んで教室にはいる。ゴチャッとした教室の通路らしきところを蹴つまづかないように注意して進む。白いテントっぽいものの前についた。テントの天井はまるまっていて、端はピッタリ合うように布で円筒形に壁ができている。布はちょうど床につく長さ。

「これはね、わたしのお友達が死んじゃったお葬式のために作った作品。大昔、まだ人間が話したり、字を書いたりできなかったころ、国もなく、宗教もなかったころのこと。そんな原始人でも、大切な人が死んじゃったら洞窟にお墓をつくって花を供えていた、かもしれないんだって。そのお話をもとにつくりました」

 紫色の花びらのついた花束。相内お姉さんに手渡された。

「タイトくんには前見せたでしょ、金属で作った人の骨。中に置いてあるから、こんな風に花束を骨の上においてね?」

 手に持った花束を立てて、胸の前でもたされる。顔の前が紫の花でいっぱいだ。全部金属でできているのだ。

 白い布をめくって入口をつくってくれる。中には小さい明り。背中に手を添えてくれる。天使もあとにつづいてはいってくる。テントが閉じられて暗くなる。小さい明りは金属の骨を浮かび上がらせている。骨はすでに紫の花で周囲をかざられている。顔が、ミイラみたいになったおじいちゃんの顔のように見える。もうすこし細くて弱々しい感じだった気もする。

 芸術家のお葬式は驚くんだと言っていたやつが完成したのだ。

 いまテントの真ん中あたりに立っている。どうやって花を供えればいいんだろう。ポイッとやるわけにはいかない。胸の上に置くには、手前に供えられた花が邪魔で手が届きにくい。床に膝をついて片手で体を支えつつ、もう片方の手をのばして花束を胸の上に載せる。膝をついたまま手を合わせる。おじいちゃんに向かって手を合わせている気分だ。おじいちゃんのための芸術家のお葬式だ。

 つむった目に明かりを感じる。手を降ろして目を開ける。頭上に青空が広がっている。立ち上がると天使が腕につかまってきた。空ばかりではない。まわりは花畑のように緑の葉と色とりどりの花で埋め尽くされている。

 ここはスイスだ。

 おじいちゃんが若いころに旅行したことがあると言っていた。お花畑がキレイだったと。記憶にある限り寝たきりだったおじいちゃん。寝たきりの間も、旅行していろんなところに行きたかったのだろうか。スイスのお花畑が見たかっただろうか。歩けなくなったら余計に歩きたくなるものではないか。あまりおじいちゃんと一緒に過ごさなかったけれど、それでも旅行の話をしてくれて、その記憶が残っている。死んだおじいちゃんを前にして思い出すことはなかったけれど、いまは話を聞きながら想像していた風景が甦ってくる。

 花畑に風が巻き起こり、花びらが舞い散る。周囲に渦巻く。花びらの台風の目にいる。おじいちゃんをすぐ近くに感じる。渦は上昇をはじめ、風が花びらを連れ去ってしまった。青空と花畑がにじんでゆき、もとの暗いテントの中にもどる。おじいちゃんは花びらと一緒に天国に行ってしまった。

 余韻をやぶるようにテントがめくられ、相内お姉さんが顔をつっこんできた。

「暗いから転ばないようにね」

 外から差し込んでくる光を頼りにテントから出る。さっきの雑然とした教室だ。目の前に相内お姉さんが立っている。

「ん?どうだった?すごかったでしょ。わたしがつくったんだよ?咲名ちゃんにいっぱい手伝ってもらっちゃったけど」

 相内お姉さんのお腹に抱きつく。顔をつけると落ち着く。相内お姉さんが頭をなでてくれる。

「どちたどちた。そんなに感動しちゃったか」

 相内お姉さんの声はお腹から伝わってきて、すこし低くて、ぼやけて、でもとってもやさしく響く。お母さんのお腹の中にいたときもこんな感じだったのかな。

「おじいちゃんかわいそう。おじいちゃんかわいそうだよ」

「どうして。どうしてそう思うのかな。おじいちゃんは幸せだったんじゃない?」

「だって、歩けなくなっちゃったんだもん。旅行が大好きだったのに、どこにも行けなくなっちゃったんだもん」

「うん。それは残念なことだけど、おじいちゃんになったり、おばあちゃんになったりすると、歩けなくなっちゃったりするんだよ。大人はみんな知ってるんだ。だから、若いうちにいっぱいいろんなことをするんだよ。おじいちゃんも若いときに大好きな旅行ができたんだから、おじいちゃんになって旅行ができなくなっても大丈夫だったんだよ。タイトくんに旅行の話をして、思い出して、楽しかったはずだよ。だから、かわいそうじゃないんだよ。でもさ、もし若いころに旅行しなかったら、かわいそうだよね。旅行できないままおじいちゃんになったらさ。おじいちゃんになって、もう旅行できなくなったら。だから、タイトくんは大好きなことを見つけて、若いときにいっぱい大好きなことをするんだよ。おじいちゃんになる前に。そしたら、かわいそうなおじいちゃんにならないよ。タイトくんのおじいちゃんみたいに、幸せなおじいちゃんになれるよ」

 大人の言うことなんてわからない。相内お姉さんのいうことなんかわからない。本当におじいちゃんが幸せだったらいいな。旅行の話をして笑ったり怒ったりしていたおじいちゃんが幸せだったらいいな。

 となりに天使も抱きついてきた。

「あはははは。アンジェちゃんも頑張ったね。タイトくんは幸せ者だよ」

 天使にも相内お姉さんに抱きつきたくなるようなことがあったようだ。おじいちゃんもおばあちゃんも死んじゃったという話は聞いていないけど。

 ガッコウへきたのは、相内お姉さんの作品を見るためだったらしい。天使が迎えを呼んで建物を出た。迎えには天使の家族全員でやってきた。お父さんの大きい車だ。ご丁寧に、泰人のジュニアシートがのっている。家の車からつけかえてきたのだ。用意がいいことだ。乗り込むとき英麗玖が、タイトくん泣いたでしょーと大声で言ったから、うっさい英麗玖も泣くかと言って黙らせた。相内お姉さんにお別れして、車で向かった先はラーメン屋さんだった。

「今日の晩ご飯は札幌ラーメンです」

 お店の看板はカタカナだった。ピリカ。ピリカラの間違い?辛いのはあまり得意ではない。

「泰人ははじめて?味噌ラーメンがおいしいんだよ。味噌ラーメンにしなよ」

 勝手に注文を決められ、でも味噌ラーメンは本当においしかった。お母さんの晩ごはんとくらべるまでもない。英麗玖はお子様メニューにしていて、量が少なめだけれど、味噌ラーメンはもちろん大人用だ。おいしいといって食べ切ってしまったときにはお腹が苦しくて、全部食べるのは無謀だったと後悔した。天使は食べきれない分をお父さんに押しつけていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る