第12話 タイトな冒険(4)
凛ちゃんお姉さんがさっきオシャベリしていた話を相内お姉さんに教える。
「沖縄に行っちゃうの?沖縄は遠いよ。すぐに会えないんだよ?いまのおうちがいいよ」
「でも、追い出されちゃったもん。おうちもお金もないもん。外で寝たら寒くて死んじゃうもん」
急に涙が出てきた。手でこすって拭く。小さい子供がひとりで生きてゆくには環境が厳しすぎるのだ。相内お姉さんに会えなくなるとしても、ほかに道はない。悲しいけれど、お別れなのだ。
頭をなでてくれていた相内お姉さんは、食べよといって牛丼を食べはじめた。そうだった、せっかくの牛丼が冷めてしまう。でも、もう味がよくわからない。鼻かみなといって、凛ちゃんお姉さんがティッシュを箱ごと寄こす。ちーんとやって、また牛丼にもどる。さっきまでの空腹はどこへいったのだろう。もうお腹いっぱい。最後の一口を苦しいと思いながら口に詰め込む。咀嚼して飲み込んだら、もうダメ、これ以上食べられない。
「すっげえな、大人と同じだけ食べちゃったよ」
「本当だ。お腹空いてたんだね。食べすぎちゃった?」
顔を向けるだけで精いっぱい。うなづくために下を向くこともできない。
「すこし休んで行こう」
「沙莉、久保田さんなんて?」
「まかせたって」
「そりゃ、館林からわざわざやってこらんないだろうな」
「わたしが電話したんだから、いまから行こうかくらいの言葉があってもよくない?」
「沙莉の場合、そういうとうん待ってるって答えるだろ。ヘタなことは言わないことにしてるんじゃないか」
「ヘタなことってヒドイ」
「それで、これからどうするんだ?」
「ガッコウでタイトくんにわたしの力作を見せつける。このあいだ絵本見せてもらったからね、お返し」
「相内お姉さんも絵本描いたの?」
「絵本じゃなくて彫刻だよ?わたしはね、彫刻をするお姉さんなのだよ」
「彫刻ってなに?」
「げっ、そうか。彫刻知らないのか。説明するのはむづかしいな」
「自分でやってるのに?」
「えっとね、形をつくるんだよ。写真見せたでしょ?ま、そんなのいいじゃん。見ればわかるよ。それが彫刻のいいところ。わかった?」
「うん」
わからなかった。凛ちゃんお姉さんは強引だなといった。相内お姉さんはケータイを出して凛ちゃんお姉さんに見せながら、ほらこんなに距離があるんだよ、大人だって歩くの大変なのに、こんなちっちゃい体でヘトヘトになって歩いてきたんだからといった。
満腹になって、こんどは睡魔が襲ってきたらしい。ふたりのお姉さんが話している声が遠くなって、カウンターのテーブルに手を枕にして突っ伏した。
おーい、もう行くよーという声。もう天国についた?肩をぽんぽんと叩かれて覚醒する。そうだ、牛丼を食べてお腹いっぱいになって眠ってしまったのだ。頭をあげても、視界はぼやけてよく見えない。
「あちゃー、手を目に当てて眠っちゃったんだねー、あとがついてる。目が開く?見えるかい。おはよう」
目をこすっても効果はなかったけれど、まばたきを繰り返していたら、どうやらよくなってきた。
「帰るの?」
「そうだよ。わたしたちの大学に」
こくんとうなづいて、低い背もたれをつかみながらずるりとイスを降りる。手を引かれてお店を出たら、一気に気温が下がった。うう、足が寒い。半ズボンは無防備なのだ。
「さっ、寒いから早くもどろ」
速足で進んで、大学の門をはいったところでお巡りさんじゃないお巡りさんに手を振る。明りのついた小屋から手を振り返してくれている。建物にはいってエレベーターに乗ったことがわかった。廊下を歩いて、ドアをはいる。うわっ、ごちゃごちゃと物が散乱した教室だ。ほらっこれだよといって、見せられたのは、床に転がる黒ずんだ人骨だ。
「うえっ、なにこれ」
「お、いい反応だねー。これは人の骨だよ。っていっても、銅っていう金属でつくったんだけどね」
「相内お姉さんがつくったの?」
「そゆこと。ほら、花束も」
カシャカシャと金属的な音をさせて花束も見せつけてくる。花びらは紫色、葉っぱや茎は骨と同じ色をしていて、銅という金属でできていることがわかる。
「こないだ見せた作品になかったでしょ?これ。まだ写真撮ってなかったからね。どう?すごいでしょ」
凛ちゃんお姉さんが押しつけがましいなとつぶやく。顔がひきつっているかもしれない。寒いからではない。
「なんで骨と花束なの?」
「いいことを聞いてくれました。わたしのお友達の大事な人が亡くなったの」
「なくなったって、死んじゃったってこと?」
「そうそう、死んじゃったってことだよ。その人のことわたしも知ってたんだよね。死んじゃったときお友達が一緒にいて、お友達に呼ばれてわたしも現場に行ったんだ。だからね、その人と、その人が死んじゃったことは、わたしとお友達の大切な思い出っていうのかな。ショックなことだったんだけどね。
人が死んじゃったらお葬式するでしょ?でも、わたしも、お友達も、死んじゃった人も、みんな芸術の人なんだよ。だから、普通のお葬式じゃ物足りない、自分たちなりのお葬式が必要だって思ったんだ。それで、これをつくったの。まだこれだけでお葬式にはならないけどね。つくってる途中かな」
「これがお葬式になるの?」
「そうだよ。もっとすごいのになって、お葬式になるの」
「すごいって?」
「こーんなにデッカくなって、音と映像がついて、ババーンてみんなが驚くようなものになる。予定」
「お葬式は驚くの?」
「芸術家のお葬式は驚くんだよ」
またいいかげんなこといってと、凛ちゃんお姉さん。苦笑というのを顔に浮かべている。
「じゃあ、完成したらぼくもお葬式したい」
「うん、わかった。完成したら教えるからまたきてね」
ダメなんだった。沖縄に行かなくちゃいけないんだ。完成したといわれても、またくることはできない。涙がでてきそう。
「じゃあ、もう帰ろっか」
「そうだな」
肩に手を置かれて、とぼとぼ歩きだす。これから誰も知っている人のいないところへ旅立つのだ。さすがに心細くなってしまう。新しいことに挑戦する楽しさがないわけではないけれど、いまは不安の方が大きい。夜だからかもしれない。夜は布団にはいって寝る時間だ。これから旅立つという時間ではない。そうだ。とにかくどこかで寒さをしのいで、出発は朝にしよう。
建物を出て大学の門へ向かう。見覚えのある車が門をはいったところに駐車してある。運転席からお父さんが降りて、こちらにやってくる。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑とかいう問題じゃありません。こんな小さい子を家から追い出すなんて、信じられない。連れ去られたり、殺されたりするかもしれないんですよ?ここにくるまでに交通事故にあっていたかもしれない。家から追い出すってことは、そういうことになってもいいってことです。つぎにこんなことがあったら、警察とか児童相談所とかのお世話になる覚悟をしてください」
「反省してます」
「タイトくん、またね。おやすみ」
「しっかりやれ」
相内お姉さんが手に紙を握らせてくれる。凛ちゃんお姉さんは頭をポンポンと叩く。お姉さんたちは建物にもどって行ってしまった。お父さんは帰ろうと言って帽子をかぶせてきて、車に乗りこむ。ジュニアシートをセットすると車が走り出して、大学の門を左折してゆく。あーんなにヘトヘトになってトボトボ歩いてきた道は、窓の外をさあっと過ぎてゆく。むなしいものだ、子供の努力なんてものは。
家に帰って風呂にはいって布団にもぐりこむ。疲れは最高の睡眠薬。たぶんえらい哲学者の説いた真理だ。
朝起きて気づいた。昨夜は、知らない小学校に行って、知らない子に教科書を見せてもらってなんて考えていたのに、いつもの学校に行って梅干しおばあちゃんの授業を聞かなければならないのだ。あのまま沖縄に向かって旅をするのとどちらがよかったのかわからない。
「お母さん、ぼく沖縄の小学校に行きたい」
「まだ寝ぼけてるの?顔は洗った?バカなこと言ってないで、ご飯食べたら早く支度しなさい」
常識にどっぷり浸かった大人の反応なんてこんなものだ。つまらない。
登校したらまっすぐ教室に向かったけれど、天使が先についていた。今日は通学班の競争で負けてしまったらしい。勝手に競争だと言っているだけで、天使はそんなこと知らないわけだけれど。
「これ、やるよ」
「は?なにこれ」
天使は差し出したペンギンのバッヂを手のひらに受け取って、しげしげと見つめている。目の高さにつまみあげて首をかしげたりして、かわいらしい。
「それはエンペラーペンギンのバッヂで、足もとにいるのはヒナだよ」
「そのくらいはわたしにもわかるけど。これをわたしに渡してどうするのかってこと。わたしにくれるってこと?それともこれをどうにかしろっていうの?たとえばどこかに隠せとか?」
はじめにやるって言ったのに。警戒心が強いせいか?
「それは宝物だよ。昨日の夜に、天使に宝物をあげたいなって思ったから、それをあげる」
「そう、くれるの。じゃ、もらっておくけど、なにかわたしからほしい?」
「ううん、そういうんじゃない。なにかと交換したいんじゃない」
「意味わかんない」
「こっちの事情だから気にしなくていいよ。それじゃ」
「あり、がと」
うまくいった。天使相手にすごくうまくやれたぞ。なんだかほっぺがいうことを聞いてくれない。手のひらでもみほぐしながら席に着いた。
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