第15話 炎の悪魔(2)

 地蔵の囲いのとなりに説明の看板が出ていて、連絡先が最後に書いてあったらしい。久保田オジサンが電話した。

「あちゃー、こりゃまた派手にやったもんだ」

「申し訳ありません」

 相内お姉さんに頭を押さえつけられて、頭をさげる。小声で、ごめんなさいと言っておく。

 電話してやってきた頭がツルツルのオジイサンは、なんと言うのかわらかないけれど、ゆるい感じの和服姿をしている。神社の人だからお坊さんではないはずだけれど、見た目はお坊さんだ。指で消火器の粉をこすり落として下の板壁が焦げて炭のようになっているのを確認した。草履履きの足で表にまわって、地蔵の奥の板を調べる。地蔵のまわりには、布だの紙だのでできたなにやらがごちゃごちゃとまとわりついている。

「内側まで熱が達するまえに消せていて、そこはなにより。うむ、ここまで広く焦げてると、全部作り直すか」

「あの、それなら、わたしがやります」

「あんたが?」

「芸大生なんです。なんでも作るのは得意なんですよ」

「ほう。だが、あんまり奇抜なのは」

「大丈夫です。古美術研究旅行で二週間みっちり神社仏閣をまわって勉強してきたばかりなんで。大船に乗ったつもりで、どーんとまかせてください」

「モノづくりの腕だけは信用できます」

 だけは?といって、キッと久保田オジサンを睨む。

「相内さん、キレイですよ」

 睨まれて褒めるって、久保田オジサンは変態さんなのかもしれない。

「そいじゃ、作り直しはまかせるとして。そっちの子は、そうだいな、罰として」

 オジイサンがじいっとこっちを見つめる。なにを言われるのかドキドキだ。

「掃除を頼もうか。最低週に一度、集会所から神社から公園から全部、ゴミを拾ったり、必要な掃除をする。できるかな?」

 週に一度、集会所、神社、公園の掃除。ゴミ袋をもってゴミをつまむやつで拾ったものを袋に入れればいい。一時間もかからないだろう。できるとうなづく。

「ようし、今日はさっそく穴を掘ってもらうとしよう」

 なに言ってるんだろう。ゴミひろいじゃなかったのか?

「こっちの広いところでな、道具は集会所の物置にあるから教える」

 オジイサンに誘導されて神社の前の広い空間の横っちょあたりへ移動、久保田オジサンが道具を借りにオジイサンについていった。

「なにがはじまるの?」

「さあ、でも楽しそうじゃない?穴を掘るんだってよ。タイトくんを埋めちゃうのかな」

 嫌だ。こんな寒いところに埋められてしまうなんて。やっぱり沖縄に逃げるしかない。

 久保田オジサンがひとりでもどってきた。デカいチリトリみたいなものを渡され、両手でかかえる。

「林に行って、落ち葉をみんな集めてくるんだ。おれが穴を掘るから、となりに山にする。いいな」

 落ち葉を埋めるのか。それなら安心。わかったと言って、作業に取り掛かる。ブルドーザーの要領で、ざざーっとチリトリに落ち葉を追い込む。火事で焼け焦げた葉っぱも、消火剤が白くついた葉っぱも気にしない。手でちりとりの奥まで押し込んで、今度は穴のとなりまで運ぶ。相内お姉さんが熊手を手にやってきて、端の方から落ち葉を集めてきてくれる。ざざーっとやって、押し込んで、運ぶ。この繰り返しだ。

「どうかな、キツかったかな」

「けっこう踏み固められてますね、大変です」

 オジイサンはザルにアルミホイルで包んだなにかを載せてもってきていた。

「おやつに焼き芋なんていいだろ」

 もう一方の手にペットボトルのお茶のはいった袋をもっている。

 久保田オジサンがアルミホイルを穴の真ん中に安置した。天使たちがどこからかやってきて、みんなで落ち葉を穴に落とす。オジイサンが火をつける。まわりをかこんで焚火にあたる。煙がやってくると逃げて焚火をまわりこみ、きゃっきゃとはしゃぐ。今度は穴の中で燃えているから風に蹴散らされることはない。ときどきちいさな葉っぱが燃えながらすうっと空に向かってのぼってゆく。

「いいかな。火を使うときは、風に注意するんだぞ。となりには水を用意する」

 オジイサンの足もとにいつのまにかバケツにはいった水が用意されていた。集会所の物置にあったのだろう。

「火をつけたら、そばを離れないこと。終わったら水をかけて完全に消す。それができれば安全に焚火ができる」

 うんとうなづく。

 落ち葉が燃え尽きて黒い灰になった。オジイサンがゴミをつまむのと同じやつで灰をかきまぜる。火がついていたり燃えのこっていたりはしない。アルミホイルで包んだイモをひっかけて灰から取り出す。久保田オジサンが軍手をはめた手でザルに取る。オジイサンがバケツの水をじゃーっと穴に流しいれたのを合図に、みんなで土を穴に戻す競争になる。靴の裏で土を押し出して穴に落とす。久保田オジサンがスコップでかいて全部の土をもどし、ポンポンとスコップの背中で叩く。あとは子供たちで踏み固めて焚火の始末は完了だ。

 久保田オジサンがイモをふたつに割って配ってくれる。オジイサンはお茶をくれる。イモの皮はお茶をいれていた袋に捨てる。イモは、ほくほくのしっとりねとねとでおいしい。

「それにしても、久保田さん。さっきの登場は戦隊もののヒーローくらいかっこよかったですよ」

「それはどうも」

「都合よく消火器もってましたね」

「消火器家からもってくるわけありません」

「そうなんですか?マイ消化器かと思いましたよ」

「あの女の子がそこで消火器を抱きしめて立ってたからもらったんです」

「かわいいですよね」

「そうですか?歩いてしゃべりますよ?」

「そうでした。子供は嫌いなんですよね」

「まあ、子供の前でいうのもなんですけど」

「いくつくらいからいいんですか」

「なにがですか」

「あれですよ、ストライクゾーン」

「そうですね、大学出たくらいか」

 相内お姉さんの拳が久保田オジサンのお腹にめりこんでいる。かはっと息を吐いて、苦しそうに体を折る。

「いくつくらいからいいんですか?」

 ニッコリ微笑んで相内お姉さんがたずねる。

「キレイな、お姉さんなら、歳は、関係、ありません。ぐぅ」

「そうなんですね」

 キレイな花にはトゲがある。キレイな女の人は鋭いパンチを隠しもっている。世の理かもしれない。天使に目をやる。年下の子たちを面倒見ていて、遠くから見ると本当に天使のようだけれど、近づいてしまうとトゲにやられる。

 イモを食べ、お茶を飲んで、ゴミの始末をしたら解散だ。今日は相内お姉さんをおもてなしするはずだったのに、ヒドイことになってしまった。いつか挽回しなければ。

「今日はオネショしちゃうね。火遊びしちゃったから」

「そんなわけないね」

 頼人ならともかく、オネショなんてするわけがない。相内お姉さんはすぐ適当なことをいう。


 足もとは氷の大地。その先は崖になっていて、向こうは海であることが景色を見ればわかる。背中を押されて、ジリジリと崖に向かっている。ふりかえると、エンペラーペンギンが姿勢よく立って、まっすぐ前を見ている。それも、見渡す限りのペンギンだ。海に飛び込むつもりなのだ。順番があるから泰人が海に落ちないことには背後にいるペンギンたちも海にはいれない。ジリジリ、ジリジリ、崖の終わりが近づいてくる。

 左右どちらかによけてしまえばよいというわけにはいかない。だって、ずらーっと横にもペンギンが並んでいるのだ。なぜか泰人だけが突出して先頭に立たされている。海に落ちたくはない。後ろから押してくるのを押し返さなければならないのに、足もとは氷ですべりやすい。海はまた今度にするかと思い直してくれないものだろうか。さっきからずっと力いっぱい押し返しているのに、ちっとも効果がない。暖簾に腕押しではなく、壁につっぱりくらいなものだ。しかも壁がせまってくる。

 もうダメだ。足先が氷の崖からはみ出した。背中をそらせて、すこしでも重心を崖に残そうとするけれど、効き目はない。ペンギンもろとも落下。水面が視界いっぱいに広がって、海に突入する。耳のまわりで空気と海水が格闘する音が聞こえる。冷たい。寒い。

 びしょびしょに濡れそぼって歩く。ここは、廊下。学校の廊下だ。上履きもびしょ濡れで床がすべりやすい。背中に寒気がはしって、オシッコしたい。お腹に力が入る。廊下を歩いていればトイレがあるはずだ。お、さっそく出てきた。トイレの入り口は石で四角く縁どられている。男と女を意味するプレートが掲げられている。

「鷹翔くん」

 トイレの向かいは職員室のドアだ。梅干しおばあちゃんがちょうどドアを開けて出てきたところだ。なんだよ、トイレ行くんだからほっといてくれ。小さくすぼまって皺くちゃの口がしゃべる。

「宿題やってきたの?」

 うなづく。

「授業中は静かに先生の話をききなさいね」

 漏れそうなんだ、くだらないことはあとにしてほしい。

「なにもじもじしてるの。すこしは落ち着きなさい」

 だあっ。全力で静止。もうなにを言ってきても聞き流す。頭にはいれない。


 梅干しおばあちゃんが、やっと丸まった背中を見せて廊下を去ってゆく。

 ドアを開け、トイレに駆け込もうとして静止する。中はシャワーのように天井から水が降っている。なんじゃこりゃあ。濡れないことにはオシッコができない。でも、すでにずぶ濡れなのだ、そんなことを気にするのもヘンだ。頭を下げて冷たいシャワーに耐えながら進む。先にはプールがあって、そのなかにトイレがあった。シャワーどころか、プールにはいれということか。でも、泳ぎは自信がある。プールにはいって水に潜り、やっとの思いで便器にたどりつく。おしっこをすると水に広がり、あたたかい。それに、お腹と言わず体の全身も痺れるようにじんわりあたたまる。

 不快だ。下半身が不快なのだ。上半身は布団の中であたたかく快適。覚醒とともに事態を把握した。布団をはぎとり、床に降りたつ。パジャマのズボンが重たい。それに、もう冷たい。

 となりで寝ていた頼人も起きだしてしまい、泰人が襲われた悲劇に勘づいた。無念。これは、あれだ。相内お姉さんの呪いだ。そうだ。怖ろしい悪魔なのだ、相内お姉さんは。

「お母さーん。タイトくんオネショー」

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