第26話 天使な天使(3)

 外はもう夕方の雰囲気だ。遠くで歓声と、ゴーッという音が聞こえる。水族館の前の道路は海沿いをはしっていて、水族館と同じ並びに観覧車とジェットコースターの骨組みが見える。うーん、見たくなかった。

「ねえ、行ってみない?」

「どこへ?」

「見えてるでしょ?」

 指をさされてしまった。見てないフリをしても間に合わないだろう。天使は観覧車とジェットコースターのあるあたりに行きたいらしい。

「あれはなんだろうね」

「遊園地に決まってるでしょ」

「ああ、ゴーカートとか、メリーゴーランドとか、ゲームセンターがある」

「そんなのがあるか知らないけど、観覧車とジェットコースターはあるみたいね」

「おれとしては、大きな本屋にでも行ってペンギンの写真集を探したいかな」

「そんなのはネットで探しなさい」

 命令口調になってしまった。これはテンシではない天使だ。

「えっと、今日はペンギンの換羽を見にきたわけで、目的は達したというか」

「そう、これからはただ遊びにきただけってこと。遊園地で遊んでもなにも問題がない」

「そういう考え方もひとつだよね」

「それしか考えようがないでしょ?」

「目的を済ませたら帰るっていうのもひとつの」

「まだ明るいし、もう新しい目的が設定されてしまったの。つべこべ言わずに遊園地へ案内なさい」

 案内しろと言われたって、水族館にはきたことがあるけれど、遊園地に行ったことはない。目の前にアトラクションが見えているのだからそちらへ歩きだせばよいのだけれど、足を踏み出したくない泰人が、頭の中にいる。

(泰人の頭の中)

泰人1『そうは言っても、天使はかわいいぜ』

泰人2『もうテンシではないよ』

泰人1『いいじゃねえか、アトラクションに乗ってるあいだはテンシもアクマもねえ』

泰人3『絶対ヒドイ目にあうよ。あとで後悔するって。商店街を見ながら帰ろうよ』

 泰人2と泰人3は背中を飛び蹴りされて次々飛ばされた。反対意見をもつ泰人は一掃されてしまった。

天使『つべこべ言ってると殴るわよ』

 もう殴る蹴るの暴行をはたらいているじゃないか。倒れて足の下敷きにされた泰人1は意識を失った。

(現実)

「どうしたの?具合悪い?遊園地に行って少し休む?」

 遊園地には行くんだ。

「ううん、ちょっと心の中の葛藤が。すぐ天使に制圧されちゃったんだけど。心の葛藤に介入してくるなんてすごいね」

「ならよかった」

「なにが?」

「さっ、行きましょ」

 背中を突き飛ばされて、足が勝手に前に踏み出してしまった。いや、こうなることはわかっていたんだけど。

 遊園地は入場料がかからない方式だ。アトラクションごとにチケットで料金を支払う。チケットの自動販売機が設置されている。一日パスもあるけれど、今頃になって買う人はいないだろう。天使が先をゆく。悲鳴が聞こえて、見上げてしまう。天を突きさすつもりかという塔が立っている。バベルといったかな、なにか神話的な話があったはずだ。ベンチが塔を登ってゆき、テッペンから落下する。きっと凶悪犯罪者を拷問しているのだ。これは自分には関係ないと心をなだめる。天使は塔を通りすぎて先へゆく。よかった。

 またも頭の上で悲鳴がして、見るのが怖い、でも見ずに通り過ぎることができるわけもなく、頭上をふり仰ぐ。悪ふざけした鉄道模型のレールみたいなものが浮いている。もちろん支えがあって浮いているわけだけれど。口をあんぐり開けてあきれてしまう。こんなものが楽しい人間がいるなんて。また悲鳴とともにすごい勢いで頭の上をコースターが走り去ってゆく。水族館の前から見えていたジェットコースターだ。

「ほら、アホヅラしてないで。こっち」

 まさか。いやいや、ダメだろ、これは人間が乗っちゃ。天使が手を取って引っぱる。膝に力が入らず抵抗できない。パタパタと歩いて、ジェットコースター乗り場を過ぎる。

「あれ?」

「どうしたの?」

「ジェットコースター乗りたいんじゃないの?」

「なに言ってるの。まだ身長が足りなくて乗せてもらえないでしょ?」

「え?そんな素敵なルールがあるんだ。人類も捨てたものじゃないね」

「なにわけわかんないこと言ってるの。早く」

 天使が自動販売機でチケットを買う。えっと、何に乗るつもりだ?いくらだ?

「泰人は買わなくて大丈夫。うまいことできてるんだから。チケットがセットになって二人分あるの」

 また天使に手を引かれて、やけに段差の大きい階段をあがる。係の人にチケットを渡して、籠に乗り込む。え?籠に乗り込む?天使の勢いにつられてつい乗り込んでしまったのは、観覧車ではないか!ねえ、観覧車のらない?いいね、観覧車、乗ろうなんてやりとりは一切していない。観覧車のらない?なんて言われたら、いいよ下で待ってるから楽しんできなよと余裕を見せつつ広い心で受け入れる用意は常にできているというのに。そんなやりとりも一切なかった。ちょっと止めて。降ります、降ります。そんな叫びが誰に届くわけもなく。観覧車はまわりつづける。少し揺れる。思ったより狭い。それに、この薄い鉄板のほかは守ってくれるものが何もない。この状態でずっと上の方まであがってゆくのだ。なんでこんな乗り物作っちゃったかな。いまはバーチャルリアリティがあるじゃないか。ゴーグルをかけるだけ、危険はひとつもない。この籠さえいらない。空を自由に飛んで好きな高さから景色を楽しむことができる。すでに役目を終えた乗り物ではないか。早急に廃止した方がよい。メンテナンスや運転にエネルギーやお金がかかるし。

「どうしたの、顔を引きつらせて。ほら、夕方の海、キレイな色してるよ?」

「海?」

 海はすわっているのとは反対側の窓の下に見えているはずだ。夕日の色が東の空に映っているのか、淡くてピンクとブルーのグラデーションになっていて、空はキレイにちがいない。いまはそんなことを感じている暇はないけれど。だって、どんどん上昇しているのだ。

「もしかして怖いの?そっち行ってあげよっか?」

「いや、大丈夫。動かないで、揺れるから」

「思いっきりビビってるじゃないの。ちゃんとボルトかなんかでとまって、落ちないようになってるんだから。点検だってしてるだろうし」

 そんなことはわかっている。わかっていることと、ちょっと不安になることは関係ないのだ。

「せっかくの景色なのに。楽しめないなんてもったいない」

 がっかりさせてしまったようだ。でも、人はそれぞれ得意なことが異なるのだ。なにか別のことで得意なことを見つければよい。うん、その通りだ。この言葉は多くの人を勇気づけるにちがいない。

「ほら、あっちは太田だよ。うーん、よくわからない」

「市役所がちょっと見えるくらいだね」

「え?どこ?」

「いまは言えない」

「なにか秘密めかして言わないでくれる?手すりから手が離せないだけでしょ?」

「あとでゆっくり教えるから」

「あとでじゃ意味がないの」

「どわぁ」

 天使が勢いよくとなりに移ってきて、籠が、籠が大きく揺れたのだ。危ないじゃないか。留め金がはずれたらどうするんだ。天使は肩に手を置いて背中にピッタリ体をつけている。ジャンパーを着ているから体温が伝わってくるみたいなロマンチックな展開はない。でも、すぐ顔の横に天使が頭をだしている、ほっぺどうしがくっついてやわらかいとかあたたかいとかいう展開はあるかもしれない。

「ああ、あれ?よく見つけたね。遠いし、夕日で逆光になって黒いシミくらいにしか見えないのに」

 顔と顔の間に窮屈に腕を差し入れて指さしている。腕がぐいぐい顔にあたっているのだけれど。展開はしなかったということだ。

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