第27話 天使な天使(4)

 もう一度籠を大きく揺らして天使が自分の席にもどって死ぬ思いをさせられたあとは無事に地上に降りてきた。もうクタクタ。まだ乗れないジェットコースターを思えば大したことはないけれど、ヒドイ目にあったのは確かだ。

「つぎなに乗る?」

「もう帰ろうよ」

「せっかくきたのに観覧車だけじゃもったいないでしょ。泰人が乗りたがったメリーゴーランド一緒に乗ってあげる」

 なんだか恩着せがましい。乗りたいって言ったわけじゃないし。でも、メリーゴーランドなら罪はない。チケットを今度は泰人が買う。メリーゴーランドは観覧車より安く、チケットが残って帰ってきた。またほかのアトラクションに乗せられる気配が濃厚だ。

 天使が白い馬に乗っている姿はよく似あいすぎて困る。馬のお尻を叩いたり、体を横に倒したりしてハシャイでしまった、困ると言っても一瞬の気の迷いのようなものだ。

 つぎは自転車のようにペダルを漕いでレールの上を走る乗り物。二人乗りで、天使と隣り合ってすわる。漕ぐのはもっぱら泰人だ。足だって、どうにかとどく。

「はい、もしもし。あっ、さっきはありがとうございました。そうです。水族館を出て、いまは遊園地に。はい。もう帰ります。え?ああ、じゃあ駅で。はい」

 ケータイを耳から離した。

「ケータイもってたんだな」

「うん、一年生から」

「ふーん。女の子だから心配なのかな」

「でも、不便なときもあるんだよ。早く帰ってきなさいとかお母さんに言われちゃうし」

「お母さんに電話しておいた方がいいんじゃないか。もうかなり暗いし」

「うん。でも、駅に行って電車の時間を見てからでいいや」

「あ、そう」

 レールで定められたコースを一周してアトラクションは終了だった。遊園地を出て駅へ向かう。

 商店街には照明が灯っていた。どこか寂し気だ。それは自分の気持ちの投影なのだろうけれど。なんだかんだ、今日の天使はテンシだった。振り返ると、一日が夢のように楽しかった気がする。いや、気のせいかもしれない。体中が疲れて力が入らないのはたしかだ。

 駅には久保田オジサンが待っていた。手に紙袋をさげている。

「おやつを用意しておいたよ」

「ありがとうございます」

 天使は知っていたようだ、久保田オジサンが駅で待っていることを。ペダルを漕がされているときにケータイで話していた相手が久保田オジサンだったのだろう。

 ホームに電車がはいっていた。館林発の電車らしい。席にすわって、久保田オジサンがくれた袋の中身をのぞく。紙袋からいい匂いが立ちのぼってくる。飲み物の紙コップと、まえに喫茶店で食べたチーズの効いたやつみたいだ。館林にもお店があるということか。天使は電車に乗ったと家に電話している。

「おやつってなんだったの?」

「えっと、キッチュ?フランスの食べ物っていったかな」

「え?なんて?」

「キッチュって言ったと思うけど」

「かわいい名前。でも、たぶんそれはキッシュのことだね」

「キッ、シュか」

 赤ちゃん言葉みたいな間違いをしてしまった。ワームホールを開けて宇宙の反対側に行ってしまいたい。

「食べましょ」

 袋に手をつっこんで、紙ナプキンでつつまれたキッ、シュをつかみだす。紙袋を天使との間に置く。慎重に紙ナプキンをほどき、紙を食べてしまわないように気をつけてかじりつく。うん、まえ食べたのと同じだ。

「うん、おいしい。わたしチーズ好き」

 ひとりの人間と一日過ごすというのは大切なことなのかもしれない。天使がこんな人間だったとは知らなかった。ただの不機嫌そうなキツイ性格の女の子ではなかった。幼稚園の頃の天使はあまり記憶にない。他人とあまり関わらなかったのか、物忘れがはげしいだけなのか、誰のこともあまり記憶にない。そんなものかもしれない。

 電車のドアが閉まり、館林駅を出発した。窓の外は真っ暗。ガラス窓は車内を映しだしている。

 飲み物はココアだった。キッシュの塩気とココアの甘みは互いを引きたてあって、なかなかの相性のよさだ。

 キッシュでお腹が満たされ、ココアの甘さに心も満たされた。電車のリズミカルな走行音は眠気を誘う。太田は終点ではない。乗り過ごしたら高崎まで行ってしまう。電車が止まるたびにハッとしてまだ太田についていないことを確認する。足もとから吹きだす暖かい風も心地よくて眠気を加速する。

 バリバリっと紙袋が音をたて、天使がよりかかってきた。紙袋はつぶされている。

「おーい、天使」

 起きる気配がない。かといって、大声で起こすわけにもいかない。いや、車内はすいている、やってやれないわけではないけれど。暖房が効いているのにこんなに体をくっつけられては、体温が上昇してしまうというもの。額に首のまわりに汗がでてくる。ふたりで眠ってしまってはいけないという心配はいらないようだ。いまは眠気を感じない。体温上昇のせいだ。向かいのガラス窓にふたりの姿が映っている。なんとも仲睦まじい二人に見えてしまうではないか。

 もうすぐ太田というところまできてしまった。天使は肩に寄りかかったままだ。起きてくれ。願いをこめて呼びかけ、腕に触れてみる。ううん?と声を発した。よかった。

「ぎゃっ」

 座席から落ちかける。怪獣の赤ちゃんのような声とともに突き飛ばされたのだ。天使は口のまわりを確認している。よだれがたれていないか心配なのだろう。

「太田だよ」

 ブレーキがかかって停車し、プシューとドアが開く。泰人はホームに降りる。電車の中が十分暖かかったから、冷たい空気が心地よい。ちょうどすぐ目の前にゴミ箱がある。紙袋ごとツッコんでおやつのゴミを捨てる。

「わたし寝てた?」

「そうみたいだな」

「ごめん」

「おれは大丈夫だけど」

「お母さんが迎えにきてるはず。行こっ」

 階段をおりはじめた天使を追う。

「改札出るまえにトイレ」

 女の子にトイレって呼びかけるのもどうかと思うけれど、仕方ない。ココアを飲んだせいだ。

 トイレを済ませ改札を出て、ロータリーへ向かう。バス乗り場、タクシー乗り場がある。迎えの車が待機すべき場所は特に指定されていないから思い思いの場所で送迎をする。

「こっち」

 天使がたたたたたっと駆けてゆく。追いかけて泰人も駆け足になる。ゆれる長い髪、一台の車のドアを開けて乗り込んだ。つづいてドアの前までゆくと、天使が奥の席のジュニアシートにすわって手招きしている。英麗玖のシートに窮屈にお尻を納める。壊れるんじゃないか?

「デートは楽しかった?」

 車は車線に出てすぐ信号待ちになっている。デート?これはデートだったのか?デートといえばいえなくもないけれど。もしデートだとするならば、これは人生初のデートということになる。どうだろう。観覧車を除けば楽しかった。いや、観覧車も一部楽しめたくらいかもしれない。天使は楽しめただろうか。窓の外を見つめていてなにも答えない。

「楽しかった。水族館と、遊園地にもすこし行ったよ」

 天使のお母さんは親戚のおばさんみたいなものだ。

「そう、よかったね」

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