第25話 天使な天使(2)

 商店街を抜けて水族館が見えた。バックは海だ。キラキラ光っている。いまは二月も近い、一番寒い季節の光だ。アンジェが入場券を買うのを待ち、水族館へ入場する。

「久保田さんに、きたよって伝えてもらおっか」

 受付のブースを指さしている。好きにしたらいい。久保田オジサンに用はない。

「飼育員の久保田さんに伝えてください。アキヅキアンジェとタカカケタイトがきましたって」

「久保田に、アキヅキアンジェちゃんとタカタケカイトくんがきたって伝えるのね?」

「タカタケじゃなくて、タカカケ。カイトじゃなくて、タイトです」

「ごめん。タ、カ、カ、ケ、タイトくんね。久保田となにか約束?」

「ちがいます。水族館にペンギンの換羽を見においでっていわれたので、きましたってことを伝えてほしいだけです」

「そう。じゃあ、帰るときにも教えてくれる?」

「はい」

 天使は受付台に手をついてつま先立ちしていた。大人にあんなに上手に話ができるなんて、しっかりしている。それに、今日はペンギンのバッヂを買いたくてきたのではないとわかった。ペンギンの羽がはえかわる最中だから、それを見にきたのだ。謎はすべてとけた。うん、覚えておこう。

 ショーの時間を調べて、天使はまずペンギンを観に行くことにした。一枚紙のパンフレットで場所を確認してゆく。

 南極の展示室への入り口に巨大な透明のプラスチックのかたまりがある。上の方に金属のペンギンが飛んでいる。前をとおって水槽にぶつかる。頭の上の方まで水で満たされていて、ペンギンが飛ぶように目の前を泳ぎ過ぎてゆく。水槽の正面で振り返ると、階段状の観覧スペースになっている。水槽まで遠くなってしまうけれど、階段を上ってプールの水面の高さで腰をおろす。

 水槽のプールは手前側だけで、奥は陸地になっている。ペンギンツアーのときエンペラーペンギンに下敷きにされた場所だ。いまも陸地にペンギンがいる。小さいのと、大きいのと。小さいペンギンの方がいくらか数が多いようだ。大きいペンギンの中に、一羽大きいというか、太ったペンギンがいる。見覚えがある。あれがボスだ、きっと。ペンギンにボスがいるか知らないけど。

「ねえ、こっち。上にもペンギンがいるの」

 天使が階段の端で体を乗りだすようにして手すりによりかかっている。となりにいくと、同じ段に乗れるように天使がすこしよけてくれる。天使と肩をつけるようにして手すりの向こうをのぞく。金属のペンギンがいる。しかも、お腹の下からヒナが頭をだして鳴いている。子育て中のペンギンだ。さっきの入り口にあった巨大プラスチックの上に金属製のペンギンがいたのだ。せっかく本物のペンギンがすぐそこにいるのに金属のつくりものを喜ぶというのはわからない。子育て中なのがよいのかもしれない。ヒナの力は絶大ということか。

「ふたりともよくきたね」

 入口のところに久保田オジサンが立って、こちらを見上げている。大股で歩いて壁をまわり込み、ササッと階段をのぼってきた。

「そのオブジェ、相内さんがつくったんだよ?」

「すごーい」

「エンペラーペンギンというペンギンさんでね、南極の冬に厚い氷の上でヒナを育てるんだ。透明なアクリルの塊は、その氷のつもりなんだよ。オスは卵をあたためてヒナを孵し、メスはヒナのためにエサをとりに氷の果てまでヨチヨチ歩いて行くんだ。飛んでるみたいなペンギンは、メスが海でエサをとってるところなんだね」

「ペンギンはみんなそんなことするんですか?」

「ううん。エンペラーペンギンだけだよ。南極にはほかにアデリーペンギンとキングペンギンがいるけど、もっとあったかいところで夏に繁殖する。キングペンギンは卵を足の上であたためるのがエンペラーペンギンと同じだけど、お父さんとお母さんが交代で卵をあたためるよ」

 水槽を指さす。

「あの水槽にアデリー、キング、エンペラーがいるんだ。小さいのがアデリーペンギン、大きいのがキング。で、一羽だけ大きくて太ったのがエンペラーペンギン」

「一匹しかいないんですか?」

「まだね。日本の和歌山にあるアドベンチャーワールドで生まれた卵をもらってきて孵したのが、あのエンペラーペンギンなんだ。だんだん大人になってきたから、春になったらお見合いをする予定だよ」

「相手はアドベンチャーワールドからくるんですか?」

「そうだね。あともうひとつエンペラーペンギンを飼育している水族館があるけど、国立水族館が特に仲良くしているのがアドベンチャーワールドだからね」

「あの子はオスメスどっちですか?」

「オスだよ。だからお嫁さんを探さなくちゃいけないんだね」

「ふーん」

「換羽の最中の二三週間はね、ペンギンさんエサをほとんど食べないんだよ」

「えー、タイヘン。お腹すいちゃう」

「そのかわり、換羽の前にいっぱい食べるんだね」

「いっぱい食べたり、食べなかったり。体に悪そう」

「古い羽の防水効果が悪いからなんだ。途中で冷たい海にはいると体温を奪われてしまうんだね」

 水族館では水にはいらなくてもエサが食べられるのに断食をするなんて律儀なことだ。

「おっと、仕事しなくちゃいけないんだ。イルカのショーとかも見るでしょ?時間調べてある?」

 天使が調べたというと、ペンギンにエサをやるからそれを見てからショーに行くといいと教えてくれた。

「あの大きいのがエンペラーペンギンなんだね」

「そうだよ」

 後頭部から背中にかけて古い羽がこびりついて、馬のたてがみみたいでファンキーだ。じつは凶暴なペンギン、いまの姿がお似合いなのではないか、ずっとこのままでいい気がする。

「毛が抜けてるのが換羽で、病気ってわけじゃないのね?」

「毛じゃなくて羽だけどね」

「わかってる」

 久保田オジサンが水槽の中に姿をあらわして、まずアデリーペンギンに囲まれてしまう。突かれたりしてエサを催促されている。先にアデリーペンギンにエサをやって、つぎがキングペンギン。順番が決まっているようだ。キングペンギンも久保田オジサンを取り囲む。体が大きいからほとんど久保田オジサンの体が隠れてしまう。エンペラーペンギンは見ているあいだずっと動かなかった。置物とかわらない。

 イルカのショーを観て、お昼を食べるために水族館を出た。朝第一候補としたお店だ。ふたりともランチのセットで、スパゲッティにした。スパゲッティならどこで食べても同じような気もしたけれど、特別おいしかった。天使が目の前にいたからではない。物理的に、化学的に、脳科学的においしかったのだ。もし疑われたのだとしたらだけど。

 午後は水族館にもどりアシカのショーを観てから館内をひとまわりした。クラゲのコーナーではミズクラゲが大量にわさわさと水中でかきまぜられていた。相内お姉さんが動画を見せてくれたやつだ。そういえば、ペンギンの展示室入口のオブジェも画像で見せられていたのだった。さっきは気づかなかったけれど。

 水族館だけで一日を過ごすのは飽きてしまう。すでに館内をひとまわりして、みやげもの売り場も見た。ともかく水族館を出ることにする。受付で朝のお姉さんに、久保田さんに会えました、もう水族館をでますと伝えた。天使はしっかりしている。暗くなる前におうちに帰りなさいねといわれて、手を振って水族館をあとにした。

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