第14話 炎の悪魔(1)

 今日天使はピアノのレッスンではない。つまり、泰人はひとりだ。普通ならひとりだ。でも、今日だけはちがう。相内お姉さんが遊びにきてくれるのだ。昨日の夕方家に電話がきて、自転車を買ったから初のサイクリングついでに遊びにきてくれるということだった。この前は牛丼をご馳走になった。お礼を兼ねておもてなしをしなければならない。

 集会所のとなりの神社。神社の建物の横のところに地蔵があって、三方を板壁で覆われ、屋根がついている。お参りは神社の建物の側からする。地蔵の囲いは冬の風よけに良い。神社をまわってきて奥側、地蔵の囲いの横に陣取る。地蔵の背中側は林だ。林から落ち葉を集める。小枝も拾う。落ちているものはからっからに乾いている。大きめの石を三個、集めた落ち葉を囲むように配置し、家からもちだしたヤカンをセットする。中にはペットボトルからミネラルウォーターを注ぐ。いれすぎるとお湯が沸くまでに時間がかかる。少しで十分だ。落ち葉と枝は、足りなくなると困るから先に近くに集めておく。火力が落ちたら、そこから追加すればよい。

 ちゃりんちゃりんと自転車のベルが聞こえた。相内お姉さんが到着したのだ。駆けって迎えにゆく。集会所の駐輪場に自転車をとめて鍵をかけているところだ。集会所の広場では天使たちが遊んでいる。

「相内お姉さん」

「お、タイトくん。こんにちは。楽しく遊んでるかい」

「準備はできてるよ」

「準備?お姉さんをもてなしてくれるの?その準備?うれしいな」

「こっち」

 集会所をはなれ、神社の建物をまわりこんで地蔵の横に案内する。

「みんなと遊ばないの?こんな寂しいところにきちゃって」

「天使がいるから大丈夫」

「アンジェ?さっきいたかわいい女の子?」

「うん、天使がみんなと遊ぶからいいんだよ」

「あ、そう」

 ヤカンのセットしてあるところにしゃがんで、バッグからライターを取り出し、落ち葉に点火する。

「なにこれ、ヤカンでお湯沸かすの?」

「うん、外で飲む紅茶がおいしいんだって」

「山の上じゃなくて?寒いからあったかい飲み物はいいかもね。でも、大丈夫?けっこう風あるけど、火なんか焚いちゃって」

「ここはあまり風吹かないよ」

 相内お姉さんはあたりを見回してから、泰人の後ろを回って奥側に並んでしゃがむ。

「神社の建物の陰だからかな」

 火が回って美しく光を放つ落ち葉に手をかざして暖をとる。

「どうしたの?」

 なんだか視線を感じて、背後を確認したのだ。すぐ横は地蔵の囲いの板壁、なのに横からの視線を感じた。板壁を通り抜ける視線というのはおかしい気もするけれど、感じてしまったのだから仕方ない。それとも板壁に目があるとか。そんなわけないか。そんなわけないと思って、背後を振り返ったのだ。

「ただの索敵」

「いま戦争中なの?」

「そんなとこ」

 落ち葉としょぼい枝くらいじゃ火力が足りないのだろう、ヤカンはウンともスンともいわない。もっと早く火をつけてお湯を沸かしておけばよかった。

「ときにタイトくんや、ヤカンは清潔なのかね?」

「家で使ってるヤカンをもってきたから普通に飲めるよ?潔癖症の人は他人が使ったヤカンで沸かしたお湯もダメかもしんないけど」

「潔癖症ではない」

 話をしていて気づかなかったけれど、風が強くなってきた。びゅうと風が吹いて相内お姉さんはなびく髪を押さえ、目を閉じる。砂埃が飛んでくるのだ。泰人は帽子を押さえる。

 火のついた落ち葉と小枝は上から順番を守って吹き飛ばされてゆき、風が通りすぎたあとには黒い焦げ色のついた地面だけが残った。吹き飛ばされた落ち葉は林の落ち葉の上に落ちたり、木の幹に引っかかったりしている。当然の成り行きとして、まわりの落ち葉に引火する。

「タイトくん、離れて」

 相内お姉さんが手を引いてくれて、神社側に数歩しりぞく。もう一方の手にはヤカンをさげている。地面にあったバッグまで肩にかけている。素早い。

 風は断続的に吹いていて、薪に空気を送り込んでいるようなものだ。燃える落ち葉が新品の十円玉の色に光り輝き、炎は周囲から浮き出してゆらゆらめらめらと視界を埋め尽くす。ゴーっと空気が渦巻く音、パチパチと落ち葉の爆ぜる音が充満している。

 林が、燃えている。

 見ようによっては美しい光景、実際は地獄だ。頬が焼ける。いや、それどころではない。全身が焦げそうだ。泰人がお湯を沸かすためにつけた小さな火が、地獄を現出せしめたのだ。

 すうと風がやみ、向きをかえた風が吹く。火のついた落ち葉は魔力に操られて地を這い、宙を舞って、地蔵の囲いの裏に集まる。囲いの裏には、もともと落ち葉が溜まっていた。吹き溜まりというやつだ。炎は新しい燃料を得て火力を増し、囲いの板壁を焦がす。

 ぎゃー、まずいとか相内お姉さんが叫んでいる。そうだ。火を消さなければならない。また視線を感じた。こんなときになんだろう。

「だー。久保田さん、たすけてー」

「ったく、芸術のためでも山火事起こしたらマズいでしょ」

「おお、わたしの願いが時空を超えて久保田さんを呼び寄せた」

「そんなわけないでしょ。はじめからメールで呼んでたじゃないですか」

「そうでした、遅刻ですね。って、それよりなんとかしてください」

「だんだん要求のハードルがあがってる気がするんですけど、そのうち手に負えなくなりますからね。この辺で限界ですよ」

「久保田さんに限界なんてありません。って、寝言はいいからその手にもってる消火器で早くなんとかしてください」

「ああ、いつの間に。それじゃ、失礼して。白い煙が出ますよ」

「ハトがでるっていう写真屋みたい」

 相内お姉さんのセリフにかぶせて、白い煙が消火器のホースの先から音を立てて噴き出る。煙は風にまかれて、久保田オジサンの全身を包み、一瞬で流れ去る。

「ぶへぇ。こっちは風下か」

 ひとしきりゴホゴホとむせかえってから場所を移動し、囲いの裏に向けて白い煙を噴射する。今度は風に乗ってちょうど吹き溜まりと燃えている板壁のところにかかる。火はおさまって、板壁は雪をかぶっている。

「あとはこっちか。落ち葉くらいなら消火器でいけるでしょう」

 久保田オジサンは風向きに注意しながら、火炎地獄に歩み入る。消火器をふるって白い煙をあやつり、炎に勝利してゆく。見事だ。

「それにしても、このあたり一帯を燃やし尽くすつもりだったんですか?山火事なんて、ニュースになりますよ」

 汗をいっぱい顔に浮かべている。相内お姉さんも額の汗をハンカチで押さえている。泰人は顔と首を手で拭いて半ズボンになすりつける。火炎地獄は冬とも思えない猛烈な熱さだった。

「ちがいます。お湯を沸かすはずだったんです。ねっ?」

 こくんとうなづく。

「じゃあ、そのお湯で一杯ごちそうになるか」

 ヤカンは相内お姉さんのおかげで無事だったけれど、冷え切っている。もともと温まっていなかっただけだ。首をふる。

「なんだ、しょーがないなー。水でいいよ」

 相内お姉さんの肩からバッグを引き取り、カップをだして久保田オジサンと相内お姉さんに渡す。ヤカンから水を注ぎ、ふたりが立ったままカップに口をつけるのを見守る。

「うん、これはミネラルウォーターだ。富士山かな」

「南アルプスでしょ」

 バッグからペットボトルを引き抜く。南アルプスの水のラベルが見える。

「ほらー。久保田さんはけっこう舌がにぶいですね」

「相内さん飲んでわかるんですか」

「もちろんですよ。南アルプスの方がつるっとしてるんです」

「ふーん」

 疑わし気に見つめる。相内お姉さんは眼を閉じて気持ち上を向く。

「なにしてんですか」

「チスですよ、チス」

「子供の目の前ですよ」

「いいじゃないですか、チスくらい」

「タイトくんの家は厳格なクリスチャンです。チスもダメですよ」

「そうなんですか」

「いい加減なこと言いました」

「もう」

 相内お姉さんはうれしそう。ちぇっ、つまらない。水のお代わりをペットボトルから注ぐ。

「それにしても、ヒドイありさまですね」

「しらばっくれるわけにはいきませんか」

「無理でしょ」

「腹を切りますか」

「相内さんが」

「久保田さんもですよ」

「おれは消しただけじゃないですか」

「久保田さんが遅刻しなければこんなヒドイことにはならなかったんですよ」

「おれの足こんな小さいんですよ」

「足で踏み消せなんて言ってません。火をつけるまえに金属の囲いを三方にしないと危ないよとか、そういう知恵みたいなことですよ」

「なるほど、おれインドア派なんで」

「なにがですか。生き物を追いかけて海に出てたんでしょ?」

「じゃ、山より海なんで」

 相内お姉さんが久保田オジサンの腕にパンチする。

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