第24話 天使な天使(1)

 大人は休日、ダラダラと寝ていたいものらしい。実際、できるだけ遅くまで寝ていようとする。そんなにいいものならと真似をしてゆっくり寝ていたいところだけれど、勝手に目が覚めてしまうし、それでもベッドの中でゴロゴロしていると体のあちこちが痛くなってくるし、うまくいかない。長く寝ているためには大人の体の頑丈さが必要らしい。

 今朝も体の痛みに耐えかねて起きだしてしまった。まだ八時半だ。といっても、学校のある日ならもう朝の会がはじまる時間だけれど。大人になったら十時くらいまで寝てやるつもりだ。頼人はとなりのベッドでまだ寝ている。もしかして大人か。すこし掛け布団の角をめくって肩をだしてやる。反応が早い。寒そうにふるえだし、掛け布団のある方へ体を丸めてしまう。おしおきはこのへんでよい。

 パジャマを着替えて下へ降りる。

「おはよう」

 ダイニングテーブルに食事が用意されているところだ。換気扇のまわる音と、フライパンでなにかを焼く音がしている。置かれている茶碗のご飯はあたたかそうだ。

 ご飯茶碗の向こうに皿が置かれる。目玉焼き、いや、ほうれん草の巣ごもりたまごだ。それに、なにやら野菜スープ。キャベツがはいっている。これは、どうしたことだろう、お母さんのつくった朝食とは思えないクオリティだ。見ると、皿をテーブルに置いた手は天使の手じゃないか。いや、子供のちいさな手というだけで判断したのではなく、手からもとをたどって行って天使の顔に行き当たったのだ。よって、天使の手で間違いない。

「なに?」

「なにって、わかってるんじゃないか?なにがいいたいのか」

「いいでしょ?別に眠っているところを叩き起こしたわけじゃないんだから」

「うん、むしろありがたい。うまそうだ」

 お母さんの朝食とくらべたら、まさに天と地の差がある。

「そうでしょうとも。食べてみて」

「牛乳くれるかな」

 調子に乗るなと怒られるかどうか実験だ。

「牛乳?朝ごはんは牛乳なの?オレンジジュースじゃなくて?」

 フランスかっ。キッチンにもどってゆく。

「はい、牛乳」

 トンとテーブルにコップを置いてくれる。うん、なにかとてもいいことがあったか、これからいいことがある予定か、きっとそんなところだ。礼を言って黄身を割りながらたまごを一口大に切り取って口に運ぶ。

「うん、とろり半熟だ」

 テーブルの向かい側に天使がすわる。ほうれん草も食べてというから従う。ほうれん草と、一緒に。うん。

「ベーコンもはいってるんだ。ほうれん草にあう。塩加減がちょうどいい。天使はいいお嫁さんになれるよ」

 同い年でこんなにうまく料理ができるなんてすごい。

「それ、男女差別?」

「そうなの?」

「女は料理ができないと結婚相手として不足って意味でしょ?」

「男でも女でも得意なことがあるのは魅力じゃない?」

「得意なことがないといけないわけ?」

 早くも雲行きが怪しくなってきた。

「魅力は人それぞれだと思うけど、得意なことがあるというのも魅力のひとつと考えてもいいんじゃないかな」

「そう、そういうことなら許してあげる」

 許してもらえてよかった。

 朝食をおいしくいただき、牛乳を飲み干す。満足だ。

「で、今日は」

「なに?」

 おっと、目つきがするどい。

「水族館に行くわけだけど」

「そうね」

 あぶないあぶない。水族館に行く約束を忘れていると疑われたのだろう。

「用意ができたらでかける」

「ほかに用事があるの?」

「ううん。なにも」

「なら、泰人の用意ができたらでかけましょう」

「そうだね。楽しみ」

「うん、楽しみだね。イルカとアシカのショーは見たいな。あと、久保田さんが言っていたペンギンの換羽っていうの?羽がはえ変わるっていうのを見たい。一年に一度はえ変わるんだって。犬と猫は年に二回なのに」

 おう、天使は動物が好きだったのか。それで機嫌がいいわけなんだな。久保田オジサンが言っていたってなんだっけ。なんか言っていたかな。久保田オジサンのことなんてどうでもいいか。

「なに?なんかヘン?」

「いやいや、なにもヘンだなんていってない」

「でも、顔がそんな感じだった」

「ああ、ちょっといつもの天使っぽくないかなって」

「いつものわたしって?どんな感じなの?」

「えっと、言葉ではいいあらわしづらいんだけど。なんというか」

 言っていいのか?いつもは不機嫌そうで、命令口調だって。いや、いくら機嫌がよいといっても、そんなことをハッキリ言ったら機嫌を悪くしてしまうだろう。これから出かけるというのに機嫌を悪くしてしまうのは最悪だ。

「そうだな、こんなに長く話をしないっていうか、うん、よそよそしい。そうだ。よそよそしい感じがするかな」

「そう?ほかの人がまわりにいるからかもしれない。ほかの人が聞いてるかもしれないと思うとうまくシャベれないことってあるでしょ?」

 おお、納得する答えができたらしい。

「そっか。ふたりならこんな感じで話せていいね」

「ちょっ、今日は特別なんだからね」

 特別にテンシみたいな天使とお出かけか。楽しい気がしてきた。

 歯を磨いたりして出かける準備をしているうちにお母さんが起きだしてきた。駅まで車で送ってもらえて、よいタイミングだった。バスで駅まで行くと、それだけでお金がかかってしまう。電車で館林へ向かう。電車に乗ってしまえば三十分くらいで着く。

「よくひとりで電車に乗るの?」

「え?えーと、二回目かな。今日はひとりじゃないけど。だから、ひとりで乗ったのは一回だけってことか」

「ふーん。わたしは子供だけで電車に乗るのはじめてだからドキドキしちゃう」

「あー、なんとなくわかる。ドキドキするよ。これでいいのかな、目的地につけるかなって」

「でも、二回目だからヘーキなんでしょ?」

「女の子と電車に乗るのははじめてだけどね」

「なにそれ、ヘンなこと言わないでよ」

 女の子みたいだ。今日はずっとそうだけど、天使が女の子っぽく振る舞うのははじめて、いや、幼稚園の頃は記憶にない。だから、小学校にはいってからはじめてかもしれない。

 館林の駅で電車を降りて商店街を歩く。商店街を抜ければ水族館はすぐ目の前だ。お店がひらきはじめる時間で、まだシャッターが降りているお店もある。

「ねえ、お昼なに食べる?」

「もうお昼の心配?気が早いな」

「だって、先に目星をつけておいた方がいいでしょ?せっかく商店街を歩いているんだし」

「うーん、おれは天使が食べたいものでいいよ」

「そんなの困る」

「水族館の中でもきっと食べられるよ」

「えー、お昼は外で食べたい」

「久保田オジサンに相談してみるとか」

「働いてるから無理だよ」

「そっか」

「あ、このお店おしゃれ」

 階段をあがって二階にあるお店で、メニューが階段の上がり口の横に設置されている。階段はゆるくカーブしていて、黒っぽい木の板と漆喰、手すりは黒く塗装した金属でできている。ベランダがつきだしていて、季節がよければテラス席になるようだ。いまはテーブルとイスが端によけられている。ロミオとジュリエットができそう。メニューはアルファベットの上にカタカナが振ってあるから小学生でも読める。ものは写真を見ればだいたいわかるし。うん、うまいものが食べられそうだ。

「じゃあ、ここが第一候補ね」

「賛成」

 女の子はオシャレなものが大好き、どうやらお昼の難問はクリアできそうだ。天使は上機嫌でとなりを歩いている。

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