第17話 武器をとれ(2)
神社の裏の道路を歩く。壁の向こうは神社の林だ。林の方からトンカントンカン小気味よい音が聞こえてくる。頼人と英麗玖が走り出す。めったに車の通らない狭い道なのに、背中から車がゆっくりやってくるのがわかった。前のふたりに車だぞーと声をかける。ふたりは壁によって車をやり過ごす。また駆け出す。アスカちゃんが呼ぶから振り返ったら、菓子の箱を差し出している。ありがとうといって、手にアポロチョコをもらい、一息に口にいれる。アスカちゃんがにっこり笑っている、頭をなでてやる。本当にいい子だ。できるだけ長く、いい子のままのアスカちゃんでいてほしいと心の中で手を合わせる。アーメン。ナムアミダブツ。トンナンシャーペー。
トンカントンカンの正体は、相内お姉さんだった。木材を切ったり削ったり木槌で叩いたりしていたようだ。地面には木くずが落ちている。お地蔵さんの新しいおうちをつくっているのだ。
「相内お姉さんがひとりでつくるの?」
「そうだよ、お姉さんの魔法でちょちょいのちょいだよ」
「ぼく手伝いたい」
「大丈夫かな。おれの足を引っ張るんじゃないぜ」
「うん。ぼくのおじいちゃん大工だもん」
「そうか、大工か。ノコギリで木切ったことある?」
うんとうなづく。
「この板を切ってみようか」
幼稚園生三人に囲まれ、相内お姉さんに手を添えてもらって、板を鉛筆の線に沿ってノコギリで挽いてゆく。
「そうそう、同じ調子でずっと切り終わるまでね」
ふふん。われながら悪くない。ぎいこぎいことノコギリを動かす。体の中心は動かさないように。腕をうまく調整してノコギリの刃がまっすぐ移動するように。背中にお姉さんのおっぱいが。みんなに気づかれていないかな。
「ほら、よそ見しない。ちょっと曲がっちゃったよ」
いかんいかん。邪念を振り払って、ノコギリに集中する。おっぱいの感触を感覚から切り離し、そこにおっぱいがないかのように思えばいいのだ。でも、顔の横にお姉さんの顔があって、いい匂いがして、髪が肩に頬にかかってきて、手にやわらかな手が重なって、とっても幸せ。全部の感覚を遮断するなんてできそうもない。
カクッとノコギリの手ごたえがなくなり、板を切り終えた。木のいい香りに包まれている。
「おお、切れたね。この調子でこの板全部、鉛筆の線に沿って、といってもこっち側にはみ出さないようにね、こっちの線の外側を切ってね」
あとはひとりでやれということらしい。なんだ、つまんない。相内お姉さんは木槌とノミでまたトンカントンカンはじめた。釘を使わなくていいように、組み合わせるための溝をつけるのだ。切るべき板は、うん、大量にある。きっと板壁にする分全部だ。これだけで今日一日が終わってしまいそうだ。
何枚かの板を切り終えたところで自転車のベルが鳴った。どこからだ?集会所のほうかな。すぐに久保田オジサンが姿をあらわした。相内お姉さんがいるところ、すぐ久保田オジサンがやってくる。邪魔ものだ。
「あー、壮介さーん」
相内お姉さんがノミと木槌を置いて久保田オジサンに抱きつく。
「くっつくなよー」
久保田オジサンから相内お姉さんを引きはがそうとするけれど、はがれない。力が強い。
「タイトくーん。いいんだよ、わたしたちはくっついても。だって、正式なカッポーになったんだから」
「カッポーってなんだよー」
「結婚はしてないけど、パパとママみたいな関係ってことだよー。ふたりは、お互い深く愛し合っているのだよ。うふっ、クリスマス・イブにね。ロマンチック。でも」
がーん。そんな。相内お姉さんが、久保田オジサンのことを好きだなんて。だって、オジサンじゃん。
「なんでこんなオジサンなんだよー。相内お姉さんにぜんぜん似あわないじゃんかよー」
「まだ二十九。オジサンじゃなくてオウジサマ、なんだよ」
そんなことを言っているあいだも久保田オジサンの腰に腕をまわして離れない。
ダメだ。天国から一気に地獄に叩き落とされた。もう立っていられない。ふらふらと神社正面へ向かう。階段をあがって、賽銭箱のとなりに腰をおろす。まだダメだ。賽銭箱にもたれかかってやっと安定が得られた。これが失恋の痛みか。心臓がぺちゃんこにつぶれてしまった。たぶん初恋だった。目の前の地面に天使が立って、こっちを見ている。幻か?いや、こんなくっきり見える幻はない。ということは、用が済んで遊びに出てきたのだ。泰人を見つめて、情けない姿をバカにしているのかもしれない。こちらが気づいたと知ったからか、光ファイバーのようにまっすぐな長髪をなびかせて行ってしまった。なんだったのだろう。
後ろに倒れて神社のコンクリートの床に寝そべる。砂の粉っぽいような匂いがする。屋根の裏の木組みが見える。パチンコがお尻の肉に食い込んで痛い。手にとり、お腹の上に両手で持つ。
しばらくしてどうにか立ち上がり地蔵の方へもどる。久保田オジサンがお姉さんを手伝って板をノコギリで挽いている。シュッシュッ、と軽快なノコギリさばきで、すこしの時間で一枚の板を切ってしまう。大人にはかなわない。思い知らされた。
「お、パチンコじゃないか。かっこいいな」
手にもったパチンコを突き出して見せる。天使もほかの三人と一緒に相内お姉さんが作業するのを見学している。
地面に板の切れ端が散らばっている。なにかに使えるような気がする。頼人と英麗玖は駄菓子を食べ切って、中にゴミだけがはいった袋を手に提げている。
「袋くれ」
ふたりから袋をかっさらって、一方に全部のゴミをつめ、別の方には切れ端を集めてつめる。
「相内お姉さん」
「お、どうした。どこ行ってた?」
「木の切れ端ちょうだい」
「うん、いいけど。遊んだらちゃんとゴミとして捨てるんだよ?その辺に捨てないこと。いい?」
「うん」
これで、切れ端の所有権はうつった。林にある秘密基地建設予定の木に登って、適当な枝に袋をひっかける。そのうち出番があるだろ。
ふう。
ため息が出てしまう。パチンコをだしゴムを引き絞って狙いを定めてみる。むなしい。
「あ、きたきた。すぐどっか行っちゃうんだからな」
久保田オジサンは、かがめていた腰をのばす。
「ほれ、パチンコの弾」
木くずを甲につけた手が、差し出した泰人の両手にのせた。パチンコの弾というのは、木の切れ端を切ってサイコロ状にしたものだ。
「そんなの危ないんじゃない」
「人に向けなければ大丈夫」
「木に当たって跳ね返ってきたらどうするの」
「そんな間抜けは自分の弾に当たって死ぬだけさ」
「ダメじゃない。消しゴムくらいにしといたほうがいいって。なんなら練り消し」
「そんなので男の子は満足しないよ。さっきの端材を立てて撃つくらいならいいんじゃないかな。回収できなくても自然に戻るし」
「ゴムじゃ倒れないか」
「無理だよ」
「まわりに人がいないときにやるんだよ?動物もダメ。猫とかトリとか狙ったらかわいそうだからね。いい?缶とか、さっきあげた端材とかを狙うこと。わかった?」
こうして目の前にあって手が届きそうなのに。とてつもなく大事なものが失われた絶望に窒息してしまう。苦痛をこらえ、うんとうなづく。涙がこぼれそう。
木製のパチンコの弾をポケットに押し込むと、手には自分が食べたわけでもない二人分の菓子のゴミを詰めたビニール袋がのこった。
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